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周防国を支配していた大内義隆も、主君に謀反して殺害した大内氏の家臣の陶晴賢も、百済から来た朝鮮から来た人だということですが、大内義隆も元々朝鮮人で、それを殺害した陶晴賢も、大内氏の一族だったというのは、朝鮮では謀反が当たり前だったからですか?
最終的に、大内家の新当主に陶晴賢が擁立した大内氏最後の当主も、大内氏家臣の毛利元就に謀反され衰退しています。その後毛利氏が支配し、子孫が長州藩の藩主となりました。
明治維新という幕府への謀反を起こしたのも、長州藩です。

A 回答 (2件)

幼稚な俄かの朝鮮ヘイト。


こんなのにお仲間を気取られる保守に同情。
そもそも、理屈も破綻しているし。


>朝鮮では謀反が当たり前だったからですか?
>明治維新という幕府への謀反を起こしたのも、長州藩です。

明治維新は毛利氏(≠朝鮮)によるものですが。



B:>大内義隆も元々朝鮮人で、

あなたの脳内の「元々」の定義や範囲が非常に不明。
周防大内氏は百済の聖明王の後裔と称していますが、
そうだとしても、それから何代経っているのやら。

あなたの脳内では、一滴でも血が混じっていれば「彼ら」なのでしょうか。
だとしたら、この世の理とは何という残酷なものなのでしょうか。
「なぜ山口県は、謀反を起こす人が多いのです」の回答画像2
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朝鮮が云々というのは関係ないでしょ


下剋上の時代では周防に限らず日本各地で謀反が頻発していたのですよ。

謀反が頻発していた国の例→甲斐:武田領
信玄の父親信虎の時代、国人の小山田氏、大井氏、穴山氏などなどは
たびたび守護の信虎に逆らって武田氏の御威光は甲府の周辺にしか及ばない時代がありました。誰だったか忘れましたが、国人の中には駿河と組んで甲斐を荒そうとしたものもいたほどでした

そして、信虎は嫡男 晴信(信玄)の謀反によって甲斐国主の座を追われましたよね
その信玄も嫡男義信の謀反にあいますが、こちらは謀反が失敗
処罰した義信に「謀反という大罪を犯したもの」という意味の戒名をつけて葬るという結果になりました

武田氏の歴史を見ただけでも謀反が頻発していたことことが分かるはずです

これは甲斐国に限った話ではなくて、お隣の美濃では
斎藤道三が守護の土岐氏にたいして謀反をおこし追放していますし
その南 尾張では 守護代の織田氏が 守護をさしおいて国主の座を奪い去っています

もっと重大なところで言えば
将軍足利義輝も 三好三人衆に謀反で殺されていますし

戦国時代は謀反だらけであったのです
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この回答へのお礼

そのことは私も気になっていました。新羅神社と源氏の新羅三郎義光が係ったのは、何故でしょうか?

お礼日時:2021/07/22 16:01

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