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下記の遷都の流れについて、ご教授のほど、よろしくお願い申し上げます。

① 645年大化改新の際、孝徳天皇は都を飛鳥から難波(長柄豊碕宮)ヘ移した。
② 667年、中大兄皇子は都を飛鳥から近江大津宮へ移した。

上記の記述は両方とも正しいと思いますが、
遷都は飛鳥→難波(長柄豊碕宮)→飛鳥→近江大津宮ということでしょうか
歴史上、他にも都が2回以上同じ所になったケースがあるのでしょうか

A 回答 (1件)

恒久的な帝都を目指して皇宮と大規模な中央政府用建築物が造営されたのは、藤原京が最初。


それまでは、皇宮は天皇が崩御すると焼かれて、新天皇は別の皇宮を建設していた。おそらく天皇の死という穢れを清めるためだったのだろう。

質問文の最初にある「飛鳥」は、皇極天皇が住む「飛鳥板葺宮」で、乙巳の変を受けて皇極天皇は、孝徳天皇に譲位した。孝徳天皇は新たに「難波長柄豊碕宮」を造営したが、皇極天皇は崩御したわけではないので「飛鳥板葺宮」はそのまま残っていた。
そして、孝徳天皇崩御後に皇極天皇が重祚して斉明天皇として天皇位に就くと再び「飛鳥板葺宮」を皇宮としたが、その後斉明天皇は飛鳥地区で「飛鳥川原宮」「後飛鳥岡本宮」を転々と移動し、最後は朝鮮出兵軍指揮のために建設した福岡県朝岡市の「朝倉橘広庭宮」にて崩御した。

天智天皇は「後飛鳥岡本宮」から「近江大津宮」に遷都したが、「後飛鳥岡本宮」も斉明天皇崩御の宮ではなかったので、焼かれずに残っていたということだろうか。また、本来は他の天皇が使った皇宮を新天皇が使うべきではないが、白村江の大敗の影響で新宮を建設する余裕がなかったのかもしれない。

以上のように、原則的には藤原宮以前は、同じ皇宮が複数の天皇に使われることはない。
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この回答へのお礼

丁寧且つ詳細なご回答誠にありがとうございます。大変勉強になりました。

お礼日時:2022/04/24 18:51

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