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数学を勉強することによる大きなメリットの一つとして、「論理的思考力が向上すること」がよく挙げられていると思うのですが、この主張についてどう思いますか?

私はこの主張に賛成できません。

まず数学によって論理的思考力が向上するかどうかは疑わしいと考えています。
私も大学受験+大学教養レベルの数学を勉強しましたが、数学を勉強して「論理的思考力」なるものが向上したという実感はまるでありません。数学を勉強することによって数学ができるようになることはあっても、「論理的思考力」が向上するかどうかは疑わしいと思っています。数学を勉強することのメリットは、「論理的思考力」が身につくことではなく、数学ができるようになったり物理学や経済学など数学を使った学問領域においてご利益があることだと考えています。
(そもそも論理的思考力が何なのかということが定義されずにこの手の話は議論されがちだという点も気になるのですが...。)

また、「論理的思考力」なるものが数学によって向上することが事実だとしても、なぜそれが数学を勉強することによるメリットとして強調されるのかが理解できません。
「論理的思考力」が「筋道を立てて根拠を持って解答すること」だとすれば、英語や古文、世界史の論述や現代文などでも論理的思考力が鍛えられるはずです。数学を勉強することによって論理的思考力が向上すると主張する人たちは、おそらく古文を勉強することではこれが達成できないと考える方が多いと思いますが、古文読解で必須になってくる、使われている敬語から主語を判断し読解するプロセスなどは「論理的思考力」そのものだと思うのですが。また、個人的な経験に照らすと、現代文の勉強をしている時が最も「論理的思考力」を使用し、鍛えられていると感じていました。
確かに数学ほど厳密性を重要視する科目はない、という主張は理解できます。しかしながら、古文における使用されている敬語から主語を特定するプロセスも負けず劣らず厳密なものですし、そもそも学校で習う数学においては基本的な概念や計算を反復練習によって身につけルことが最も重要で、難関大の入試など難しい問題を解くときでも、論理的思考を活用するというよりかは試行錯誤しながら自分が知っているパターンに落とし込むことの方が重要で、むしろこれが数学の大部分だと感じていました。
したがって、数学の勉強によって「論理的思考力」が鍛えられるとしても、他の科目の勉強でも同様に鍛えられ、むしろ他の科目の方が「論理的思考力」が鍛えられる可能性すらあるのに、これが数学学習の大きなメリットとして称揚される理由がわかりません。数学を学ぶ現実的な理由づけが難しいがために、むやみにこれが主張されているのではとさえ勘繰ってしまいます。

皆さんはどう思われますか?

A 回答 (4件)

No.3です。



すみません、間違えてしまいました。

✕深く的要素
○不確定要素

訂正させてください。
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「そもそも学校で習う数学においては基本的な概念や計算を反復練習によって身につけルことが最も重要で、難関大の入試など難しい問題を解くときでも、論理的思考を活用するというよりかは試行錯誤しながら自分が知っているパターンに落とし込むことの方が重要で、むしろこれが数学の大部分だと感じていました。

」の部分から、質問者様は、テキスト類にある解法や公式を暗記して、それに当てはめることで問題を解く、記憶中心のタイプの方ではないか、と想像いたしました。数学に限らず、どの様な科目でも記憶だけにたよって解いていると、「論理的思考力」は育ちません。思考は自主的な行いですので、嫌いな科目や興味のない科目ではなかなか思考力を育てることはできません。(これが「詰め込み教育」になりやすいと言う、日本の教育の最大の問題点だと思います。)逆に、好きな科目や興味を持つ科目では思考力を育てやすい、と言うことではありますが、、、

ただ、算数や数学は数式だけで客観的に思考の内容を表すことができます。主観などの情緒的要素や不確定要素をほとんど含みません。(物理なども同様のことが言えます。)言い換えれば、情緒などの不確定な要素に邪魔されずに論理を組み立てることができるのです。
例えば、算数で「60Kmの道のりを時速10Kmで進むと、、、云々」などと出題されることがありますが、60Kmの道のりをずっと時速10Kmで進むことなど現実的には不可能です。出発時の加速や到着時の減速も考慮しないこと、風や路面の状態なども無視すること、を前提としなければ、解を求めることができません。

つまり、数学は論理体系が高等であったり複雑であるから「論理的思考」を育てるのではなく、深く的要素を排除した単純な論理体系である(複雑で不確定なことを考えなくてすむ)から「論理的思考」を育てるのに向いているのだと考えます。
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論理というのは、発生した結果を


原因に遡り
結果と原因を、因果の関係で説明
することです。

数学をやることにより、この能力が
鍛えられます。

自覚が無い、というのは社会学に
おける論理と混同しているからです。

社会学における論理も基本は同じ
なのですが

不完全である言語を使うこと、
数学のような厳密性が無く、非常に
いい加減で、主観的な感想がそのまま
論理のカタチを採ってしまうことが多い
などで、数学における論理とは
全くの別物になっているのです。

別物なのに、同じだと錯覚している
ので
そうした疑問が出てくるのです。

社会学における論理を学ぶのであれば
法学がお勧めです。

キリスト教神学てのがあります。

全知全能の神がいるのに、どうして
世は矛盾に溢れているのか。

これを論理的に説明するのが神学で
法学てのは、この神学から産まれています。

生まれたての赤ちゃん、障害を持って
いるのはどうして?
原罪があるからだ。


仏教でも似たようなことを言っています。

あの人は、生まれながらの金持ち。
不公平だろう。

前世で善いことをしたからだ。

こんな論理と数学の論理を一緒に
考えることは出来ません。
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