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グローバル化するにつれて個性(文化)無くなりますか?それといつかは国という概念がなくなって
地球人という括りでしか無くなると思いますか?
そうしたら常識も統一されるとしたら戦争は無くなると思いますか?
それともいつかAIに地球を治めてもらうことになるのでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • へこむわー

    素敵な回答ばかりで選べないですが必ず選びます。皆さんありがとうございました

      補足日時:2019/01/03 09:51

A 回答 (6件)

グローバル化といっても、人間が物理法則から自由になるわけではないので、今も昔も未来も大して変わりません。


具体的に言うと、媒体(ネットなど)を介したコミュニケーションは対面のそれよりも遥かに情報量が少ないし、人体ごと移動するにしても、飛行機など大掛かりな設備を使うための経済的負担、時間と労力が要ります。
ド○えもんのどこでもドアとか瞬間移動できる能力でも身につけない限り、生まれ育った土地の文化や宗教の影響を受けない、国からの教育による思想の偏りが全くない人間に成ることは不可能です。程度問題であり、基本的に土着の支配下にあります。テレビが普及しようとも方言は消えません。
国と国境についても同様で、一人あたりが納められる国土と人民の量には限界があるため、国の大きさにも限界があります。
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最初のグローバル化は確かポルトガル?の胡椒貿易から始まりました。


大航海時代ですね。
グローバル化(国際主義)はユダヤ思想です。

ユダヤ人は長い間歴史の中で迫害されて散り散りになってきました。
彼等は昔から努力家で賢く金融業を営んでました。
今は国家を裏からマネーで支配するまで巨大になりました。
彼等が商売する上で様々な国の規制や文化が邪魔になってくるわけです。
このままグローバリズムが進行すれば国家の【主権】がなくなります。
移民が入ればまた文化も変わって来るでしょう。
これこそが彼等の狙いです。

今世界の潮流は反グローバリズムです。
それと戦争は【ビジネス】です。
平和になると困る人達がいるのです。
世界各地で起きている戦争も政府を裏から操る組織によるものです。
グローバル化が進むと戦争が起きます。

尚、今後仮に起きたとしても核兵器は使えません。
威力がありすぎて地球に住めなくなるためです。
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この回答へのお礼

助かりました

経済的視点からの見解、すごく参考になります

お礼日時:2019/01/03 09:42

情報化社会とか、AIとかが全くなかったとしたら、長期に広域が一つの文化圏であり続けることは難しいと思います。

過去の歴史でも、一つの強力な文化が広域に広がった場合でも、百年、二百年の間には、自然環境の変化や疾病の流行、あるいは該当文化圏内部での階層・階級の距離の拡大と交流の減少で、サブカルチャーが生まれ、(メジャーな文化圏が一つ存在する)という形はやがて崩壊してきました。
情報化の進展で、どこでどのような動きがあるか、どうした違いが生じつつあるか、などが、ごく初歩的な状態でも識別認識が可能になり、過去の例との類推で推論判定するAIも現実になってきているので、これまでの歴史にはあり得なかったコントロールが可能になってしまっています。 AIの判定とコントロールを制作者や管理者がコントロールするのは事実上不可能(不可知なので不可能)になるでしょうから、AIのコントロール対象としての人類は存在するという形態にやがては落ち着くと思います。
神に対抗するというか、神の意志とは異なる状態になった人類を神が一掃するという物語が、聖書には出てきますが、AIならそういう破局的なコントロールをしないで済むように日々適当に介入するでしょうから、大きな戦役とか暴動、打ち壊し、反逆、占拠、略奪などの行為は起きなくなるのではないでしょうか。 ただその場合、グローバルに一文化圏にするというのだけが解にはならないと思います。 何らかの特性を有する文化が複数の混在状態で安定した系を継続するという方が、現実的な気がします。 
宇宙にはたくさんの銀河とたくさんのなにもない空間が混在し、一つの銀河系内でも多くの恒星群や恒星を巡る惑星系が複数あって安定しているように、多文化やサブカルチャーが適宜消長をするという状態がありそうな気がします。 東京から10km圏という狭い範囲でも地域別所得別職種別性別年代別趣味別などで異なるサブカルチャーは同時存在するまま微妙な変化をし続けるということはあるので、自然環境もずいぶん違い、歴史的、経済的事情も異なる地域では、異なる文化があり続けるという方が、安定した系になるような気がします。
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この回答へのお礼

