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人間の祖先は猿だとする、ダーウインの進化論を、キリスト教(アダムとイブが人間の祖先)は、どう捉えてるのでしょうか?詳しい方、教えて下さい。

A 回答 (10件)

キリスト教では、アダムとイブ以外の生物も全て神が想像したことになっていますから、昔から右派は反対の立場を取っていて、アメリカの州によっては進化論を教えてはいけなかった時代すらありました。


現代でも創造論に固執する物は多く、創造科学と分類されるニセ科学は多数生まれています。最近の例ではインテリジェント・デザインなんかも、その一種です。
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ウ女サさんおはようございます。


 どう捉えているかわかりませんでした。Adam と Eva が人間です。条件を整えます。進化論で人間の祖先は amino acid です。創造論で人間の祖先は土です。進化論と創造論が概念です。唱えた人がそれぞれにいます。前者は Darwin さんです。後者は Jesus さんです。科学が Christianity に対応します。信じる人がそれぞれにいます。前者が物教徒です。後者が Christian です。Protestant と Catholic と Orthodox があります。進化論と創造論が矛盾します。『Q282進化論を学校で学ぶ子どもにどう助言すればよいでしょうか。【3分でわかる聖書】』

があります。牧師さんが Protestant の人です。 両方教えるようにと前述の動画では主張されています。進化論が仮説であることを強調します。証拠に言及しません。中間種の化石があります。科学と仮説と物語と宗教があります。仮説と物語がにています。盛山和夫『説明と物語 : 社会調査は何をめざすべきか』https://cir.nii.ac.jp/crid/1050001338821400320があります。


電泥さんおはようございます。
 No.9の量が多くて力が入っている様子が面白かったです。質問がつまらないと感じる理由は進化論と Christianity の抽象具合が違うからです。Christian の優れた点の1つ目を神の意図を忖度することとしています。忖度が好奇心です。 優れた点の2つ目を大きな体系としています。大きな体系が書物の蓄積です。優れた点として挙げた2つは宗教によるのではなく人間に依ります。No.5さんが「
私自身は、
5.聖書のことも進化論のことも知らず、理解する能力もない奴は黙ってろ
という立場です。
」と言っていてNo.4さんが「
キリスト教の欺瞞が白日の下に晒されました。
」と言っていてNo.4さんにだけ Thank you と stamp を押している質問者さんの Christianity が好きな人と嫌いな人の対立を小さい労力で煽る様子が面白かったです。
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3点述べます。

質問者さんのつまらん点1つと、キリスト教のすぐれた点2つです。

第1に、ダーウィンなど進化論を築いた人々は、大半がキリスト教徒だった。それを激しく批判したのもキリスト教徒だった。
私たち日本人の多くはキリスト教徒ではなく、何十年も遅れて進化論に接し、いわば後知恵で「進化論とキリスト教の関係」(矛盾してるんじゃない?)をあげつらってるに過ぎないだろう。
それって、つまらん奴ではないだろうか。進化論も、反進化論も、キリスト教徒から教えてもらったくせに(幕末・明治期に)。まあ、質問なさっただけで「つまらん」と言われるのも、心外だと思いますが。

第2に、「神の意志を忖度する」である。「忖度」という言葉は、森友学園問題などで悪いイメージが付いてしまったが、以前は科学史家の村上陽一郎の『神の意志の忖度に発す』などが有名だった。
それによれば、宗教と科学は対立関係ではないのだ。むしろ、科学はキリスト教の子供である。それって、どういうこと?

キリスト教では「神の沈黙」という考え方があり、人間が必死になって神のご意志を忖度しなきゃならない。たとえば天空の秩序である。蒼天のかなた、瞬(またた)く星々に至るまで神の被造物であり、精妙な仕組みがあるはずだ。周到な天体観測によってそれを窺(うかが)い知ろうという、情熱。
コペルニクスはポーランドのキリスト教(カトリック)の坊さんだったんだぜ。ご存知のように地動説を唱えたが、単なる思い付きではなく、精密な観測と計算に基いていた。
これに対し、カトリック教会は直ちに反対はしなかった(聖書には天動説が正しくて地動説が誤りとは書かれてない。その点、天地創造と進化論の関係とはちょっと異なる)。それでも、やがて地動説に激しい弾圧を加えるようになっていく。
それにしても、コペルニクスは坊さんなのに、なぜ天体観測する必要があったの? 天空の秩序において神の意志を忖度するためだろう。神は、時(とき)を支配する。暦は天体観測に基いて作られる。今、世界中(日本も含む)で使われてる暦を「グレゴリオ暦」というが、グレゴリオは教皇(ローマ法王)の名前だった。暦を定めることは、神の意志の明徴化であった。

