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戦争をしなかったら
アジアとアフリカの
植民地からの独立はあったと思いますか?

A 回答 (9件)

日本が戦争をしなければ、戦後にあった植民地の独立は


非常に厳しかったと考えます。
ただし、ハルノートを飲めば戦争が起こらないかどうかは不透明です。


・ハルノートについて

現在、ハルノートの内容があまりにもひどく一方的だったので、
日本は仕方なく戦争を起こしたという意見が多くみられます。
実際は戦争回避のための最後の日米交渉で妥協する寸前でしたが、
11月30日の期限までに日本の最終案とアメリカの最終案に
大きな隔たりがあったので、ハルノートの内容は関係なく
戦争回避は無理でした。
ちなみに、ハルノートが出された段階で真珠湾攻撃部隊は
出撃しているので、これ以上の延期は非常に困難な状況でした。

ハルノートが現在の評価になったのは
 交渉にあたった東郷外相が12月1日の御前会議や日記で酷評した
 ハルが陸軍長官に「あとは君たちの仕事だ」と電話した
 東京裁判でのパール判事の意見(実際は弁護人の発言)
などが挙げられます。

ハルノートの内容を酷評されることが多いのですが、
あくまでも個人的に議論の余地はあったと考えます。
中国からの撤兵については、あくまでも「中国」であって
「支那地域」ではなく、この内容が満州国を含むかどうかの
交渉は時間切れで行いませんでした。
日本側は中国・仏印からの撤兵は(期限の問題はあるけど)
考慮していたので、交渉で妥協できる可能性はありました。
南京政府の否認は、南京政権はあまりにも脆弱で
日本の支援なしに成立せず、重慶政府との交渉は必要との意見は
国内にもそれなりにありました。
日独伊三国同盟の否認も、当時は他に同盟する国が無いので
仕方なく結んだもので、締結直前の上海事変の軍事顧問派遣や
南京事件におけるラーベの日記の内容などを見れば
ドイツは日本と友好的ではありませんでした。
近衛内閣時の豊田外相は日米交渉の障害になるので
ドイツとは関係を持たない方針でした。
あえて放棄していれば日本の戦後の評価も変わっていたでしょう。
また、最恵国待遇の付与や資産凍結の解除、為替の安定化など
日本にとっても有利な内容もありました。

この様にハルノートを飲んでも日本が自滅するというものではなく
一時的には開戦を回避できる見込みはありました。
しかし、その後の情勢で何とも言えません、
ハルノートの内容については、Wikiなどでも確認できますので
興味があれば是非見ておいてください。
                                       
 

・植民地の独立について

あくまでも個人的な意見ですが、日本の植民地の宗主国勢力の駆除、
宗主国の大戦による疲弊と植民地内のインフラ復旧の負担の増大
という段階を経なければ、アジアにおける植民地の独立は困難です。
アジアにおける植民地支配に対する独立運動は、極端な話
植民地化後からありましたが特に19世紀以後はそれなりにあり、
大戦が無ければそれが、反政府勢力が急速に力をつけたとか
対応する宗主国の力が衰えることが困難でした。

宗主国が植民地支配に限界があったという意見も散見します。
しかし、実際にフランスはプラザヴィル会議で植民地の
自治拡大を条件に植民地の協力を訴えましたが、
これは建て前で世論は植民地保持派が多数だったので、
独立容認は全く考えていませんでした。
(注:戦前の仏印は日本の軍事力を背景に日本の強い影響力の下
ヴィシー政権のフランスが内政を担当していました)
このため、フォンテーヌブロー会談が決裂したため
第一次インドシナ戦争が起こり、ディエンビエンフーで大敗して
ジュネーブ協定が結ばれたことで結果としてベトナムの独立を
認めたもので、簡単に放棄したわけでも植民地を独立させる意向が
あったとも言えません。

戦争後のオランダは植民地を奪った日本を非常に恨んでいました。
極東軍事裁判(BC級戦犯裁判)では国別比較で最も多くの
死刑判決を出しています。(オランダ226人、英国223人、
豪153人、中国149人、米国140人の順)
また、起訴された1038人のうち無罪はわずか55人
(中国は起訴883人中350人、米国は1453人中188人)と、
開戦当初わずかに参戦しただけで非常に厳しい判決でした。
(ちなみに、フランスはほぼ戦闘していませんが、起訴230人、
死刑26人、無罪31人とこちらもかなり報復裁判となっています)
天皇陛下オランダ訪問時にはお手植えの苗を荒らされるなど
植民地支配を奪われた恨みは厳しいものがあります。
儲からなかったから手放したかったという訳ではありません。

