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22卒理系(生物系)大学院生です。就活で研究職に就くことができず、とても悔しく、やるせない気持ちです。

私は中学生の頃にあることがきっかけで、研究に関心を持ちました。
その頃から「将来は理系に進んで、大学院まで進学して、将来は研究職に就きたい」と考えるようになりました。

それから国公立大学の理系学部に進学しました。
大学に入学してから、博士課程進学は将来の不安や家庭事情などからやめることにしました。
そのため、修士課程を出て、企業で研究をしようと思うようになりました。

学部時代はサークルに所属せず、学部の勉強を頑張っていました。研究職に就くには勉強は当然重要だと思っていたからです。
大学院は同じ大学の院に進学しました。学部時代から所属している研究室で研究に精を出していました。

ついに就活をする時になって、M1~M2の期間、ずっと目指してきた研究職に就くために、就活では研究職をたくさん受けました。多くの企業でESやwebテストの段階で落とされました。

面接に進むことができた企業でも、面接で実際の研究職の方と話したりして、私は研究職に向いている性格ではないし、研究でやっていける能力も無いと気がつきました。

最終的には専攻とはまったく関係ない、文系の人でも就職できるIT企業のSEとして働くことになりました。

就活の過程で、研究は向いていないこと・研究よりも他に適職があることに気がついて、方向転換したからです。

私の性格に向いている職種を選ぶことができて、良かったとは思っているのですが、「中学の頃から、将来は研究がしたいと考えて、そのために頑張ってきたのに」と思うと、とても悔しいです。

また、大学院の同期が製薬業界や食品業界の有名企業の研究職に就職が決まっているのを知ると、さらに悔しさを感じ、自分の能力のなさにやるせなさを感じます。

それに、学部の頃から勉強を頑張って「研究職に就きたいから院進学する」と具体的な目標を持って進学した私とは違って、その人たちはなんとなく大学院に進学した人たちで、学部の時にも勉強を頑張っていた人たちではありません。

「どうしてそんな人たちが研究職に就けて、私には無理だったのか...」と悔しいです。


自分のエゴなのでしょうか?

また、理系の院生で研究職に就職できなかったことを悔やんでいる私はおかしいのでしょうか?周りの動機に嫉妬しているだけなのでしょうか?

A 回答 (3件)

エゴと言えばそうなのかもしれません。


夢を叶えられなかった事を悔やむのはおかしい事ではないですが。

好きな仕事、やりたい仕事を実際に出来てる人はそう多くないです。
本来仕事なんてやりたくない人が大半ですし、
そもそも仕事がないなんて人もいます。

どこか自分は特別だと思ってるから出る思いなのかと思います。
国公立の理系に進んで院まで進んでいっぱい勉強してきた自分はそんじょそこらのヤツとは違う!という思いがあったんではないでしょうか?
自分の努力に対してプライドを持つのは悪い事ではないと思いますが、
それが過ぎると宜しくないと思います。

それに周りの人がどんな思いで過ごして来たかの本当の所はわかりませんよ。
実は見えない所で将来の為に頑張っていたかもしれません。
それは勉強以外にも先輩などに話を聞いたりコミュニケーション能力を磨いたり、コネを作る努力であったり、情報収集したり、といろいろ考えられます。
それもある意味大事な努力と言えると思います。
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プロファイルの様な年寄です。


私はちょっと変わった経歴で今のところに暮らしています。
その経験から思うに、ふたつのことをコメントしようと思います。

ひとつは、日本の多くの会社は、学生時代の実績を評価・利用しようとはしないという事です。
そしてもうひとつは、あなたは他の人とは違う、他の人より優れた、実績に裏打ちされた、即戦力の『ワザ』をお持ちでないということです。

多くの学生さんが誤解していることに『日本型能力主義』があります。
ご興味があればネットででも検索して見られてはどうかと思いますが、日本の雇用形態は『メンバーシップ型』と呼ばれるものです。
その反対が『ジョブ型』で、こちらが欧米に見られる『能力主義』ですが、みなさんは日本の会社が言う『能力主義』をこれと誤解しているのです。