また、遺伝の法則を発見したメンデルは、オーストリアのキリスト教(カトリック)の坊さんだった。修道院の庭にせっせとエンドウ豆をまいて観察したんだぜ。
遺伝学はやがて進化論と結びつき、集団遺伝学となって進化論を支えている。

そもそも、ダーウィンはケンブリッジ大学でキリスト教(国教会)の坊さんになる勉強をしてたんだよ。彼の父も祖父も高名な医者で、ダーウィンも医学を学んだが中退した。それなら牧師になってくれとケンブリッジへ送られ、卒業はしたが牧師にならなかった。有力者だった実家のコネで、イギリス海軍の測量船「ビーグル号」に乗り込み、絶海の群島、ガラパゴス諸島へ行った。そしてあの偉大な発見をするわけだ。

いくつも例を出して何を言いたいかってえと、仏教の坊さんはお経を唱えてたら商売になるかも知れないが、キリスト教の坊さんは抹香臭いだけでなく、全知全能の神の意志を窺い知らなければならない。天体も遺伝も神のご意志の顕現であり、これらを観測観察するのに情熱を傾けたということです。

第3に、理神論や予定説である。
前項の説明に対し、質問者さんなら、「けっきょくキリスト教の聖職者が聖書の教えに反するような事実を大発見したわけですね」「骨折り損のくたびれ儲けじゃないですか」とおっしゃるかも知れない。
しかし、キリスト教は、昨日今日のぽっと出じゃないのよ。外部からも知識体系を取り入れて、矛盾を包摂して、大を成したのである。長い歴史の中で、巧妙な理屈を考え出した。

たとえば理神論である。いわば理系人間の合理的な思考でキリスト教を脱色し、その上で信仰を続けるようなものだ。聖書を文字通りには受け取らず、非合理的な部分は「寓喩(アレゴリー)」として解釈する。
それによれば、聖書の天地創造はたとえ話であって、事実ではない。このような理神論は啓蒙思想と結びついて、西洋の知識人に多大な影響を及ぼした。

あるいは予定説である。いわば百パー、神の絶対性を認めるが故に、俗世間で各人の道を究めるのが神に尽くすことであるという、逆転の思想だ。
それによると、或る人が天国へ行くか地獄へ行くかは、神があらかじめ決めているという。人間の行為ではそれを変更できないそうだ。進化論を唱えたから地獄に落ちるってものでもない。当人は気付かなくても、けっきょく各人の歩みは、神のお導きによるものである。
宗教社会学者のマックス・ウェーバーは、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の中で、この予定説こそが、やがて世界を席巻する資本主義の、精神的バックボーンになったと分析した。

ここで、第1の「つまらん」に戻るのだが、非キリスト教徒が聖書を文字通りに解釈して「進化論と矛盾してますよね?」などと問うのは、まさにつまらない。
文字通りに解釈するのは、キリスト教徒の中でも「ファンダメンタリスト」などと呼ばれる特殊な人である。
もっと多くのキリスト教徒たちが、巧妙な理屈で矛盾を回避しつつ、聖書に反する事実を否認せずにじっくりと見つめた。そして科学に結実させた。

たとひ我(われ)死のかげの谷をあゆむとも禍害(わざはひ)をおそれじ。汝(なんぢ)我とともに在(いま)せばなり。

これはダビデの言葉である。この汝とは神のことである。聖書に反する事実を研究するのも、「死のかげの谷をあゆむ」ような所業だが、災いを恐れはしない。神が常に私と共にいらっしゃるからである。神の慈愛は果てしない。
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進化論の一番の中核は「下等な生物から高等な生物への変化(便宜上こう表現する事にします)は偶然によって起きる」と言うものであって「猿(のような動物)が人間になった」と言うのは言わば枝葉です。

