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多くの学校では授業中に水やお茶を飲むことを禁止されています。なぜこのようなルールが残り続けているのでしょうか?よく言われる理由として「失礼だから」「そもそも体調不良ではいなら飲む必要はない」「集中の妨げになる」「ジュースや食べ物などについてはどうなるか」「我慢の勉強」というものをよく見かけます。
まず一つ目の「失礼だから」については意味が分かりません。先生の仕事は立ちっぱなし話しっぱなしで大変だと聞きます。それならば先生も生徒もお互いが飲めばより快適な授業になるのではないでしょうか。先生が大変なんだから生徒も苦しめというのはただの足の引っ張り合いです。先生も生徒も快適になるべきだと思います。何がどう失礼なのでしょうか?
次に「飲み物不要論」「集中の妨げになる」についてですがこれは人によると思います。すぐ喉が渇く人も逆に飲んだほうが集中できる人もいるでしょう。体質などによって変わるところだと思います。
「ジュースや食べ物についてはどうなるか」では、線引きをすればいいだけだと思います。"匂いなどで他者の迷惑にならず勉強の妨げにならないものを許可する"といったルールなどを作成すれば済む話です。何が迷惑なのかを自分で考えてみるのも成長につながると思います。
最後の「我慢の勉強」についてです。ただ無意味にルールだからと縛るのが教育なのでしょうか。我慢は我慢するべき状況で、なぜ我慢をしなければならないのかを教えるべきです。
皆さんはどのように思われますか?

A 回答 (4件)

>アッカンベーやジェスチャーは明確に相手に悪意を伝える行為だから不愉快なのです。



そうとは限りません。チベットでは尊敬を込めた挨拶として舌を出すそうです。だからって日本でやっちゃいけません。

ちょっと例を変えます。葬式に真っ赤な派手なドレスで参列することは、授業のとき等に帽子をかぶったままでいることはいかがでしょうか。前者は皆が眉をひそめるレベルのマナー違反です。後者は最近は知らないい人も増えているけれど伝統的にはマナー違反です。

さかなクンが国会に呼ばれたときは一騒動ありました。国会の規則では品位や礼節を欠くとして、帽子はかぶってはいけないことになっていいるからです。結局特例として認めることになり、無事いつもの格好で意見陳述したそうです。

真っ赤なドレスで参列するのも、帽子かぶって授業聴くのも、やる側は悪意も何もない、何も考えてない可能性が高いです。しかし何も知らない人間が先人に向かって「俺には悪意がないからオマエはそれを受け入れなければならない」と主張するのはただの傲慢です。

礼儀なんて合理的理由とは別に一種のコミュニケーションとして存在しているのです。もともと礼儀としてそこに存在するものに対しては尊重する態度が必要です。

はっきり言えば喧嘩腰で向かっていった時点であなたの負けです。先に書いた通り、提案して合意を取るよう働きかければよかったのですが。先生が学校を去るまでは変わらないでしょう。

私個人は、職場での会議においてもお茶すすってます。というかお茶を用意してもらえる。最近は全部リモートだから自分で用意してますが。なので水やお茶を飲むことが悪いとは全然思いません。ただ、礼儀を理由に何かを規制する人に対して、質問者は非常にトンチンカンなアプローチを取っているということを指摘しているのです。
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この回答へのお礼

悪意がなく行為に理由があるものなら規制するべきではないと私は思います。(水を飲む行為ならのどを潤すためなど)合理的理由もなく感情で人の行動を規制するならもう少しつつましい態度が必要です
話は少しそれますが私は学生ですでにお茶も飲めますし小中高時にはこのルールについて何も疑問に思って生きてきませんでした。そのため「けんか腰で向かっていった時点で負け」などやや勘違いしていると思います(笑)

お礼日時:2020/09/24 12:31

「失礼だから」です。

礼儀に合理的根拠を要求するのは無理筋です。

あなたが街角で知り合いに会ったとき、お辞儀や挨拶の言葉ではなくアッカンベーされたらどんな気分ですか。あるいは欧米流のf**k youジェスチャーされたら。何か危害加えられたわけじゃない、でもきっと不愉快でしょう。

礼儀に反するとわかっていてわざわざ破るのは、相手の気持ちをいたく傷つける行為です。だからやってはいけないのです。逆に言えば、それだけです。

この種の行為は、皆の合意で「◯◯はしても問題ないことにしましょう」と決めてしまえば、もはや問題ありません。サラリーマンが夏場にネクタイしないことも、上司や同僚に年賀状送らないことも、昔はやや失礼とされていましたが今ではかなり一般的です。前者は政府がクールビズと音頭とってそうさせた、後者は個々の職場で虚礼廃止と言ってそうしています。

