dポイントプレゼントキャンペーン実施中!

ちょいと世間では埋もれてるかもしれないけど

こんな名言があってね

学者と言われる人ほど
わからない事柄は、
ハッキリと【わからない】と答えるらしい

科学万能な世の中だけど
世の中の事柄で、まだまだわからない事はたくさんあって

神の存在にしても
幽霊にしても
地球外知的生命体にしても

ハッキリとした根拠のない事柄は
【わからない】
そう答えるらしいんですけどね

わからないから
研究や実験で、どんな技術が解明されてないのか!
観察や考察で、どんな存在が 発見されてないか!

日々、わからない事を調べられてますもんね

ではでは質問です
哲学好きな回答者さんに置かれましては
訳のわからない事柄!

どこら辺まで、解ろうと努力しますか?

学者なら仕事だから生涯をかけて
解明するであろうし

宗教家にとっては、神様は神様は明確な存存在だから疑う(わからない)ことは無いだろうし

哲学好きな回答者なら!
( ̄~ ̄;)どこまで考え抜くのか!

ちなみに
教えて!gooをやってないときは
単なる労働者だから
どうでもいいわぁ~
(* ̄∇ ̄*)

てな時もありますよ

良かったら暇潰しにでも、
回答してもらえたら

(  ̄▽ ̄)にっこりです

質問者からの補足コメント

  • 子供がおやつの取り合いで
    家族なんだから仲良くしなさい

    程度の話なら
    絶対性でもOKだけどね

    「ちょいと世間では埋もれてるかもしれないけ」の補足画像1
      補足日時:2020/09/07 08:41


  • このような説を唱える人も居てるから
    よかったら
    拝聴してみてくださいね

      補足日時:2020/09/07 09:57
  • 0と∞が無いのが
    必要がなかったのか?てな事も考えてしまいますね

    「ちょいと世間では埋もれてるかもしれないけ」の補足画像3
      補足日時:2020/09/09 03:59
  • 数字の話がおさまったので
    数式すら神格化されて
    宗教的な教義の対象になってた
    歴史なんかも、この世にそんざいしてて
    ワシ的には数字の話や数式の話は
    全然ダメなんですけどね
    歴史を振り替えれば、ほんとに色んな事柄がためされてるんだなぁ~
    とはとは感慨深い話ですね

    「ちょいと世間では埋もれてるかもしれないけ」の補足画像4
      補足日時:2020/09/09 17:39
  • 人知を越えるなら

    https://g.co/kgs/bB6kXf

    仏教で、こんな事もしてたんですよ


    bragelloneさんは宗教ぎらいだから
    知らないのかもしれないけどね

    bragelloneさんの言われる思想てのも
    現代においては、宗教の枠すら越えてないのが実情ですよ

    「ちょいと世間では埋もれてるかもしれないけ」の補足画像5
      補足日時:2020/09/11 02:56
  • 人知を越える
    てな話で、ミイラがいやなら
    こういった、試みも行われてますよ

    https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%A7%A3%E8%84%B1

    「ちょいと世間では埋もれてるかもしれないけ」の補足画像6
      補足日時:2020/09/11 04:10
  • 数式の話で補足です

    0の割り算

    想定してはならない!
    てのが事実なんですけど
    一般的に必要性がないから
    0になるなんてな話で、広まってるみたいですね
    わからないことってより
    めんどくさいこと

    これって哲学に通じるはなしですもんね

      補足日時:2020/09/11 05:28
  • 考え抜くのは楽しいことなんですけど
    ちと、疲れますね
    (  ̄▽ ̄)にっこり

    ベストアンサーは
    こちらの方に、贈りたいと思いますよ

      補足日時:2020/09/11 05:59

A 回答 (87件中11~20件)

bragelloneさんへ


貴方の「表現があたかも言外に指し示すものがあり得る。神という語がそれである」と仰っています
これは「神」という語に対する貴方の理解を物語っているのですよ
要するに貴方が述べている「表現があたかも言外を指し示す」としている「指し示している」事柄を貴方が理解しているからそのように仰れるのです
とするとその説明では「知性を超えたものであり得る」とは言えません。
    • good
    • 0

◆ (回答No.75)


おまけ 
「普遍神」について
「普遍神」には「普遍」という言葉と「神」という言葉が含まれてい
ます。
よって「普遍神」と言う言葉を初めて見た者は「普遍」の概念と「神」
の概念とを繋ぎ合わせて「普遍神」の概念を獲得するのです。
このような脳処理それ自体はありふれた脳処理です


☆☆ (回答№69を いま上記の条件に合わせて編集したものです)
○ 
表現形式は すべて知性のあらわれ。
 【☆ そういう《脳処理》が成される】

表現内容は 合理性で認識できるものは やはり知性のあらわれ。
 【☆ 《普遍》と《神》とが 一般的に言って概念として認識される】

ただし 表現があたかも言外に指し示すものがあり得る。
 【☆ 《神》という語がそうである】

これは 知性を超えたものであり得る。
    • good
    • 0

◆ (回答No.72)


