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石橋湛山らが提唱した朝鮮など植民地の放棄、平和的な経済的発展などの政策は、なぜ当時の日本人には理解できなかったのですか?

A 回答 (3件)

一言で云えば早すぎた。



湛山の思想は戦後民主主義にで云えば、浅沼稲次郎などスター代議士が揃っていた全盛期の日本社会党にも近かったが、今でいう自民党ハト派という現政権の岸田首相の母体だった自由党の論客として政治家をスタートさせた。

自由民主党時代にしても、対米追従ではないという毅然としつつも、日本保守政界にあっては異色の不思議な政治家だった。
脳梗塞に見舞われて政界を引退した後も、政治活動は続け、訪中して周恩来と会談して共同声明を発したのは、田中角栄の日中共同声明の20年以上も前の話だ。

その頃でさえ、いったいどれほどの日本人が湛山を理解していただろうか。
湛山は、日本として何を為すべきかを雄弁に語り、実際に実行していく政治家だった。返す返すも首相在任中の脳梗塞発症が惜しまれる。
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この回答へのお礼

いつもご回答ありがとうございます。大変勉強になりました。目からウロコが落ちました。

お礼日時:2022/04/26 15:26

いつ、西洋列強に侵略されるか


判らなかったからです。

幕末、上海に出かけた高杉晋作等が
奴隷化されている中国人を目にして
いずれ日本も、という
危機感を抱き、
それが明治維新になったわけです。

明治維新は成功したが、日本一国では
列強に対抗出来ない。

だから、アジアが一丸となって対抗
する必要がある。

これが、西郷隆盛の師であった
島津斉彬の戦略でした。

明治政府はそれを受け継いだのです。

韓国を併合したのは、ロシアから
日本を守る為です。

石橋湛山は、武士では無かった
ので、そうした危機感を抱けなかった
のです。
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日本には友人がいなかったからですね。

ソ連は膨張共産主義、中国はまともな政府がない。朝鮮を独立させても恩を仇で返す国になる。東南アジアは植民地、アメリカは日本を敵と見なしていた。
一旦拡大した軍隊を縮小するのは超困難、日本の人口の90%が農業、小作が大半。科学技術は遅れていて先進ではなかった。
当時では現実的ではなかった。敗戦で強制的にアメリカの庇護の下に実現しました。戦後のGHQ改革のような超法規的暴力的措置を自主的にできないですね。
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