gooドクター有料プランが1ヶ月間無料!

祖父が東京教育大学の教育学部卒業です。
最近の若者には大学を聞かれ、東京教育大学卒業と
言っても通じない。
筑波になってから、レベルが下がったから筑波の
母体となった大学卒とも言い難い。と言っています。
当時の東京教育大学教育学部は、今の何大学と
同じくらいのレベルなのでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • ちなみに4.50年前は東京大学に教育学部が
    なかったというのも本当ですか?

      補足日時:2021/08/01 13:24
gooドクター

A 回答 (11件中1~10件)

どなたかが当時の国立大学の学費は5万円と書かれていましたが、間違いです。

私は1970年に国立大学に入学したものですが、年間の学費は1万2千円でした。東京教育大学は一橋大学や地方帝大に匹敵するトップクラスの難関大学でした。
    • good
    • 0

お祖父様が入学したのが1965年ですか。

ということは、いま74歳くらいですかね。
東京大学教育学部の設立は1949年なので、お祖父様が大学進学の頃に東京大学に教育学部がなかった、というのは事実ではありませんが、東京大学など旧帝大の教育学部は教員養成系ではなく教育学の研究を目的とする大学なので、そういう意味でおっしゃったのかもしれません。
歴史としては、東京高等師範学校→東京教育大学→筑波大学、ですが、1965年当時の東京教育大学は東京高等師範学校の後継という意識が非常に強かったでしょう。高等師範学校は師範学校よりも地位が上で、東京高等師範学校は全国の教員養成系ではトップだった学校です。お祖父様にはそのプライドがあるのです。
東京教育大学になってからも、旧帝大は教育学研究が目的で教員用政経とは性質が異なるので、東京教育大学は「教員養成系大学ではトップ」という位置づけでした。
1965年当時はいまとは大学進学率も全然違いますし、教員の地位や志望者もいまと異なりました。だから、「今の何大学と同じくらい」と比較すること自体が無理な話です。
いまのように「教員になる気はないけど、偏差値の関係で教育学部に行く」というような選び方をする人もほとんどいなくて、高等師範学校を出て教員になろうという人は、地元で優秀な人や地元の名士の子が多かった時代です。

高等師範学校系の大学は、筑波大学に限らず、総合大学の一学部になったことで、相対的に地位が下がっています。例えば、お茶の水女子大学は旧・東京女子高等師範学校(女高師)ですが、女高師時代は「女性の東大」と言われる女子の最難関でした。もちろん共学の大学がなかった時代の話ではありますし、お茶の水女子大はいまでも難関校の一つではありますが、女高師時代を知る人からすれば、相対的に「地位が下がった」と思うでしょう。
逆に言えば、若い世代は、当時の高等師範学校がどれくらいの地位だったか、いくら説明されてもピンとこないと思います。いまの大学とは役割も位置づけも異なりますからね。

なお、お祖父様やそのご友人が大学の名誉教授とのことですが、それは大学教授を長年勤めて退職した人に贈られる称号です。つまり、お祖父様もそのご友人も、元・大学教授ということです。
大学教授には、大学の学部を卒業するだけではなれません。大学院に行って修士以上の学位(理系ならば博士号)を取らないといけません。お祖父様の時代だと、文系や教育学の場合は博士号を取るのが難しく、修士号だけで大学教員になる人が多かったと思いますし、教育学部の場合は現場で経験を積んだ実務家教員もいるので、必ずしも博士号を持っているとは限りません。いずれにせよ、学位だけでなく、その分野での継続的な研究業績が必要です。
お祖父様やそのご友人のことを、卒業した大学と学部のレベル(偏差値)だけで考えようというのも、どうなのかなと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

つまり学校のレベルは東大ほど高くはなくても、その過程やその後の過程がめちゃめちゃ凄いということですか!!それでいて怪我で出れませんでしたがオリンピック出場が決まっていた祖父、尊敬です(≧∇≦)

お礼日時:2021/08/02 07:46

比べるのは難しいですが東京学芸大の少し上くらいでしょう。



東京大学教育学部の設立は1949年です。
    • good
    • 0

あとおじいさんの言うことは(事実ではないとしても、感覚としては)正しいのですよ。



当時は地元国立、特に帝大がベストでした。東大行けても帝大に行くし、医者が大儲けできる時代はもう少し後なので、猫も杓子も医学部目指す時代は80年代以降ですよ。

そもそも大卒が20%しかいない時代で、

そして、東京から人は来ないし、東京にも行きません。
情報はテレビくらいです。
お金がないから東京(というか遠方)の大学に行くこと自体が不可能です。

だから、特に田舎だと先生は大卒だ、すごいな!

旧師範卒だ、すごいな!てなるのですよ。

それだけですごいのですよ。田舎では、最優秀な人が師範に行ったわけですから。

そういう大人や友達しかいないし、おじいさんの感覚は変ではないんです。
都会の人間ならまた感覚は違いますが。

ちなみに僕の地元の関西は、武田やツムラのような製薬会社や、
適塾があり医者の価値が高かったのと、パナソニックや川崎があったので、割と理系人気はありました。
近年では関東でも医学部やコンピュータ人気あるみたいですけど、長いこと関東(受験生のメイン層は)、
ド文系のイメージですね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

そうなんですか!ちなみに祖父の知り合いに東京教育大学の体育学部を出て今普通の学部で名誉教授をしている人がいるのですが、体育学部は今で言うどのレベルが分かりますか?