助かりました

過去の事例からの未来への考察。すごく参考になりました、結局広すぎると帰属感も無くなってしまいますね。
そして従来のカタチに戻ってしまいますね…

お礼日時:2019/01/03 09:49

AIはともかく、人間は遺伝的性質で縛られており、均一にはなりません。

だからFラン大学と東大があります。それぞれの人にやるべき仕事があります。
グローバル化が起きても気候変動は制御できません。だから貧富の差は無くなりません。生育環境が異なれば常識は大きく異なります。
さらにアフリカの人口爆発が待っています。欧米諸国はアフリカを核兵器で焼き尽くすことになるでしょう。
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この回答へのお礼

助かりました

そうですね。たとえ国境がなくなったとしてもそれぞれぞれの環境、能力は変えられないですね。

お礼日時:2019/01/03 09:44

グローバル化するにつれて個性がなくなります。

でも、グローバル化って時の流れに逆らった逆向きの流れなので、自然の摂理が行く川の流れのようにどんどんグローバル化とは反対方向に押し流して行きます。事実、グローバル化は今回が初めてではなく、人類の歴史の中で常に繰り返し起こっては来ましたが、必ずそれは失敗して来ました。

それを理解するために、人類の遠大な歴史を振り返ってみましょう。人類は数百万年前に他の霊長類と別れました。そしてその後の数百万を旧石器時代と呼ばれる形態で人類は進化してまいりました。その後、今から十万年から数万年前に人類に突然大きな変化が起こりました。そして、新石器時代となった。その後、今から数千年前から歴史時代と呼ばれる時代に突入し、そして現在に至っています。

ところで、なぜ考古学者は旧石器時代と新石器時代を区別するのでしょうか。その理由は、旧石器時代の石器が、アフリカから出ても、ヨーロッパから出ても、東アジアから出ても、地球上どこから出てもその用途が同じなら、その形も同じだからです。斧なら、斧の形が同じだった。だから統一的でグローバルで個性がない。

ところが、今から数万年前に人類に何かが起こって、その石器が地方性を持つようになったのです。同じ用途なのに、アフリカの石器と東アジアの石器とアメリカ大陸の石器は、それぞれ皆違った形をして個性を持ってきた。これは明らかに旧石器時代とは違っているので、考古学者はこれを新石器時代と呼んで区別したのです。そうです、進化というのは常に統一的で個性のないものから、地方的で不統一で個性を持った方向へと分岐してきた結果なのです。

生物の世界を見ても、生命がこの地球上に最初に現れた携帯は単細胞ので統一的な形態でした。しかし、それが地球上の各地に広がってゆく過程で、それぞれ違った環境に順応するように分岐し、多細胞になり、今のような多様で個性豊かな姿形を手に入れてきたのです。決して人間と霊長類と猿とネズミが統一されながら、グローバルで共通な形態へと変化していってはおりません。この宇宙ではその反対に、統一されて単純で個性のない状態から、非統一で多様で複雑な構造や個性を手に入れるような方向に時間の向きは流れているのです。

ところが、例えば人類では、その進化の過程でたまたま強大な力や富を持った集団がある地方に現れることがあります。そうすると、その集団は近隣の他の文化を持った地方に、自分たち固有な価値観や世界観、すなわち自分たちの文化を力ずくで強引に押し付け始め、その価値観で統一する運動が時々起こってきた。その結果、その強大な集団の周りに比較的大きな統一体が出来上がる。この現象を歴史学者たちは文明化と呼んでいます。すなわち、文明化とは、個性を持った多様な価値観へと分岐しながら進化して行くというこの宇宙の全体的な流れの途中に、時々雑音のように入ってきて、進化とは逆な方向と退化させる運動のことです。メソポタミア文明然り、エジブト文明然り、インダス文明然り、漢民族の文明然り、ローマの文明然り、欧米の近代文明然りです。そのような文明は、上でも述べたように本来の人類の進化とは真逆であり、多様性を否定して個性を否定して己の価値観に力ずくで統一しようとする運動だったのです。

