あなたの習慣について教えてください!!

なぜ低所得は頭が悪いのでしょうか?

1.教育水準が低い
2.貧困による慢性的なストレスで脳が委縮している
3.ロースキル業務が多いため、脳をあまり使用していない
4.社会的な交流が少なく、入ってくる情報が浅い

ほかにありますか?

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A 回答 (30件中1~10件)

低所得=頭が悪い←❌



足るを知る
能ある鷹は爪を隠すです。

本当に能力の有る人は目立ちません。
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頭悪いのは政治家もですがねえ?

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>なぜ低所得は頭が悪いのでしょうか?



この質問は、あまり正しくないと考えます

好きで低所得になっている人もいるかもしれません

働きたくない場合
・自分がよくわかっていない人
・高給取りなる必然性がないと考えている人
・好きなことができる範囲お金があればよいと考える人
等々
好んで低所得に甘んじていれば、所得は増えないでしょう

知識は公共機関を使い好きな勉強をしているかもしれません

人それぞれですから、何とも言えませんね!
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頭が悪いから低所得なのではと思います


大卒とそれ以下とでは生涯年収に差がありますし
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逆かもしれませんが…


頭を使わないから低所得なのでは。
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他には「幼少の頃から親や他の大人など、周囲の期待が低い」という部分もあるそうです。

大人達によって、自分の可能性に自信を持てない(心理的な)状況を作り出されたということです。

以下は長いので、興味があればお読みください。

●本人に責任のない部分

私の実家は、水道以外全部止まってしまうような貧困家庭でした。なので低所得であるから、知能が下がるという事については(心情的に)肯定したくありません。しかし、兄弟の中では私は期待されており、他の子は、そうではありませんでした。

これが原因だとおもいますが、兄弟の間であっても、成績やコミュニケーションの在り方(積極性)で違いがみられました。つまり、頭の良さには「積極性」が大きく影響し、その原因となるのは親の態度であり、親が子供を傷つけている(子供の将来を信じていない)か否かが最も大きいと思います。

●母親の態度は気力を奪う

そして経験則でいうと、父親よりも母親の期待が強く影響すると思います。母親が「この子は頭がいい」と信じているか否かでしょう。母親の諦めた態度は子供の気力を奪います。父親の態度には反抗できても、母親の態度には「やる気そのもの」を奪われてしまうのです。それが呪いとなって働くと思います。

●初戦の敗退が取り返せない

学校デビューをした途端に、大人たちに分別・仕分けをされる不条理に遭遇します。子供にとっては「不意を襲われた」だけであるのに「一生そのまま」の様に扱われ、他の子共との扱いに差を感じるはずです。

「まだ本気じゃないのに? これで決められちゃうの?」

何かの間違いだと思っているうちに「自分を仲間だと認知する」友人たちが出てくるでしょう。「自分は君らと同じじゃない」と思っているのに「周囲が認めない」状況になります。そこから段々と心が負けていくのです。

●本気を出した自分の実力に愕然とする

実力の低い人は周囲の人に侮られます。しかし、本人は不本意でも周囲と揉めることは避けるはずです。そうであっても、努力をしていないわけではありません。誰にも知られずに「本気でやってみた」事は必ずあるはずです。その時に「頑張ったのにダメだった」という絶望を味わっているはずです。

これは錯覚であるのですが「恥ずかしさと恐怖感に負けてしまい、他人には黙っている」ものです。そのため「その方法では上手くいかない」という情報を得られずに、自分は真にダメなのだと信じ込んでしまうんです。この「こっそりと本気を出す」という危ないシーンを誰かが見守って挙げていない事が最大の原因だと思います。しかし、本人が自ら隠れてやろうとするため、救うことはできないのも現実なのです。

●反発という誘惑に負けてしまう

「優秀で恵まれたやつらには、俺の気持ちなんてわからない。
 本気で頑張ったのに、ダメだったって経験がないんだろ?」

この宣言が最もよくないのですが、言いたくなるものです。これを言った瞬間に「自分自身の成長が止まる」ことになります。八つ当たりには対価が必要です。ちょっとした気晴らし程度のものであってもです。しかし「自分はダメな側である」と認めてしまうわけですから、「その代償は大きい」のです。子供がこの「大きな間違い」に自分で気が付くことはありません。簡単に負けてしまうのも現実なのです。

●時が止まったように感じて現実感がなくなる

「何か変なところに迷い込んだみたいに感じてしまう」

この成り行きはおかしい。このストーリーはおかしい。自分が今見ているものを現実として受け入れるのは「納得がいかない」と感じるでしょう。周囲の人が勝手に決めてしまったストーリーだからです。そこでは自分の意思が無視されており、「こうして欲しい」と言えたことが一回もないのです。

「上手く言えないけど。ちゃんと自分も公平に努力できる様な
 チャンスをください。何だか騙し討ちにあっているようで、
 今の自分の状況をフェアに受け止められません」

騙し討ちにあって追い込まれた。このように感じてしまうため「やり直し」を要求したいという気持ちは消えないでしょう。だからこそ、今に集中できないのです。不正によって被害を受けた被害者である自分が、ここまで劣化した現実を改善するというのは、納得もいかないはずです。

●小さな楽しみを見つけてしまう

「ガス抜き」と言って(侮られる)遊びが沢山あります。最初のうちは「それに手を出したら負けだ」と思って抵抗するでしょう。しかし、それに頼ってしまう瞬間が来ます。その遊びを継続したいがために「これくらいいいじゃないか?」と考えます。そこにアイデンティティを見出してしまい、自分の存在意義は「自分が見つけた小さな幸せを奪わせない」という目的によって形作られてしまうのです。

