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なぜ歴史を学ばないといけないんでしょうか?
日本史や世界史の年号や人物を覚えたところで日常生活に役に立つんですかね。
個人的には歴史学ばなくても生きていけると思います。特に世界史に関しては話題に触れられることまずないので。

A 回答 (29件中11~20件)

自分の存在の正当性を保証するために必要に成るみたいです。

もう一つはその人の精神そのものの健全性を保つのに必要に成るみたいです。

以下は長いのでお暇なときにでもどうぞ。

歴史の存在意義や意味について調べますと、集団の同一性やその中に存在する自分の正当性について論議する時、自分の認識と他者の認識でズレが生じないための方法論となるようです。歴史とは何かについてはwikiで書かれています。一読ください。

「全ての人が過去について一致した見解を持つことで、
 過去の事実から派生した自分の存在を説明できる状
 態にし、自分が他の人と対等の歴史的価値を持つと
 主張できるようになる」

つまり、人権に派生します。

人権と言うのは一見して公平性を保つように見られます。しかし、その内容が個人にとって有利であるのか、社会全体にとって持続的な成長が出来る物なのかは別の話です。

もし個人が自分で人権の内容を選べるとし、その判断を個々に行うとした時、守られる権利と守られない権利が人により違うと成ります。この時、その個人が生存にとって有利なものを選んだのかは誰も分からないのです。

「まあ、皆で思い思いの権利を主張してやってみるしかない。
 ただし無限に選べるというのは問題なので3つのお願いとし
 ようか。この選択において自己責任としよう」

こんな話になれば単なる実験です。しばらくすれば、これを選んだ方が良いというメタが確立するでしょう。しかし他者の運命や生じる事件を記録していなければ無限に自己責任が続き、何度も同じ不幸が繰り返されるでしょう。

「これが人権だと言ってアピールする人がいます。
 僕の人権選択回数はあと1回しかなくて、人権を沢山選べる
 人より真剣なんです。誰か教えてください」

これこそ人権だと思って直ぐに飛びついて、権利回数を減らした人も出てくるでしょう。最後は不安に成り、慎重に選びたいと思うはずです。

こんな時に、

「その人の推しであれば問題ありません」

と言われて納得できるものなのでしょうか。では納得できないという人にどう説明するのか? 自分の考えだけでは荷が重すぎます。そこで自分ではない過去に起きた事例を出し、参考としてもらうしかないのです。

「それって貴方の感想ですよね? 事実や根拠はあるんですか?」

しかし、こんな事を言われてしまえば面倒でしょう。

こういう時こそ「推しであれば問題ないです」と言って追い払いたくなりますよね。そういう不和を生まないためにも、予め双方が同じ土俵で議論できるように事例を覚えておく必要があります。

また、最新メタなのか過去の環境優位であったのか時系列で整理しておく必要があります。その上で短期的な有利なのか、長期的に続く有利なのかを見定めるために共に考える必要があります。リスクを負って選ぶべきなのか、我慢をしても大丈夫なのか、個々の資産状況などを元に一定の方針に結び付ける必要があります。

「人権として選ばれるものは、過去の歴史に詳しいものが集まり、
 全ての人が大筋で当面は有利と思う物を選定しているはずである」

しかし、同じ歴史情報を共有していない者とは議論が出来ません。その上で選択を誤れば現実に起きる問題に直面するのです。

歴史と言うのを個人のために活かすとしても、全ての人が同じ情報を共有し、それを事実と認める事で初めて効力を発揮するんです。つまり国家としては全ての国民に同一のモノを覚えさせる必要があり、真実であるよりも満遍なく同じであることがもっとも重要なんです。

「歴史的な解釈は後に幾ら変えても良いが、必ず同じものを強制的
 に覚えさせることが大事である。何故かというと真偽の確認です
 ら同じものを信じていない集団では価値が無いからである」