日本型の場合、その人が理系の出だろうが文系の出だろうが、会社に入ったら会社が自社環境に合うようにしつけ・訓練します。
それに合う人を採用するというのが現実の日本企業の採用活動です。
だから、専門性よりも『がんばりまぁ~す』のほうがウェルカムなのです。

では『ワザ』を持った人はどうしたらいいか。
自分を求める人を探すか、『ワザ』を見せれる機会や場所を探すか、自分で起業するか、などに出るしかないと思います。
この場合は学歴は二の次です。
実績と、『ワザ』をその場で見せれるか、です。

私は小さいころから電気工作でオーディオアンプや通信機を自作して楽しんできました。
それが高じて工学部に進学しましたが、そこにはいっぱい同じようなのが居ました。
そこで、私は電気を必要とする『別の専攻科』に進みました。

その一方、まだ黎明期にあった半導体や優れた信号処理などの技術についてのアメリカの文献に触れ、それを勉強し、それを仕事にしたくなりました。
当時日本のその専攻科はなかったので、それからは独学で勉強したり自作で確かめたりしていました。

そして社会人になるときも、そこでの仕事はどうでもよく、アメリカに行ける可能性で選んでました。
なにしろ、40年以上前の日本と言えば、為替レートが 250 円前後、ビザなし渡航も格安航空券もありませんから、自分で行くことは難しすぎましたから。
そのために、可能性を高める転職も経験しました。

転職先では幸運がありました。
転職早々に配属されたプロジェクトが壁に突き当たっていて、それが私の得意技で解決できるものだったからです。
それを解決して私は新しい会社に居場所を得、その後、アメリカの機関と新技術の研究開発の共同事業を始めることになり、その時の実績から駐在派遣の機会を得ることが出来ました。

当地に来てからも幸運がありました。
当地の仲間が進める我々の仕事とは無関係のプロジェクトで壁に当たっていたのです。
この壁は私がずっと独学で進めてきた勉強を使えば解決できるものでした。
ただ、実戦で使うのは初めてなうえ、満足させなければいけない要件に対してすることが多いという難問でした。
しかし、もともと一人で多くのものをこなすのは自作で慣れてましたから、仕事以外の時間を使って無報酬で手伝ってやりました。

予想以上にお金と時間を使ってしまいましたが、それも何とか実現してやることが出来、仲間もそれを使っていい実績が挙げられたと喜んでくれました。
そんなこともすっかり忘れたある日、その仲間のずっと上の方から呼ばれました。
私の手伝いの技術的意味をよく理解してくれたようで、私がそれを使っていろいろやりたいという事も知っていました。

そんな人から言われたのは、ご褒美に、日本の会社の顔色など見なくてもアメリカに好きなだけ居られるようにしてくれる、という事でした。
それで今の私があります。
他の人に出来ない『ワザ』を持つとはこういうことと思います。

当地は日本にはない『ジョブ型雇用』の国です。
『ワザ』さえあれば、学歴も年齢も、性別、人種、国籍、宗教、言語なんて関係ありません。
そこには、日本の方々には受け入れられないような『能力主義』の姿もあります。
要はそのスタイルの意味をよく理解して対応する必要があるという事です。
なにしろ、それが社会だからです。

別の例を紹介します。
ウチの子どもです。

当地で生まれ育ったので、ジョブ型の世界の人です。
今は大学院で8年生です。

当地では小中学校で大人になるという事をしっかり教えます。
『暮らす』とはどんなことで、『それに必要なものやお金はどのぐらいか』に始まり、社会にはどんな職業があり、そこではどんな収入や福利厚生が得られ、その職を得るにはどうしなければならないか、などです。
当地では高校までが義務教育で、子どもたちは高校になるまでに、自分はどんな仕事についてどんな暮らしをしたいかを決め、それに向けて準備をする覚悟をします。

