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織田信長や豊臣秀吉、徳川家康は現在でも超有名人だと思います。しかし、この三人が実際に生きていた時代は、どれくらいの知名度だったんですか?信長や家康と同じ時代を生きた人々は、彼らのことを知っていたんですか?

A 回答 (8件)

一般人のそういう記録はふつう作られないし残らないから、推し量ることもできないね。



公卿とか知識層とかは間違いなく知っていた。
知らずに政はできないし上流サロンに加わることもできない。

大名や武将は言わずもがな。
自分の商売のことだから。

商人も別の意味でかなり知っていたと思う。
商売の基本は「あるところで安く仕入れ別のところで高く売る」だから。
広く世界を知っていないととても成り立たない。

農民は、自分の国は知っていたし隣の国くらいは知っていたと思う。
なにしろ隣の国が攻めてくれば田畑は荒らされるし家は焼かれるし「人取り」に遭って連れていかれてしまう。
最悪槍のサビにかかって殺される。
「どちらの勢力に味方すれば生命財産を保てるか」はつねに考えておかねばならなかった。
一方、遠い国のことを知っていてもしょうがない。
農民は地面とともに生きる人間。
今ある土地を守る方を考える。
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テレビ、ラジオ、インターネット、新聞は当時なくて、一般の農民や商売人、職人などは文字も読めないし、「織田信長」や「豊臣秀吉」「徳川家康」などという名前では呼ばれることはほとんどないので、個人としての知名度はほとんどないでしょう。

 「今の日本で、オーストリアという名前は聞いたことがあるでしょう。どこにあるのでしょう。オーストリアの政治面で影響を行使できている人を何人か知っていますかと質問したような状態」と同じことが、「織田信長や豊臣秀吉、徳川家康が一番活躍していたときの日本」でもあると考えたらいかがでしょうか。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC …
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お上(天皇)の存在は知っていても、名前は知らない時代ですから、


全国区ではないでしょう。
農民は誰が領主に、なろうと年貢を取られ事に変わりが無いですから。
農民の関心事は年貢を取られる割合だと思います。
豊臣秀吉は太閤検地で、農民から年貢を絞り取り、大阪城に、
貯め込んだから、全国区の有名人だったかも知れません。
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家臣と統治下領民と統治外領民とでは意識がだいぶ違うと思うんですけど


どの辺を前提にした話なのかな・・・・
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名前は聞いてはいるけど、誰かは知らないはず。

見たことないひとがほとんどの世の中。だから、影武者が役に立つ。本人と影武者で領地の視察などしたら、同じ時刻に数ヶ所に出れるから、神業的伝説が出来る。情報の伝達網が未発達の時代はやりたい放題、しかし今の影武者説は全くのデタラメ。笑いばなしだ
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マスコミというものが無かったので、百姓や領民にとっては全く関心の他だったはず。


殿様が各地にいて、勢力を争っていると言うことはわかってはいても、その殿様がどんな人かなんて知ったことでは無いだろう。
実際の家来衆ならおぼろげながら知ってはいても、下位の武士たちにとっては雲の上の存在で、顔を見たことも無いと言うものが殆どの筈。
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当然、顔は知らないけど、名前は知ってたはずです。

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自分たちの大将ですし,少しは知ってたでしょう

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