アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

昔の話です。
大学受験の際、大阪教育大学を志望していたのですが、センターの判定が悪く、二次試験が小論文だけだったので、逆転が難しいと考え、出願をあきらめました。
他に関関同立を全て受験したのですが落ちてしまいました。
滑り止めで龍谷大学に通りました。
全ての結果が確定した時、母が怒り出し、「龍谷にしかよう入らんのカアアアー!」と怒鳴られました。ねぎらいやおめでとうの言葉はありませんでした。
いまだに当時の事を思い出し、腹が立ってきます。
母の人格について、どう思いますか?

質問者からの補足コメント

  • 母は兄弟が多く、お兄さんが6人いました。その学歴は、年長順に神戸大、関西大夜間、関西大、天理大、龍谷大、関西学院大です。

    母はよく、5番目のお兄さんについて、「あの人はアホやったから龍谷にしか入れんかった」と言っていました。

    そういう母自身は無名の短大卒です。

      補足日時:2023/01/01 15:33
  • 母は「関関同立に入れて当たり前」という思想の持ち主でした。
    私にはそこまでの野心は無かったのですが、無理に合わせて苦しみぬいての大学受験でした。

    No.4の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2023/01/01 16:33
  • 社会人になってから他人に自分の学歴を言った時は、ほとんどの人が「龍谷大?すごいね」と言ってくれました。

    No.5の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2023/01/01 17:21

A 回答 (8件)

勉強ができないことが、私にとってプラスに出たのだと思います。

出来なさ過ぎて、何をやっても、どこをやっても知らなかったところばかり。それは、別な発想をすると、何をやっても、どこをやっても、全て成績向上につながるということです。
秋の予備校内の面接でも、ウソとかお世辞だったかもしれませんが、「これだけ成績が伸びる人は珍しいです。」と言われました。まぁ、他に選択肢もないのですが、そう言われて、また自信のようなものをもち、悩むこともありましたが、勉強につなげていきました。
教え方は、どこの予備校もノウハウがありますから、ある程度、よいという意味では、同じだったのではないかと思います。
生きるために、大切なこと、それは・・・
①ポジティブ思考、
②チャレンジ精神、
③あきらめない心、
それと、笑顔を忘れないことだと思います。
これらを心がけて、生きて行けば、それほど、人生で、踏み外すようなことはないと思っています。
    • good
    • 1

その時の選択肢は1つ。

すぐには、どんな大学への進学も就職も不可能ですから、都内のマンモス予備校に行きました。ひたすら、その地位?からの脱出を考えていました。結果は、W大学や都内の国立大学などに合格しました。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

有難うございます。
予備校の教え方がうまかったのか、ご自身が努力なさったのか、どちらでしょうか?

お礼日時:2023/01/01 17:55

まぁ、大学がその人の最終ゴールではありません。

母親を含め、周りの人に、「龍谷大出身なのに、すごい、たまげた、呆れた!」などと言わせるだけのことです。お母様の言われた言葉は、過去のもの、もう変えることはできません。でも、これからのことは、あなた次第で、いくらでもつくり変えて行けます。
私も、高校時代、模擬テスト242人中、272番。地方の三流非進学校で、学年最下位でした。そして、3年間その実力を維持し続け、毎学期、赤点との闘い。(呆れ果てて、その不動の地位にいることを非難する人はいませんでしたが・・・)
卒業間際に、このままでは、就職はもちろん、生きて行くことも困難、と悟りました。
その後、悟り・・・大手に就職、海外勤務や管理職も経験、高校時代の友人が、信じられないと思うような生き方をしてきたかと思います。
明るい未来に生きるため・・・過去のネガティブな経験に影響されるような生き方とは、訣別すべきです。私にできたのですから、あなたにも、必ずできるはずです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

そのような成績で、どうやって大手に入れたのか、教えて頂けませんか?

お礼日時:2023/01/01 17:40

母親は母親で、隣り・近所・親類・知人から「なんだ、龍か。

それは残念でしたね」って皮肉を言われて悔しい立場に立たされますからね。せめて関関同立と思い、それが口に出たのでしょう。

母親が言わなくても、隣り・近所・親類・知人はあなたに聞こえないところでそう言っているはずです。
この回答への補足あり
    • good
    • 0

あなた的には、おめでとう!行きたかった大学に入れた!!と手を叩いて喜べる結果だったの?


お世辞欲しかったの?
まぁ、滑り止めで「おめでとう」とか、逆に嫌みかとも思うし…
母親もいろいろストレスたまってたんじゃない?当の本人じゃないのに、母親ってだけで回りからもいろいろ言われたりするしね…。
この回答への補足あり
    • good
    • 0

少しでも良い大学に入って欲しいとお母さんは願っていたので、そのような言葉になったのです。


今となれば許されて良いのでは。
確かに当時は関関同立>龍だったようで。
    • good
    • 0

実の自分の母親でも父親でも結局ちがう人ということですよ。


他人なんです。
あなたの気持ちを理解できるという確たる条件ではないです。
親だからあなたを理解するとはかいぎらないということです。
逆を言えば、他人であってもあなたを理解するひとは沢山いるわけですよ。
あなたは親に期待しすぎた?のかもしれません。。。
しかしながら、そのお気持ちはよくわかります。

参考にしてくださいませ☆
    • good
    • 1

> 龍谷にしかよう入らんのカアアア



その気持ちよく分かります。
結局は自分の実力の見誤り、努力不足、事前の見通しの甘さが招いた結果でしょう。この流れでお祝いや労いを求める方が少し違うような。
    • good
    • 2

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!