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応仁の乱(1467年)と明応の政変(1493年)のどちらが戦国時代の始まりだと思いますか?

A 回答 (5件)

応仁の乱後も幕府という組織はそれまでどおり運営し続けていますが、明応の政変により幕府は実質的に機能停止しました。

そういう意味では明応の政変の方が戦国時代の始まりには相応しいです。
ちなみに東国では、応仁の乱以前の享徳の乱により、鎌倉府体制が崩壊して、一足先に戦国時代突入とされます。
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応仁の乱。



応仁の乱で幕府の権威が失墜したことは明らか。応仁の乱の原因は管領家の畠山氏と斯波氏の家督争いに、将軍家の後継者問題も絡んでおり、それが全国に波及しての大乱となった。正しく戦国時代の幕開けに等しい。

戦国時代の特徴を「下剋上」とすれば、明応の政変の支持者が多い理由も理解できる。
しかし、朝廷と幕府の権威が失墜した結果、全国の守護大名とその下の大豪族などが入り乱れての戦国時代が出現したものと捉えれば、何も下剋上だけが戦国時代の実相ではないと思う。
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応仁の乱に一票。

京都の老舗で、戦後、戦前というのは、応仁の乱より前か後かって、ローカル・ジョークがありますね。
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私個人はどちらでもいいです。


見方や地域によって始期と終期は異なるようですから。
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従来の通説は応仁の乱以降ですが、明応の政変によって下克上の動きが恒常化したことで、こっちを戦国の始まりとする説が有力になりました。

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