ただし、戦後の人権運動の高まりで1960年の国連総会で可決された
「植民地独立付与宣言」(1960年)において植民地支配が
事実上否定されましたので、独立は可能です。
ちなみに、この時に面と向かっての反対はありませんが
フランスをはじめとする主要宗主国は棄権に回っています。
(現在もフランスなどは社会制度を変えた事実上の植民地である
海外領土を保有しています)
第一次大戦後に日本が行った「人種差別撤廃提案」は今となっては
当たり前に感じますが時代が早すぎたため否決されました。
第二次大戦が無ければ同じように否決されたかもしれません。




・東南アジアの教科書

ttp://www5f.biglobe.ne.jp/~thai/page014.html
(マレーシア国定中学校歴史教科書)
かなり有名な話ですが、1ページ目の写真は日本軍のコタバル上陸です。
以下、日本の戦前の歴史tイギリス軍を駆逐する経緯が続きます。
一方で、日本の統治下における短所も記載されています。
この欠点の部分だけ抽出して「日本の統治は独立に寄与しない」とか
長所だけ抽出して「日本は植民地を独立させた」といわれますが、
日本による統治が良かれ悪しかれ独立に影響したと言えます。

インドネシアの教科書では、インドネシアが独立する上で
日本が果たした役割について以下のものが挙げられています。
・オランダ人が逮捕されたので,これまでオランダ人が握っていた
 職務がわれわれに任せられ,こうしてわれわれは高度の職務に
 経験を積んだ。
・オランダ語が禁止されたので,インドネシア語が比類のない
 発展を経験した。
・日本は青年団・警防団、祖国防衛義勇軍(PETA)の隊列に加わった
 わが青年に軍事教練をほどこした。
一方で、労務者として400万人の犠牲が出たとか、生活が困窮したなど
日本の統治の欠点も述べられています。

ベトナムの教科書(以下の頁などで今回参照するのは、明石書店発行、
「ベトナムの教科書・ベトナム中学校歴史教科書」
 2014.10.15 初版第2刷版です)
8年生の歴史として世界史ではロシア(ソ連)、ヨーロッパ、アメリカ
そして日本を学びます。(ベトナム関係ではなく日本の歴史)
第1部 世界史 第19課 戦間期の日本(1918~1939) (P442~P445)
この中では社会主義国らしく米騒動や労働者や農民の闘争と
一般の日本人にはなじみの薄い田中上奏文(ちなみに偽書です)など
日本が進駐する経緯の原因を勉強します。
第2部 ベトナム史(1858年から1918年)で植民地支配に対する
抵抗を学びます。
日本の統治が良かったとは一言も書かれていませんが、
(むしろ日本とフランスの二重統治で苦しみが増したとか
 日本によって飢饉が起きて200万人の死者が出た(P632)など
 かなり批判的です)
ヴィシー政権が倒れた後日本がフランスの残存勢力を駆逐し、
日本が降伏してフランスが再進駐するまでに独立を宣言し
その後も植民地の継続を企むフランスと交戦して勝利した。
ということが書かれています。
このことから、日本が植民地支配を終わらせたとか、
フランスの植民地支配が限界を迎えて放棄したというものではなく、
大戦を機会に独立したなので、大戦がなければ独立運動が
実を結ぶことなく継続したと考えます。

注:教科書と言えども正確ではありません。
インドネシアの400万人は、労務者として動員した人数で
犠牲者ではありません。インドネシア本国では連合軍の飛び石作戦で
主戦場とならなかったので、死者は数十万人程度と推計します。
ベトナムの200万人は1944年のベンガル飢饉によるもので、
最悪の被害の村々の死亡率を総人口で当てはめたもの。
人口600万人で200万人が死亡する被害なら
その後のインドシナ戦争ではとても戦えません。
ちなみに日本との賠償交渉(1957年)で出た数字は20~30万人です。


ちょっと真面目に書いたので長くなりましたが、
参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

NO9 長文ありがとうございます。

私もハルノートについては詳しくないのですが
ハルはソ連のスパイだったとか
くらいのものです。

>ハルノートが出された段階で真珠湾攻撃部隊は
出撃している

ということはハルノートを足蹴にしているということですよね。

まぁ歴史にたらればはないのですが
ハルノートを呑んでいれば戦争回避ができて
幸せだったのかな?とも思います。

話はかわりますが
ドイツのベルサイユ条約の賠償は
(純金ベースで4万7256トン)であると決定。
「これまで人類が採掘してきた金の総量は約18万tです。
https://yamanaka-bengoshi.jp/2020/02/09/germany- …
より信用。
こういった無理難題を吹っ掛けるから
国民自体が
戦争やむなしの思いにかられるんでしょうね。
これを地道に賠償してたら
今のドイツはあるのかな?
と思います。

戦争はいけないこととわかっています。
が戦争を起こさせた
連合国にも責任はあると思っています。

誰も戦争なんてしたくないはずなので。

お礼日時:2022/09/03 08:06

> >第二次大戦前からすでに儲からなくなっており


> ↑
> ということはもう資源が枯渇していたと?

