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明治時代の教育について、江戸時代との違い、大正時代との違いなど詳しく知ってらっしゃる方教えていただきたいですよろしくおねがい致します。

A 回答 (4件)

no3です。


質問者の方が調べるのなら明治時代の「学制」や「教育令」などをお調べください。旧帝と言う言葉もヒントになると思います。また大正期の教育については、高校などの授業ではあまり触れませんが、原敬の教育改革などを調べらtれると良いと思います。
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no2です。

少し長文になります。
江戸幕府と明治政府の教育の教育の違いは、教育内容です。江戸時代の教育は、武士の公教育は基本的には思想教育でした。藩校などで、実学を教えていたところもありますが、ほとんどは思想教育で、実社会に役つ教育は「私教育(寺子屋)」でした。それを学んだ庶民が、江戸時代の商品経済や農業生産を支えました。
それに対して明治政府は「実学重視」の教育内容を打ち立てます。また帝国大学中心にフランスやアメリカの教育制度をまねて、国民全体に御教育を行層としました。その中心の考え方は「欧米の技術に追いつけ」と言うことで、そのために欧米から高額の賃金で外国人を雇い入れ、社会を牽引する層が実学を学んだということで、教育制度もそうしたか形をとりました。そこには中国の「儒教的・形式的」教育からの決別と帝国主義・資本主義経済への参入という意識が強く現れています。
また公教育層も拡げられ庶民にも公教育の機会が与えられ「社会に役立つ人材」を広く集めようと考え「私教育」と「公教育」が融合して有能な人材を見つけ出そうとしています。因みに公教育の普及に「寺子屋」が果たした役割はいい気かったと言うことです。そうした教育環境の激変で「学問」をつければ出世できるという考え方が生まれ、明治時代の後半までには、「公教育」が広く受け入れられました。大正時代になると、広く公教育が普及される一方で、「大正デモクラシー」と言われる時代を迎え、政府が軽視した思想教育のほころびに危機感を持った政府が、思想教育に力を入れていったと言うことです。大正期に庶民は「実学」意識が一層強く、そうした締め付けを多くの庶民はあまり意識していないと思います。そういう意味で「自由な教育」が行われたのは「明治時代中期」と言うことになると思います。実際、この時代に発表された自由主義的政治論文が、昭和初期にはことごとく批判されていることでもわかります。
1と2が混ざったような内容になってしまいました
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この回答へのお礼

ありがとございます!!
他にもまだ知っている豆知識など教えて頂きたいです!

お礼日時:2022/01/14 15:15

どのようなレベルで知りたいですか?またどのような点を知りたいですか?


レベル
1義務教育レベル
2高校レベル
3大学受験レベル
4歴史に興味のある社会人レベル
ポイント
1幕府や政府の教育制度
2一般的な教育に対する意識
3教育の目的や内容
こうしたことで回答内容が、大きく変わってくると思います。もし全部と言えば、この回答欄では足りません
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。ポイント1を教えていただきたいです

お礼日時:2022/01/13 14:13

教育史をひもとかれては?



明治5年の学制を始めに教育令、学校令が明治に発令されるまでは、寺子屋などで読み書きそろばんは教えられていました。しかし、それは都会の話で、田舎では教育は武士階級の特権でした。京都の亀岡でさえ、豪農(半士半農だったかもしれません)が寺子屋を開いて教えていた位なので。

世界的に見れば、あの時代に庶民が教育を受けていた(それも算数分野ではかなり高いレベルまで)のは日本ぐらいかと。その後の識字率の高さにも影響しているのかと。

大正時代はデモクラシー運動の影響で、女子や障害者への教育も進んでいきました。
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