間違ったものを全ての人が信じているからこそ、それを指摘した人が英雄になるという逆説的な話ですね。しかし、このやり方が全体の進歩を保証します。そうしませんと個々の進歩しか生まれず、個人の格差が生じてしまうからです。全体では衰退したことになります。

次は別の意味で歴史の必要性を述べます。それは個人の存在の正当性を説明する(集団に理解させる)論拠としての必要性です。

人権だけでは個人の存在意義や行動の正当性を説明できません。人権は全ての人に保証されていますが、有限数であり最小限です。また具体性が無く解釈や意見が食い違う場合は効力を発揮できません。凄そうに見えても使用する頻度が少なかったり、使う場所がなかったりすれば役に立ちません。

その他の部分の権利は保障されておらず、やはり自分の存在や行動の正当性を否定される可能性はあります。

私たちは自分の行動に対して理由を説明し、正当性を主張します。これに対して他の人は事実を確認し、自分達と同じ価値観を持つものが同一の行動を取るか想像します。これを元に集団の中の誰もが確率的に遭遇する事件であったのか?(被害者)、その個体(その人)に集団と比較して異質なものがあるのか(加害者)を判断します。保護をして回復を手伝うのか、闘って排除をするのか決めるわけです。

「正当性を説明できない場合は大変な事になる」

ここで登場した「自分達と同じ価値観」でさえ、正当性が無ければいけません。集団はアイデンティティを確立できず、病的なものへと変質するでしょう。集団でさえ長く生きられないという事です。

人が生きていくためには自分の生存の正当性を自己が確信できる必要があり、その理由が自分の生存圏で生きている人と違う物では安心できないのです。しかし、たとえ違っていたとしてもその理由を過去にさかのぼり説明でき、過去の時点で危険では無いと判断済みのモノであれば今更不安に成る必要はありません。そのために判断をしたという記録が必要です。

例えば自分は外国人であるが、自分の母国は「今いる国と過去に信頼関係を結んでいる」事を皆が知っており、自分は母国の人に信頼されているので、自分が今いる国に信頼されるべきであるという考え方です。

ここでも過去の記録が用いられます。そしてそれらを全ての人が共有しているという事が安全を保障する論拠になるのです。

また別のシーンでは「罪を犯した」として思い悩んでいたら「過去の事例では許された」という話も出てくるでしょう。一般的なモラルやルールの観点では罪であるのに、被害者として保護されたという事例があったとします。この時の理由は何であるのか? そして何故その様な理由が効力を持っているのか? これも歴史から派生しているのです。これらを学んでいれば、自分が主張する内容も変わってくるはずです。

「そんな話知らないよ? ほんとにあったの?」

と成らないようにやはり歴史を全ての人が学んでいる必要があるんです。勿論、先ほどの例のような場合は歴史とは呼ばず、事例とするでしょう。

行動の理由が過去の経験から生じている場合は多いですから、その経験が錯覚であるのか事実であるのかの解釈が必要に成ります。また個人の記憶や感じ方だけですと、集団の価値観と比較できません。第三者(出来るだけ多くの)の目撃と解釈を元にして「実際に起きた事」だけを記録する必要があります。こうしてブラッシュアップされたものが歴史として効力を発揮します。

次に個人の脳の成長を促し、生存能力を向上させたり、メンタル疾患を防ぐ意味もあるそうです。時間感覚という特殊な感覚を養うために必要な物であるという提唱が過去からあるようです。

「歴史の年表を覚えさせられる場合がある。
 覚え方は年号と事件名が羅列されている場合が多い。
 この数字と出来事の行間を読み、時間経過について想像させる。
 この習慣が”時間”とは何かを考えさせ、刹那的な世界観から計
 画的な発想や諦観を獲得する切っ掛けとなる」

個人としてはこのあたりがが大きいでしょう。今感じる事は思う事を真実として右往左往とする人がいます。恐らく歴史が嫌いなはずです。音感や平衡感覚と同じように練習で獲得する感覚の一つに時間感覚があります。これを獲得していない人は、自己の衝動を抑えきれず、生きているだけでストレスがたまる状態に成ります。長く精神の平衡を保てずに、どこかで破綻する可能性があります。また自分と他の人の感じ方が違うという部分で疎外感を覚えるはずです。