儲かるとは、かつかつ黒字よりも、十分な利益が揚がっていることでしょう。しかし、植民地経営においては宗主国の支出が多岐にわたっていました。
たとえば鉱物資源を採掘するにしても、まず道路・鉄道・港湾・水道・エネルギーの供給などインフラ整備から始めなければなりません。そうしないと鉱物を運び出せません。
住宅を建て、学校も作ります。というのは、暑いアジアくんだりまで行きたがるヨーロッパ人は少ないから、現地人(ええとこの子など)に教育を受けさせ、技術者・事務員として登用します。「現地人は無知無学なまま放っておかれた」などというのは半分ウソです。
そうすると現地エリートの中には独立運動に加わる人も出て、今度はそれを抑える軍隊・警察の費用もかさみます。

一方、資源が枯渇してなければ収入はあるわけで、たとえばオランダ領東インド(今のインドネシア)は石油を産出しますが、あまり高い値は付きませんでした。たとえば1922年ごろの原油国際価格は1バレル(159リットル)1.61ドルという安さだったそうです。アメリカ産の石油がたくさん世界市場に供給されていたのです。
いや、石油が出ればまだいい方でした。目ぼしい産品がないような植民地(赤字垂れ流し)も、行きがかり上たくさん抱え込んでいました。

ということで、「植民地を持ってればウハウハ」ではなかったし、日本は友好親善に努めて貿易体制を維持するのが得策だったはずです。しかし、折悪しく1930年代から世界的にブロック経済(保護貿易主義)が進行し、対する日本は「力ずくでも資源と市場を取ってやる」と膨張主義に邁進してしまいました。

> 大戦が終わって宗主国との独立戦争が
> 結構起こっていますが
> 宗主国はメンツのために
> 軍費を使って抑え込んだということでしょうか?

そうです、もはやメンツでした。メンツではなく実利を見るなら、たとえばフランスは戦後に仏領インドシナ、アルジェリアなどを次々に放棄していますが、経済的にはむしろ豊かになりました。「栄光の三十年間」と言いまして、1945年から75年までにフランス経済はかなりの成長を見せました。
「フランスは植民地を失って没落した」と思ってる日本人もいるようですが、事実は逆です。
結論として、日本が戦争をしなくても、アジアやアフリカの植民地は独立していたでしょう。
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この回答へのお礼

なんかそれも悲しい話ですね。
日本はABCD包囲網の
抜け道として
独立を建前に資源奪取をもくろんだのに
ガラクタ資源を漁っていたんですね。
やっぱミッドウェーで戦勝して
講和できなかったのが
悲劇だなぁ。

真珠湾でもアメリカの策略(私見)
で空母はいなかったし。
嵌められた感があります。ww

お礼日時:2022/09/02 06:21

無かった、あるいは著しく


遅れたと思います。

第二次大戦は、植民地の争奪戦
でした。

それで勝利した英仏でしたが、
日本ドイツとの戦争で疲弊し、国力が
衰えます。

そこへ戦争で民族意識に目覚めた
インドやインドネシアの独立運動が
盛んになります。

独立運動には、旧日本軍も参加して
いました。

それでインドが独立に成功し、これに刺激された
他のアジアやアフリカ諸国でも独立運動が
盛んになり、あちこちで独立が成就した
訳です。
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この回答へのお礼

同感です

お礼日時:2022/08/31 10:36

誰も「独立した国がある」なんて言ってませんよ。


独立運動が起きていたということです。
フィリピンは独立が約束されていましたが、日本により白紙にされてしまいました。そのため、フィリピンでは反日感情が強かったのです。
その他の日本占領地でも、独立運動家を利用しましたが、独立を望む彼らを適当にあしらって認めようとはしませんでした。態度を変えたのは負けが込んで、現地の協力が欲しくなってから一部地域だけ認め、インドネシアなどでは失望を買っています。
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この回答へのお礼

そうなんですね。

お礼日時:2022/08/31 07:02

「日本が戦争しなかったらアジア諸国の独立はなかった」というのは日本人の思い上がりで、外国人が言う場合はリップサービス(日本のODAが欲しいなど)でしょう。

「植民地の解放」は侵略を糊塗するプロパガンダで、少なくとも4重の偽りでした。

第1に、植民地を持ってれば儲かるという考えは間違いです。第二次大戦前からすでに儲からなくなっており、宗主国はそれぞれ悩んでいました。これは意外と知らない方が多いようです。私も大学の一般教養で「経済史」の講義を聴くまで知りませんでした。
戦後に欧米が独立を容認した(独立戦争を全力阻止まではしなかった)理由も、要はお金です。赤字部門の切り離しです。儲かるなら植民地を手放さなかったでしょう。

