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世界史の教科書に、チャーティスト運動は上層労働者の離脱などによって衰退したとあったのですが、これはなぜでしょうか?
教えてください。

A 回答 (1件)

チャーティスト運動は、1838~1848年ごろにイギリスで起こった労働者階級の運動ですね。


1832年の選挙法改正で「中産階級」(中級市民層)の選挙権は認められたものの、都市下層民や労働者の選挙権は認められず、選挙権を持ったのは全人口の 4.5% 程度に過ぎませんでした。
これに対して、都市下層民や労働者へも選挙権を与えるよう要求する運動が起こり、1838年に「人民憲章」(People's Charter)として議会に請願書を提出したので「チャーティスト Chartist」と呼ばれます。それをまとめたのは現職の議員や労働者協会の指導的地位にある人たちでした。

「選挙権」とは、自分たちの要求を政治・政策に反映してほしいことから要求するものであり、それは「現状の政策、社会制度に不満がある」ことから発しています。
それは主に経済的なもので、端的には「食べ物や家をよこせ」というものです。
(「現状のままでいいや」と考えたら、今の日本の20代、30代のように選挙には行きません。なので選挙権も要求しません。)

そんな中、イギリスでは1840年代には「鉄道建設バブル」が訪れて、この10年間に主要都市を結ぶ鉄道網が相次いで作られました。
このため、労働者の収入が増えて生活が向上し、社会に対する不満や食べものへの要求も減ったようです。

「人民憲章」をまとめた下院議員のオコンナーを中心に1848年に再度請願運動を行いますが、オコンナーが暴力を含む直接行動を主張したため一般の労働者たちと乖離し、運動としては衰退していったようです。
(オコンナーは、精神に異常をきたして1852年に議員を辞職している)

参考:チャーティスト運動
https://www.y-history.net/appendix/wh1201-071.ht …
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この回答へのお礼

なるほど。ありがとうございます!

お礼日時:2023/09/16 01:16

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