「歴史を重要視しない時代や地域であれば幸せであるが、
 そうではない集団に所属した場合、長く生きられない」

歴史が効力を発揮するのは全ての人が過去に起きた事例を(時系列情報として)保持している(認めている)場合だけです。そのため強制的なインストールを実施しないと行けません。これを採用した集団の中で自分だけが同じ情報を持っていない場合は人権を持たない不利に匹敵します。不幸が確定してしまうのです。

まとめます。

歴史は人権に派生します。その意味を知り、補償されない範囲を知り、自分で自分の存在意義と正当性を説明する論拠に活用されます。また時間感覚を手に入れ脳を成長させ、先の事を予想したり日々の計画を行う力や仕方のない現象(自然現象や人の動き)を受け入れる耐性も育ちます。

他者の存在の正当性を認める論拠にもなり、集団と同じ思想や思考をしている安心感を得られます。疎外感を感じない人生を歩むためには必須の内容であり、現代では歴史に対して敬意の念を持つことが幸福な人生を歩む資格となっています。

「歴史を疎かにする人には(間接的に)人権の効力が及びづらい」

私たち大人は子供の幸せのために強制をしているのです。

以上、ご参考になれば。
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人の振り見て我が振り直せだと思います。

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日本や世界が今あるのは、過去に歴史があったからですよね?


>日常生活に役に立つんですかね
ウクライナとか中国とかロシアとか、日本との関係でも歴史を知っておかないと、薄っぺらい知識で終わりますよ。
何で中国は台湾が欲しいの?
何でロシアは北方領土を返さないの?・・・
歴史を知らないと言えないよね。
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嫌いなことは学ばなくてもいいですが


基礎的な歴史を知らないと大人になってから政治経済を考える時にバカな考え方をするようになります
しかし政治経済でバカなことを考えたって、それを実名でSNSとかで発表しない限り、そんなに実害は出ません
ただ高学歴な人との付き合いとかには悪影響になるでしょうね
いわゆる「バカが嫌い」な人々との付き合いは減ると思われます
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過去を知らずに未来だけ向いて生きていくのは一見スッキリするのかもしれませんが、まず不可能です。

過去があるから未来を考えると思います。あなたが勉強するのは人間が知識を持つようになって学習してきた過去があってそういうシステムを作ったから、あなたが歴史を覚えたくないならそれはそれでいいんです。わたしも細かいことまでは覚えてません。ただ過去がないと物事を信用できないし、伝統があるから信じて続けるってこともあるでしょう。日本の歴史が好きな外国人は結構います。中国だっていつまでも戦国時代などのドラマをやってます。殷の時代のドラマなんてほとんど記録もないのに何を信じてみるのでしょうね。過去を何も覚えないでそんなことがあったんだぐらいの無関心だと自分の存在も薄くなるのかなって思います。激動の時代を生きてきは人は歴史を深く認識しています。平和なのはいいことですけど、外国人はあなたが自分の国のことは知っているだろうなと予想します。覚えたくなければ覚えなくていいんです。ただ二度と聞かれなくなるだけです。それがいいことか悪いことかは分かりません。少なくともあなたは覚えることは必要ないって思っているのでそこは誰もなんとも言えません。歴史は生活の豆知識ではありません。ただルーツなんだと思います。
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「歴史は繰り返す」



「歴史は繰り返す」という言葉は、過去に起こったことは、同じような経緯をたどって再びやってくるものだという意味です。

この言葉は、古代ローマの歴史家クルティウス・ルフスの言葉「History repeats itself.」の訳語です。

歴史は人間が作り出すものですから、人間が過去の教訓を学び、未来を変えることも出来るんですよ 凄いでしょう? 