お礼日時:2021/08/01 14:22

おじいちゃんのほらだね、まあ話しだけはきいてあげなよ、おじいちゃん孝行だと思ってさ

    • good
    • 0
この回答へのお礼

でもまあ、難関大学有名学部の名誉教授をやっているので、凄いことには変わりないと思ってます!

お礼日時:2021/08/01 14:15

ちなみに↓は1972年なんです。


つまり、60年代はもっとむずかったと思われます!

なぜなら、
1960年に池田勇人が所得倍増計画を発表し、バブル化していきます。
特に民間企業はエグくて、売上も規模も給与もどんどん上がっていきます。
だから70,80年代は商経学部とか選んで、大手サラリーマンになりたがったわけです。
民間に行けば、下手したら公務員の2,3倍も稼げるわけですから。
今とはノリが違うんですよね。


つまり、教師など公務員人気は1975-1990くらいで、どんどん下がっていった時期なんですね。
ちなみに93年のバブル崩壊で工学部など実学系や公務員は、また人気になります。

医学部人気も変遷ありますね。
90年代のバブル崩壊不況で一気に国立理系人気にシフトしつつあったのが、
2003年にソニー株のストップ安、いわゆるソニーショックがあり、2011年に三洋電機が破綻しました。
そこで、エンジニアはオワコン?て感じた理系受験生はこぞって医学部に殺到したって感じですね。
その流れは未だに続いてます。
上記の表では、理学部の偏差値が医学部並みなんですね。
なんか時代の流れを感じます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ちなみに祖父が入学したのは1965年です

お礼日時:2021/08/01 14:13

補足→事実です。


おじいさんの言うこと→事実です。

1872年に師範大学として成立しました。1973年に筑波大学として茨城県に移設されますが、これは激しかった学生運動のせいと言われてます。
当時の、学生運動は東大や各種医学部などインテリがこぞってやってました。そもそも共産主義というのがエリートの学問でして、理解すること自体が難しいですから、当時のエリートの象徴みたいなものですね。
政府は東大の移転も画策してたようですが、それくらいエリートと言う扱いだったということですね。

というか師範学校(ほかに広島、お茶ノ水、奈良女子など)がエリートですから。
医者と同じでして、先生=賢い、という感じです。

教育は国を挙げて支援してましたし、戦前戦後のエリートには文学部などが多かったです。
実学系の理系、工学部などはエリートには馬鹿にされてましたね。

当時は偏差値と言うものはなく、大学受験では、旺文社の『螢雪時代』1965年8月号の付録に初めて偏差値が登場します。広がりだしたのは70年代からです。
それまではなんとなくで受けてました。
この根拠になるのは、私立も国立も古ければ古いほど良い、とされてました。今みたいにネットもなかったから「なんか聞いたことある大学」が人気になったわけです。
この場合1872年に成立しており、しかも東京にある東京教育大学は大人気だったわけです。
ちなみに当時の国立は学費がわずか50000円ほど、しかも教師は5年ほど教師として働けば、奨学金を全額返還しなくて良かったんです。お金ない層からしたら特に大人気なりますよね。

反して、戦後にガバガバと地方都市に出来た国立大学が「二期校(現在なら駅弁と呼ばれる)」と呼ばれて、
バカにされてたのも新設だからです。

https://harubou-room.com/hensachi1972/

ちなみに、変わった人がいて1972年の偏差値を調べてます。
東京教育大学の偏差値は58〜60ほどで、東北大など旧帝国大学レベルではあるものの、帝大医学部や東大一工は62くらいなので、それよりは簡単です。
あと現代人的に驚くのは、学部によっては
京大≫東大
なことでしょうか。
(僕の世代でも、東大A判定で京大行くやつなんか割といましたよ。当時はより顕著だったのかなと思う)
    • good
    • 0
この回答へのお礼

えー。当時は東京教育大学教育学部は教育学部の中でトップで、東大も教育学部がなかったため、東京教育大学へ仕方なく行ったどのようなことを話していたため、東大より凄かったのかな!?なんて思っちゃいました…祖父も費用が安かったため家庭教師をやって全額自分で、払ったと言っていました!50000円は良心的すぎますね!

お礼日時:2021/08/01 14:09

筑波大学レベルでしょう。


東大教育学部は少なくとも40年前にはありました。
50年前は知りませんがたぶんあったと思います。
東大の教育学部は教育学の教育を研究するのが目的で教員養成が目的ではありません(旧帝大は皆そう)。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

そうなんですか?当時は東京教育大学が教育学部のトップで東大はまだ教育学部がなかったから、東京教育大学へ行ったと言っていたのでもっと凄いのかと思ってました

お礼日時:2021/08/01 14:04

筑波大学と東京教育大学は同列ですよ


東京教育大学は今の東京工業大学と同レベル?
いや、そこまではハイレベルではなかったでしょう
    • good
    • 0
この回答へのお礼

そうなんですか?当時は東京教育大学が教育学部の中でトップで東大はまだ教育学部がなかったから、東京教育大学へ行ったと言っていたのでもっと凄いのかと思ってました!

お礼日時:2021/08/01 14:03

うちのばばぁ~のお姉さんが師範学校出て


混乱の中、ばばぁ~がそのもののです。

今の教育レベルで中学3年生くらいです。
中には高校1年位学べた子もいたかもです。
    • good
    • 1

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています

gooドクター

このQ&Aを見た人がよく見るQ&A

人気Q&Aランキング