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好きだった作品制作が出来なくなった経験はありますか?
私は今、作品制作が出来なくなってしまって苦しんでいます。
わたしは人付き合いが苦手で、人付き合いではいつも嘘で乗り切ってきました。ですが、芸術と向き合う時は嘘がつけません。本当の自分と対峙することになります。
この頃、本当の自分と対峙することが怖くなってきて、やってる途中に気が重くなって、どうして自分は自分を愛せないんだろう?と思ってしまいました。作品制作のことを考えるとお腹が痛くなることもあります。

どうしたら、この怖さに打ち勝てますでしょうか?

A 回答 (3件)

それは、外部的な要因で困難になったのではなく、全て内面的/精神的な理由って事ですよね。


イップスって事かな・・・
それなら、治す方法の正解は無いようなので、
しばらくは、引退/休業のように、その制作業務から離れてみるのも良いのでは。

覚悟した人は、道具を全部捨て去って、第二の人生を目指す人も居るようです・・・
脳のリセットですね。
本当にやりたくなったら、新規として、やってみれば良いでしょう。
それで、復帰した人も居るし、完全に引退した人も居るし。
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「自分と対峙」とありますが


ここは
「自分の才能の確認」でしょう

自分の才能を確認することが
怖くなってきて
途中で気が重くなってくるのでしょう

覚悟を決めれば
その怖さに打ち勝てるでしょう
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ジャンル等を問わず創作する場面では、自分自身や自分の内面と向き合うことがどうしても出てくる。


避けては通れない道。
でも、避けては通れないけれど、通る道は選ぶことができる。

例えば、質問文では、「どうして自分は自分を愛せないんだろう?」と思ったけど、別に自分を愛さなくてもそれと同じくらいの質量の別の道を見つければ、創作をすることができる。
愛するという道は避けて通れないわけではない。

”今の自分を現時点では愛せない”という自分自身だから生み出し創作できるのは、今この瞬間しかない。
今この瞬間しか作り出せない作品制作ができる。

逆に、自分を愛さなければ作り出せない作品を作り出そうということは、それは自分自身と向き合っているようで向き合っていない。
偽った自分の作品。
だけど、その苦しみや葛藤があるのも紛れもなく自分自身だから、そこで創作された作品もまた今この瞬間しか作り出せない作品。

質問文では「自分と対峙する」とあるけれど、必ずしも「対峙」しなくてもいい。
別の道として、「自分と向き合う」「自分を見つめる」という方法もある。
「芸術に嘘はつけない」とあるけれど、そう思ってもいいし、嘘をついてもいいし、嘘をつかなくてもいい。
その決定をした自分自身を認めたうえで作り出す作品を楽しめばいい。


それとは別に。
作品制作のために必要な自分の中からあふれ出てくる”ナニカ”が足りないという場合、自分の中の”ナニカ”が足らないのだから自分の外から取り入れるといいよ。
別に人付き合いをする必要はないけど、外の世界へ刺激を受けるような”ナニカ”を探し求めていくのもいいと思う。

作品制作は怖いこともあるけれど、怖いからこそそこに打ち込むだけの価値があるはずだ。
怖いのが普通だと思えるようになること。
打ち勝たなくてもいいから、負けないようにしたいね。

良い作品が生み出されることを祈る。
ぐっどらっくb
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