一方キリスト教(ユダヤ教も同じですが)の考え方は「人間は神によって創造された」と言うものなので、よく考えてみると「猿のような動物が変化して人間になった」と言う考え方は必ずしもキリスト教とは対立しません。重要なのは猿(のような動物)から人間への変化が「偶然かそれとも何らかの意志によるのか」と言う点です。進化論は「偶然である」と主張しているわけですから、この点においてキリスト教とは相容れないわけです。
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「それはそれ」と教えているんでしょう。

本音と建前は日本だけのものではありません。
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そこら辺りは、曖昧にしている


んだと思います。

ただ、キリスト教原理主義の人達は
進化論は聖書に反するので
認めない、とする立場を取っています。

だから、学校で進化論を教えるな
なんてのが裁判沙汰になりました。
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ダーウィンの進化論が教えているのは、「人間の祖先は猿だ」ということではなく、多様な猿の仲間の一部が自然選択を経て人類になったということです。

これは生物学の問題です。
一方、聖書が教えているのは、「アダムとエバ(イブではない)が人間の祖先だ」ということではなく、全ての人に共通の造り主がおられ、そのお方によって生かされているということです。これは神学の問題です。

以上の二つの考え方は、人間の存在について全く別次元の捉え方をしており、議論をするための共通の基盤が存在しません。
従って、二つを比較してどちらが正しいとか正しくないとか判断しようとするのはナンセンスであり、根本的に間違っています。

(私が今しているような説明は、これまで多くの人たちによってさんざん繰り返されてきましたが、聞く耳を持つ人はわずかです)

ちなみに、神への信仰を前提にした場合(キリスト教でもユダヤ教でもイスラム教でも)、進化論を巡る立場は1つではなく、大きく分けて以下の4つがあるとされています。

1.インテリジェント・デザイン(ID)論
進化主義(「創造主は存在せず、人間の存在には何の意味も目的もない」という主張を支持するために進化論を利用する)を否定し、進化論を拒否。

2.若い地球の創造論
進化主義を否定。「神は数千年前に6日間で宇宙を創造した」と主張し、宇宙と地球の何億年という歴史を認めないが、突然変異による微小進化を容認。
共通祖先の存在や、種に大きな変化が起こることによる進化を否定。

3.漸進的創造論
進化主義を否定。地球の古さを認め、微小進化を受け入れるが、生物史の完全なモデルとしての進化論を否定。幾つかの進化は、神によって奇跡的に導かれたか、神が様々な時点で介入した結果として理解する。

4.進化的創造論
進化主義を否定。地球の古さを認め、微小進化と共通祖先を認め、進化論を科学的モデルとして容認する点で、「有神論的進化論」とも呼ばれる。

日本人のクリスチャンは3か4の立場に立つ人が多いのではないかと思いますが、その割合は教派によってかなり異なるのではないでしょうか。

私自身は、
5.聖書のことも進化論のことも知らず、理解する能力もない奴は黙ってろ
という立場です。
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博物学は古代ギリシャに起源があるそうです。

ルネサンス期にこの世はすべて神が創造したのなら自然を調べれば神の意思が分かるだろうと盛んになっって科学という考え方が出現した。調べていく内に神の創造を否定する証拠が続々見つかって教会は大慌て。最大のショックがダーウィンの進化論でアダムとイブはどこにもいません。キリスト教の欺瞞が白日の下に晒されました。教義全否定の科学を否定し己らの正当性を守ろうとする狂信派と見て見ぬ振り妥協住み分け現実主義派に分かれています。狂信派はけっこういます。迷える子羊がうじゃうじゃ。
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この回答へのお礼

Thank you

お礼日時:2025/02/24 16:46

>キリスト教(アダムとイブが人間の祖先)は、


>どう捉えてるのでしょうか?

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キリスト教圏である欧米では、そもそも学校でダーウィンの進化論を教えません。



それとは別に、ダーウィンの進化論は今は科学者の間でも懐疑派の方が多数ですね。
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