でも、それがいかに進化という自然の摂理に反している証拠として、それらの退化運動は必ず滅んできました。人類全体としては、価値観の分岐と個性の取得に圧倒的な時間を費やしてきたのですが、その間に間欠的にその文明の統一化の運動が入り込んできたのです。でも、人類の歴史の大きなスケールから見ると、その統一化の運動、すなわち退化の運動は永続きぜずに、必ず滅んできました。

現在のグローバリゼイションは近代の欧米文明の延長上にあり、一見、欧米の価値観で世界が統一化して行くように見えます。でも皆さんもすでにお気付きのように、これは個性の否定であり、人類の歴史的スケールから見て決して長い時間存続することはできません。多分、百年、2百年の単位でこの統一化の運動もまた滅び、その後に、今よりももっと個性が豊富で多様な人類形態がやって来るはずです。何故なら、生物や人類の歴史を振り返ると、常に統一化ではなくて多様化の方向に時間が流れているのがこの自然の摂理だからです。自然の摂理によって起こされる流れは何者でもそれを反対方向に押しやることは出来ません。必ず、自然の摂理が決めた方向、すなわち多様化の方向に押し流されてゆくのです。だから国がなくなることもあり得ません。昔のローマ帝国のように一時期多くの国の国境を無くした統一体が出来たように見えましたが、結局、その統一体は再び分岐して、多くの国家に分かれていったなどは、その好例です。

また、現在の自然科学で明らかにされていることなのですが、統一体が分岐して様々な個性を生み出して行く過程の本質的な原動力は、その系の安定性ではなくて、不安定性なのです。どんなに安定しているように見えても、その裏にその構造の維持を妨げる不安定要素が必然的に隠れている。その不安定要素は安定した社会ではなかなか表に出てきませんが、必ず潜んでいます。そして、天変地異や富の蓄積など、人事による制御不可能な偶然の出来事が契機となって、突然表に現れてくる。その時に、今までの存在形態に新たな分岐が起こり、統一して安定した形態から、新たに多様で個性のある形態へと進化してきたのです。ですから、進化の原動力は安定性ではなくて不安定性にあるのです。さらに、安定のみでその裏に不安定性の要素を含まない形態は、環境の変化に順応できずに滅んでしまうのです。それらのことが近代科学の進歩でわかるようになってきました。

その不安定性の一つが戦争です。ですから、もし人類がこのまま進化を続けていきたいのなら、国家がなくなる時も、戦争がなくなる時もないでしょう。逆に、国家が無くなり戦争がなくなっ時には人類は必然的に滅んでしまうでしょう。感情としては戦争がなくなった世界が好ましいのですが、自然の摂理はそれを許さないというのが、この宇宙なのです。
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この回答へのお礼

天才やな

凄く言葉には表せないぐらい感銘を受けました…自分なりにもっと考えてみます。ありがとうございます

お礼日時:2019/01/03 09:46

そのように思ってる知識も沢山いますが、グローバル化って単に出来上がった製品が、Made in 〇〇のように表示するのがおかしいと感じるようになることです。

品質のいい物より安く作ろうとすれば、大量生産をする、これは疑いの余地なし。それで、この国は、このパーツだけを作る、それらのパーツを一つの所に集めて組み立てる、これがグローバル化です。

そのうちの一つの国でも、ぶっこけたら、製品は出来上がらずで、戦争がおこらないように努力します。

それじゃ輸送費がなんて思いつく人もいますが、トラック一台分を名古屋から東京まで輸送するよりも、東京からアメリカ西海岸に運ぶ費用の方が安い、しかも、10日以内でアメリカ中どこでも配達までできるコンテナー船時代です。一つの船で大型トラック4000台の量を、たったの7日です。

人間の出入りも多くなりますが、反対に各国の文化や習慣などの個性は、より強く維持されて行きます。

工業製品の品質、輸送方法、それに伴う各国の法の常識が世界中で統一化されるだけです。
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この回答へのお礼

助かりました

逆に強まる、確かにそうなるかもしれないです。回答ありがとうございます

お礼日時:2019/01/03 09:50

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