「無限」や「絶対」や「普遍神」に限らず「具体的な対象」がないために
「絵的」に「具体的」に表現出来ない事柄(概念)はありふれています
☆ そういう扱い方をするのなら それ相応に=つまり別様に 応答しま
しょう。

普遍神は 霊性として無限ゆえその霊性が――ニュートリノのごとくでも
ほかの何かのごとくにでも―― 《具体的な対象》たる人間なら人間にや
って来て 言わばやどることが出来る。のです。

仏性(ブッダタ―)でもいいです。あるいは《無い神》としての霊性――
たとえばシューニャター(空)――でもいいです。

身と心とから成る具象的な存在たる人間にそなわるということが 出来る
のです。

しかも その霊性じたいは 目に見えないし 概念にしてもその内容を抽
象物としてさえ捉えることは 無理でしょう。うっすらと・ぼんやりと・
または ヒラメキのごとくして 理解するのみです。

人知を超えたものが 人知によって――ただし うっすらと――分かった
かのように受け取られるということです。

これは 《絶対性》のゆえに起きると考えられることです。




◆ 例えば熱いとか寒い等の感覚がそれです。
☆ そういう問題は どうでもよいのでは?

◆ それらのは感覚に対する概念は誰しも持ち合わせいますがそれらに対
する具体的な対象がないためにそれらを絵的に具体的に表現することは出
来ません。
☆ 尺度を考案して 数量の差の関係として知ることができます。あるい
は 任意に座標を採って それによる位置関係や位置ごとの量的な関係を
知り得ます。


◆ その代わりに熱い・寒いと言った言葉で表現するあるいはそれらを想
起される状態(例えば炎や氷等)を用いて想起させるのです。
☆ ぢゃあ 《具体的な対象》が ある のではないですか?


◆ 因みにbragelloneさんはどうやら「認識出来るが表現出来ないという
意味で想像出来ないことと 認識出来ないことによって想像も出来ないこ
と」を混同されているようですね
☆ 何のこっちゃいな?


◆ 「認識出来るが表現出来ないという意味で想像出来ない」は知性の及
ぶ範囲内で「認識出来ないよって想像も出来ない」は 「知性の及ぶ範囲
外」となります
☆ 《「知性の及ぶ範囲外」》というなら そのようにその境界がありそ
境界は ここだというかたちで 知性が及んだのですよ。

知性を《超えている》かどうかが 問題であるのでは?
    • good
    • 0

おまけ 


「普遍神」について
「普遍神」には「普遍」という言葉と「神」という言葉が含まれています。
よって「普遍神」と言う言葉を初めて見た者は「普遍」の概念と「神」の概念とを繋ぎ合わせて「普遍神」の概念を獲得するのです。
このような脳処理それ自体はありふれた脳処理です
    • good
    • 0

◆ (回答No.71)


続きです
0除算を除き無限に何らかを加減乗除してもその答えが無限になる
のは 数学において無限は不定形だからです 
☆ 不定形の意味が分かりません。

無限は 不定だが 形を有するのですか?


◆ 不定形なものに対して何を加減乗除してもその答えが不定形に
ならざるを得ないからです
☆ つねに一定の形を取らないような雲があったとします。不定形
の雲です。

この雲に加減すれば 増えたり減ったりします。結果が同じく不定
形だとしても 量は変化しています。

ところが 無限は――誰もがこれこそ無限だと思う無限は―― 不
可変性として成り立っていると わたしの考えでは なります。
《二で割っても三で割っても・・・》と。


◆☆ 数学における無限を正しく理解しているかどうかの問題だと
言うことです 


◆☆ これは無限に限った事ではありません。


◆ 同じ言葉でもそれを取り扱う状況(この場合は学問)が変われ
ばその意味合いが変わる事があると言う事です。
☆ 《無限》にかんしては 変わりようがありません。
    • good
    • 0

◆ (回答No.70)


概念それ自体「抽象」であるために「具体的な対象」(例えばりんご)
がない限りそれを「絵的」に表現することが出来ません。
☆ ですから ペガサスやケンタウロスを例に挙げています。

実在しない天馬や人馬ですが 絵に描けます。


◆ 「絵的」に表現出来ない概念については文字や記号などで表現す
るのです。
☆ 絵が仮りになかったとしても そのイメージから想像力をたくま
しくして何らかの絵を――いくつでも――描けばいいのでは?


◆ これは「無限」の概念にも当てはまります。
☆ えっ? 無限は 経験事象を超えているのですよ?

むろんそれでも 経験存在や想像上の存在と同じようにイメージをふ
くらませて描こうと思えば描けます。

ただし その絵を見せて これが無限だと言われても 果たしてそう
なのかどうかは まったく確定しません。


◆ 「無限」という「概念」を持っているので「無限」を認識出来ま
すが
☆ えっ? えええっ? どうやって?