第2に、第二次大戦前からすでに日本のアジア観は変質していました。『日本陸軍と中国 「支那通」にみる夢と蹉跌』に描かれています。これは戸部良一の著書で、彼は元防衛大学校教授、専門は日本近現代史です。
それによりますと、日本陸軍の幹部には中国通(支那通)がいて、中国に共感し、中国が立ち上がるのを指導しよう、共に手を取り合おうという夢を抱いていたそうです。
しかし、当時の中国は腐敗して混迷を極めました。そこで蹉跌(挫折)してしまった支那通は、可愛さ余って憎さ百倍、今度は中国侵略のお先棒を担ぐようになるのです。そのあと日中戦争、太平洋戦争につながります。もはや独立を助ける気はありませんでした。
さすが防大教授、旧日本軍を一方的に否定したり肯定したりしません。その変質までも冷静に見つめています。

第3に、マレーシアの中学校教科書には、「日本人はマラヤを、まるで自分たちの植民地であるかのように支配した。今度は彼らがイギリス人の座を奪ったのだ。日本の支配はイギリスよりずっとひどかった」と書いてあるそうです。つまり資源や食料を奪うのが目的で(日本軍の食料は日本から送ってこないので現地で奪う)、真に独立させる気はありませんでした。日本による支配は荒っぽいものでした。

第4に、それなら戦後なぜ独立できたかですが、たとえばベトナムに舞い戻ったフランス軍は、ディエンビエンフーの戦いでベトナム人民軍に敗れました。両軍大きな損害を出したのですが、フランスのほうが耐えられなくなって(前述したように儲からなくなっていたし)、全面撤退につながりました。ベトナム人民軍は中国やソ連の支援を受けています。
また、インドネシアに舞い戻ってきたオランダ軍はインドネシア軍と戦って優勢でしたが、アメリカから援助を打ち切られそうになりました。第二次大戦で疲弊した西ヨーロッパは、戦後、マーシャルプランなどでアメリカから援助を受けていたのです。オランダはそれを打ち切られたくなかったので、しぶしぶインドネシアの独立を承認しました。
つまり、戦後の世界は日本中心ではなくアメリカ中心に回っていた(次いでソ連中心に回っていた)のであり、アジア独立の決め手となったのもアメリカあるいはソ連の援助でした。日本が無力になった後に、旧宗主国が戻ってきた後に、アジア諸国は独立したのです。
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この回答へのお礼

たしかに私は思い上がってます。^^

あなたの全文を肯定するとして
不勉強なための
疑問なのですが
>第二次大戦前からすでに儲からなくなっており

ということはもう資源が枯渇していたと?
そこを火事場泥棒よろしく
日本が攻め立てたということですか?

大戦が終わって宗主国との独立戦争が
結構起こっていますが
宗主国はメンツのために
軍費を使って抑え込んだということでしょうか?

お礼日時:2022/08/31 07:07

当然ありました。


第一次大戦以降、民族自決が世界の潮流となり、各地で独立運動が起きています。
日本はそれを利用しただけです。
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この回答へのお礼

え?
そうなんですか。
太平洋戦争前に
独立した国が
あったんですね?
どこ?

お礼日時:2022/08/31 04:21

あったと思いますね。

日本が参戦しなくても、ドイツは戦争していた訳で、ドイツだけでも第二次世界大戦なので、いずれにせよ国際連合を発足させ、新しい世界秩序を構築するしかなかったと思います。つまり日本が参戦しなくても欧米列強は旧世界秩序を維持できなかっただろうと思うのです。全く同じだとは言い切れないが、アジア・アフリカの独立は無いとまでは到底いえません。
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この回答へのお礼

そうですね。

今頃だったかもですね。

お礼日時:2022/08/30 19:04

>植民地からの独立はあったと思いますか?


すべての有色人種は白人支配されていたと考えます。

そもそも、日本が戦ったのは白人支配からの脱却です。
すべての民族に人権を与えることです。

もし、日本が戦わなければ、アジアもアフリカも中東含めて
白人の国の植民地のままでした。

人としての尊厳がなく、単純労働者として搾取されていたと。
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この回答へのお礼

と私も思います。

お礼日時:2022/08/30 18:40

ハルノート自体が対ドイツ参戦の手段ですからね


今のロシアと一緒で攻め込むように嵌められたという側面もある
ただ、飲んだ場合、イギリスが窮地になるのは明白で
イギリスからの日本への参戦要請があれば、イギリスは植民地を失わない結果となったと思う。
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この回答へのお礼

中国盗られたから
日本には
「もうそんな余力はないよぉ」
って断ったでしょうね。

お礼日時:2022/08/30 19:06

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