ちなみに学校といえど大学では講義中にお茶飲むくらいは大抵許容範囲です。大学や会議場でしばしば開かれる講演会でも基本OKです。部屋を汚さないための規則として飲食物持ち込み禁止の場合はままありますが。
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この回答へのお礼

アッカンベーやジェスチャーは明確に相手に悪意を伝える行為だから不愉快なのです。水を飲む行為を見て、「お、あいつ俺のことが嫌いで攻撃してるんだな」とは思いません。「のどが渇いたんだな」と思うだけです。
水はのどを潤すために飲むものでそこに悪意を感じるのは被害妄想に近いと思います。

お礼日時:2020/09/23 12:06

あなたの感性と言うか価値観に賛同します。



学校には根拠不明な暗黙のルールなんかがよくありますね。
費用対効果のように、努力対効果とか実施対効果なんて言うのをやってみたら要らないものがいっぱい出てくる気がします。

職場でもそうです。
就業規則という明文化された立派な決まりがありながら、職場単位に勝手にローカルルールを作ってその遵守を強要したり、総務などが勝手な解釈をつけて制限を設けたり規制したりするなんていうのも良く見られます。

私は30余年アメリカに住んで仕事をしています。
仕事は日本の会社でのもので、日米間を行き来して仕事しています。
日本の職場でもアメリカの職場でも仕事をし、アメリカの大学での研究、アメリカのプロの教育を行う専門機関での勉強などを経験してきました。
子供はアメリカで生まれ育ち、学校はずっと当地の公立校で、今は州立大の7年生です。
当地にある日本の補習校にも小学校から高校まで通いました。
家内は子供と同じ州立大を出て特殊境域の教員として当地で働いていました。

私たちがあなたの質問を見て話しあって行きついたことを総じていうなら『学校にしろ会社にしろ、日本の世界ではそんな例を見ないところがないほどと感じている』ということです。

こと学校に限って言えば、少なくともウチの子や家内が経験した当地の学校ではこうです。
手元が怪しい小学校なんかは別にして、中学校ぐらいからはクラスに飲み物を持って行っています。
ただ、机は天板(一番上の板)が小さいですし、ディスカッション用の椅子に付いたテーブルはもっと狭いです。
なので、『机の上に出しっぱなしはなし』が明文化されてはいないけど『当たり前のマナー』で、皆ふたの閉まるマイボトルに飲み物を入れて持って行っています。
中身は自由です。
まぁ、お酒を持ってくる子はいないでしょうが。

ただ、スナックなどの食べ物はダメ。
それはお昼の時間にカフェテリアでしか食べれません。
これは社会生活上の基本的なマナーだからというのが理由です。
それ以外は、髪型も、着る服も、履く靴も、かばんも制限はありません。

日本にありがちな『そんなものに気を遣うぐらいなら勉強しろ』というような精神論は当地では通用しません。
それは個人の価値観、自己責任の問題で、それでもいい成績を出せる子もいますから、それらの相関は証明できないというわけです。

社会人になってもそうです。

社内の会議だろうがお客さんを入れた社外との会議だろうが、私の職場では皆マイボトルや自販機で買った飲み物などを持参で参加します。
時には誰かが出張で遠方に行き、そこの土産を買ってきたので広げてみんなでつまむなんてこともあります。

私は1~2年に一度、1~2週間の休みをとって自費で専門技術の教育を受けに行きます。
学生に戻った感じで専門機関で勉強しますが、このようなところでは少人数なので広い机が使えるので、飲み物はおろか食べ物持参で参加します。

そう言う場ではディスカッションで意見を戦わせたりするのが大事です。
そんなシーンでは、片手にサンドイッチを持ったりバナナを持ったりして議論します。
教科書やメモに、バナナのカスやポテトチップスのかけらが挟まったり、油のシミなんかが出来たりしますが、皆そんなのそっちのけで議論します。

一度日本の講習会に参加したことがありますが、一方的に講師の話を聞くだけで議論の『ぎ』の字も出ずにシーンとした雰囲気には驚きました。
これって『お行儀がいい』って褒められるためにやってるんですかねぇ、と聞きたくなっちゃいました。

まずは目的意識を持つ。
目的達成までのプロセスを気持ちよくこなせるようにする。
常識でもない勝手なルールや精神論は持ち込まない。
これが大事と思います。
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私が勤めている小学校では、熱中症予防の観点からこまめな水分補給が推奨されています。

特にここ数年の夏の暑さは尋常ではありませんし、ましてやコロナウィルス対策でマスクを着け続けなければならないことによって、気づかないうちに子どもたちが脱水症状を起こさないためでもあります。

そうした判断は学校長に委ねられているようです。ですから、学内で有志を募って学校長に方針転換を迫ってみるのもいいのではないでしょうか。
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