《二で割っても三で割っても 商が同じ無限であるもの》と例示的に
定義しても その概念を認識することは 無理です。

例示ないしタトへをとおして 何らかのイメージや取っ掛かりのよう
なものを介するかたちで ぼんやりと《無限》とは こういうものか
と受け取る・・・だけですよ?


◆ 「無限」と言う「概念」即ち「抽象」
☆ 《抽象》と同定する根拠が 分かりません。


◆ 「無限」と言う「概念」即ち「抽象」を「絵的」即ち「具体的」
に表現すること出来ない為に
☆ げんみつに言えば 《イメージを絵に描こうと思えば描ける》の
です。しかも その内のどの絵が 正解であるかは分からない。

《具体的に表現することが出来た》かどうかが 分からないのです。
つねにその状態にある ということです。


◆ 「無限」と言う「概念」即ち「抽象」を「絵的」即ち「具体的」
に表現すること出来ない為に「無限」と言う言葉を用いてそれを表現
しているのです
☆ ぢゃあ その無限という言葉を なぜ持ち出すのですか?

なぜなら 仮りに抽象物だとしましょう。そうだとしても どういう
抽象物なのか? どこから無限という言葉を持ち出して来たのか?
これが 分からないまま その言葉を用いているに過ぎなくなります。

つまり 無限って何なんですか? ムカリンさんの定義として何なん
ですか?

◆ よって「無限」が指し示している事柄も「無限」と言う言葉で表
現されている事からそれを「概念」として捉えるので「知性の及ぶ範
囲内」です
☆ ですから・つまり ムカリン版の定義をおしえてください。

◆ 「知性の及ぶ範囲内」
☆ であれば 仮りの定義でなく 経験合理性で分かる内容として規
定したものをおしえてください。
    • good
    • 0

「無限」や「絶対」や「普遍神」に限らず「具体的な対象」がないために「絵的」に「具体的」に表現出来ない事柄(概念)はありふれています


例えば熱いとか寒い等の感覚がそれです。それらのは感覚に対する概念は誰しも持ち合わせいますがそれらに対する具体的な対象がないためにそれらを絵的に具体的に表現することは出来ません。
その代わりに熱い・寒いと言った言葉で表現するあるいはそれらを想起される状態(例えば炎や氷等)を用いて想起させるのです。
因みにbragelloneさんはどうやら「
認識出来るが表現出来ないという意味で想像出来なことと認識出来ないよって想像も出来ないこと」を混同されているようですね
「認識出来るが表現出来ないという意味で想像出来ない」は知性の及ぶ範囲内で「認識出来ないよって想像も出来ない」は「知性除き及ぶ範囲外」となります
    • good
    • 0

続きです


0除算を除き無限に何らかを加減乗除してもその答えが無限になるのは数学において無限は不定形だからです 
不定形なものに対して何を加減乗除してもその答えが不定形にならざるを得ないからです
数学における無限を正しく理解しているかどうかの問題だと言うことです 
これは無限に限った事ではありません。同じ言葉でもそれを取り扱う状況(この場合は学問)が変わればその意味合いが変わる事があると言う事です。
    • good
    • 0

概念それ自体「抽象」であるために「具体的な対象」(例えばりんご)がない限りそれを「絵的」に表現することが出来ません。


「絵的」に表現出来ない概念については文字や記号などで表現するのです。これは「無限」の概念にも当てはまります。
「無限」という「概念」を持っているので「無限」を認識出来ますが「無限」と言う「概念」即ち「抽象」を「絵的」即ち「具体的」に表現すること出来ない為に「無限」と言う言葉を用いてそれを表現しているのです
よって「無限」が指し示している事柄も「無限」と言う言葉で表現されている事からそれを「概念」として捉えるので「知性の及ぶ範囲内」です
    • good
    • 0

一連のムカリン先生の文章をめぐっては わしやけど。

。。。。さんの
コメントに期待。


        *


《無限》について

○ 
表現形式は すべて知性のあらわれ。
表現内容は 合理性で認識できるものは やはり知性のあらわれ。
ただし 表現があたかも言外に指し示すものがあり得る。
これは 知性を超えたものであり得る。


○ 《無限は 二で割っても三で割っても 商はもとの無限》という表現
にかんして:

形式は あくまで人間の言語機能にもとづくものであり 知性のあらわれ。
内容は 個々の言葉(二・三・割る・商・・・)としてむろん知性のあら
われ。

ただし この言葉およびそれらから成る文は 何かを言外に指し示すこと
があり得る。

たとえば 《無限÷ 2》という表現は まづ文字通りに捉えたそのものは 
知性のあらわれである。
そしてその内容は じつは知性(ないし経験合理性)では認識できない。

したがって この《無限÷ 2》は 知性でありつつ それが指し示すもの
は 知性を超えている。

その結果(こたえ)たる《無限÷ 2=無限》は 或る意味で知性のあらわ
れだと言える部分がある。
    • good
    • 1
←前の回答 1  2  3  4  5  6  7  8  9 次の回答→

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!