大学に進む子は、どこの大学を狙い、そのために高校時代に何をするかを考え、それを実行します。
当地では大学に入試はありません。
日本の統一試験の様なのはありますが、『高校卒業相当の学力がある』ことを認定する試験なので、入試の様な『選抜』を目的にしていません。
試験は年に何度も行われ、得点に合点がいかないと何度でも受けることが出来、実績はその一番いいものを使えます。
なので、そこそこの大学に進みたい子たちはほとんどが満点近い点になり、それでは差がつきません。

そういった子が競うのが社会活動です。
理系で言えば、多くの場合、企業や財団などが主催する学生研究の懸賞論文へのチャレンジです。
この実績が大学への志願者の『選抜』に使われますから皆真剣です。
そういうものですから、夏休みにちょっとやる自由研究とはわけが違います。
自分で見つけた課題に対し、仮説を立て、その検証を理論を組み合わせて考え、それに必要なデータを得る実験を企画し、試作・試験・解析・評価を必要なだけ繰り返し、得た結果をまとめて仮説に対する答えを導きます。
全体は国際学会にも通用する論文にまとめて提出すると、体裁の評価、客観性の評価、文章・図表の評価、論理展開の評価などを受けて合格すると『受理』され、専門家の『査読』に回されます。
懸賞ですから賞を頂けば高い評価を得ますが、受理されただけでもかなりの良い評価を得ることが出来ます。

こんな子が大学に入ると、子どもたちは勉強に専念します。
その時に日本と大きく違うのがインターンシップが大事にされるという点です。

日本では就活の一部として1日とか、せいぜい1週間ぐらいの企業訪問をインターンシップと呼んでいるように聞きますが、当地では1年以上はざらにあります。
それも、企業だけでなく、1~2年生が3~4年生や大学院生がやってる研究の助手をしたり、他の大学の研究室の助手をしたりするなんて言うのもあります。
ウチの子の場合は高校時代の懸賞論文で受理まで行けた実績から、1年生から大学院の学生の研究に混ぜてもらってました。

当地では、こんな研究にスポンサーが居るのは当たり前です。
そこで研究の手伝いをするという事は、そういう企業ともつき合うという事になります。
大学院生や教員・研究者たちの学会での論文発表を手伝ったり、そう言った人達がつき合っている企業に出かけて行って実験や解析を手伝うなども頻繁に行われています。
これは子どもにもスポンサーにも大事なことで、そんな活動を通し、能力を発揮したり、能力を正しく評価したりという『互いを知る』ということになっているのです。

その結果、当地の子には日本のように会社をいっぱい巡る『就活』はありません。
そんな時間があったら、勉強したり研究に専念します。

ちなみに、ウチの子どももあなたと同じ生物系です。
バイオメディカルが専攻で、それと並行して工学も専攻にし、大学院は医学部に居ます。
同じ事が出来る人を作らない選択です。
ウチも裕福ではありませんから、大学1年のころから学費は全額奨学金でまかなってくれてます。
当地は州立大でも学費は年額400万円以上ですから助かってます。

『能力主義』を簡単に口にする人が多い気がしますが、真剣にそうしたいならこうなんですよ、と言うのが言いたい事でした。

質問にもどりますが、もう少し相手が望むことに思いをはせ、望まれようとしてみてはいかがでしょう。
それがあなたの興味の持てるものであればもう少し前向きになれるのではないかと思います。
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例えば、あなたが研究者になって、仕事をしている中で「堪えられない」状況になる可能性は何処くらいなのでしょう?仕事を続けられなくなる可能性は?



「性格的にむかない」と思ったのならば、可能性はかなり高いのでは?

子どもの頃からなりたかった物なのだから、諦めが付かないのは普通のことですが、子どもの夢が叶った人など、かなり少数です。職を失う人が多い中、内定を獲得できたことは凄いことだと思うのですが。
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