だからみんな必死で歴史を学ぶのですよ・・
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人間として当たり前の一般教養。


知らない方が恥ずかしい。
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テレビの物語の題材。

そういう人はあなただけ。
平凡な人はそう思うかな。
でも由緒ある家系なら、自分のルーツ探し。
有名神社や寺も同じ。
世界史・日本史は宗教もあるよね。

嘘も多い。貴方も謎ときに挑戦してみれば。

国の成り立ち。
身近な所で

こんな悲しい歴史もあった。
https://www.youtube.com/watch?v=AdNpPF1svDo&t=248s
この歌も唯の卒業式のテーマソングにあらず。
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年号は前後関係とか、同じくらいの時期の出来事を比較するために必要だけど、それを暗記試験にだけ使うようだと、日常生活の役には立たない。



地域の位置関係、時代の前後関係が分かれば、「この時代のこの国は海外貿易の一大拠点になる先進国だったんだ」とか、「Aという発明が、人の往来で他の地域に伝わるまで、こんなに時間がかかったんだ」ということが見通せるようになる。民族間の軋轢の理由なんかも分かるし、遥か昔から軋轢があるようでも、昔の相手は別民族だったとかも分かる。民族ごとの残虐性の変遷も分かるから、前例に学ぶこともできる。

鉄砲伝来を例にすれば、年号とか詳細を別にすれば以下のようなストーリー。
・海外商人の来訪があり、興味本位にコンタクトをとった。
・その中に他国に売るための火縄銃があった。
・現在の金で2億円ぐらい出して2つ買った。
・日本で徹底的に解析して、量産できるようにした。
・商人は「日本に持っていけば大儲け」と思い込み、10年後ぐらいに日本に銃を大量に持ってきたが、そのときの日本は世界一の火縄銃保有国になっていた。

元々は日本に売るために持ってきたんじゃないし、銃の効果に気付いて割高でも強引に買ったのは先見の明がある。日本に売るために本国で大量量産、どっかの国から大量調達して戻ってくるのは、船の旅でも相当な時間がかかった。難破率も高かったのではないかと思う。ちょうどその頃はアユタヤに日本人村があって数千人の日本人が住み着いていたから、日本の造船、操船技術は中国、東南アジアぐらいまで行けるぐらいには及んでいたようだ。

そこで、ポルトガルやオランダが日本に来るまでに苦労したところを想像すると、喜望峰回りの長期航路であったこと、大西洋、インド洋はやはり荒れた海なんだろうなというところも思いつく。日露戦争でバルチック艦隊が日本海まで来たけど、近代になっても戦艦であっても時間はそんなに短縮できないんだなとか、そんなところも思いつく。

なので、歴史も相関性を気にして学ぶと、地理とか民俗学とかそんなものの知識を必要とするし、無いなら無いなりに疑問が湧く。
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歴史を学ぶことは、自分が、その時代を生きることになる。

そこには熱血の革命児もいれば、裏切りの卑劣漢もいる。栄華の権力者もいれば悲劇の英雄もいる。安穏を求めながら、流浪しなければならなかった民衆もいる。戦乱と、その合間の、わずかな木もれ日のような平和がある。

そういう歴史の絵巻を、距離感をもって見ることもできるし、その真っただ中に入って見ることもできる。歴史は、人間の心の映像です。わが心に、歴史のドラマの映像を映していくのです。そこから、自然のうちに、大きな目で、ものごとを見られる自分になっていく。
「ちっぽけなことにとらわれるな。悩みがあればあるほど、歴史を読むことだ」と言っておきたい。

歴史は、言うなれば、「人類の統計学」とも言える。
たとえば、天気は完全に予測することはできないが、統計的にとらえて傾向性を見ることができる。人間の心も、歴史を追っていくことによって傾向性を見ることができるのです。

「歴史」の研究は、「人間」の研究と言ってよい。大切なのは、歴史を「鏡」として、未来をどうつくっていくかということです。質問者:rekishikusso18daさんが、新しい歴史をつくるのです。「鏡」がないと、自分の顔も姿もよくわからない。「鏡」があれば、ここはこうすればいいとわかりす。
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