「何もかも持っている奴が、俺からコレを奪うというのか?
 どうしてそこまで俺を阻害するんだ。俺は負けない」

この様になってしまうと、社会そのものへの反発が消えなくなるでしょう。そしてこれを長年続けてしまうと何かを改善したいという気持ちが(更に)無くなっていくのです。

●状況が生み出す良くない圧力

貴方が質問したように「貧ずれば鈍する」という事は実際に生じると思います。原因について考えても、あまり意味を感じません。それらの原因は後天的に「本人の行動」によって改善できるものばかりです。しかし、「気力そのものが無くなっている状態」では原因が分かっても仕方ないのです。

「どうしてこうなったのか?」

自分に責任がない部分(親や家庭環境、生い立ちから起因する不利な状況)を冷静に思い出し、その点について他の人に「君の性ではない」と認めてもらうことが必要です。そのうえで「ここは自分のせいである」という部分を明らかにすることです。「他人の性にしてよい部分」と「自分で何とか出来た部分」を見極めてもらう必要があります。

●どこまで他人の性にしてよいのか?

私が挙げた「●母親の態度は気力を奪う」~「●小さな楽しみを見つけてしまう」までは他人の性にして問題ありません。その流れの中から自力で脱出できる人など居るわけがないと思います。しかし、「●状況が生み出す良くない圧力」に対しては(既に大人なので)抗うことを求められます。

「どうやって抗うの? もう無理だし。諦めたい」

この点に関しても仕方ないでしょう。ここでやる気を出せる人など滅多にいません。その部分については私は肯定します。ただし、他人に八つ当たりをしたり、迷惑行為で憂さ晴らしをしたり、社会を批判してはいけません。それは「生きている人間」として超えてはいけない一線だからです。

●頭をすっきりさせてリセットする

幼少の頃の「大人たちの間違い」を正す気持ちを持ちましょう。「自分は被害者である」と言う事実をしっかり受け止めることです。そして殆どの教育機関は「そのとおりである」と保証するでしょう。

ただし、

「自分の親の責任を追及しても、今の自分のためにならない。
 無責任な他の親御さんを諭す方が社会のためになる」

と考えを変えましょう。

●今からどうやって戦うのか?

「他人に自分を(平和的に)認めさせる」

ことを第一に考えましょう。やり返さないで諦めるのはダメです。また(過去の)自分の親が「(標準的な大人と比べて)大人として劣っていた」という事も想定しましょう。ですので「親よりも優れている大人」に大丈夫だと認めてもらうしかないのです。

止まっていた時を動かすには「親よりも優れた人」に「立派に育った」と褒めてほめてもらうしかないのです。自分の親は諦めましょう。

●どうすると(優れた人)に認められるのか?

「優れた人であっても、難しいと感じる事でやり返す」

「彼らが簡単だと思えるもの」で勝負を挑んでも、尊敬されることはないのです。一般に言う「凄いこと」を成し遂げて、やり返すのは大分先だと思います。まずは「彼らも苦手としているもの」に焦点を絞り、そこで認めさせるべきです。

●どんなに優れている人でも苦手とされるもの

その一つとして大きいものが「礼」と呼ばれています。失礼をしないように自分を律することは、「頭の良い人」「思いやりのある人」「平和を愛する人」「付き合いの良い、信用できる人」であっても「難しい」と感じているのです。多くの政治家や芸能人、成功者が玉砕しているのをご存じでしょう。真に礼を重んじて行動するのは(一生)難しいのです。

実体験から、ぶっちゃけで言うと「礼」に特化してやり返す、というのが最も効率が良いと思います。

●礼という戦いがあり、重要視されている

成人した後は「ほぼこの戦い」だけになります。礼には礼を返し、「負けないようにする」という競争です。この段階(戦いの最中)ですでに「認められている感じがする」わけです。この争いにおいては勝っても負けても気分が良いのが特徴です。

「礼の心を持つ人を批判するなんて出来ない。やった瞬間に
 俺の評判は詰む」

●まずはコンディションを回復させる

「何もなくてもイライラする」

こう人はメンタルが弱っています。この状況で何かするというのは無謀でしょう。まずは回復に集中する。そして「礼で戦う」のです。

●最後に

貧困層も、頭が回らなくなった人も「絶望させられた」という被害者であると私は思います。しかし現実的な対策では「自分の体と心を治す」「礼をもってやり返す」の二つしかありません。失礼を繰り返せば希望から遠ざかり、じり貧になります。クールに捉えなおし、恨みはいったん保留するべきでしょう。

以上、ご参考になれば。
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扶養内で働いてるとか。

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生まれ付き知能指数が低いから



努力で知能指数あげれるなら、遺伝学とかDNA、ブリーディングなんて存在しないし。
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まず「頭が悪い」という意味には二通りあると思います。


一つは勉強が出来ない頭の悪さですが、もう一つは勉強は出来てもそれを上手く利用できない頭の悪さ。

特に政治家の方々に関しては後者が当てはまる場合がおおいかと思います。

所得の低さというのはある程度は障害なども関係することだと思いますし、単純にこうだからと理由付けるのは無理があるでしょう。
また、一時的に高所得を得ている人はどう判別するんでしょうか?
水商売の方々など、かなり稼いでいる人は多くいると思いますよ。

ちなみに、「なぜ低所得は頭が悪いのでしょうか?」の質問文がそもそも頭がいいとは思えない。
「なぜ低所得者は頭が悪いのでしょうか?」と聞くなら文章として成り立ちます。
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こんな低レベルで下衆な質問を臆面もなく出来ている人こそ、むしろ無知で滑稽だとしか思えません。

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