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東條英機の東京裁判での答弁は、ものすごく堂々としていたそうですね!?なんでそれが教科書や、もっと色んな本で紹介されないんでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • レイテ戦、沖縄戦時の首相は、すでに交代していたのではないですか?

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2025/03/18 10:19
  • 自分の質問ですよ?ところで回答は何ですか?

      補足日時:2025/03/18 12:04

A 回答 (11件中1~10件)

堂々としていたかどうかは置いておいて、教科書や本に載らない理由は


①そもそも日本の教科書の近代史のページが少ない。
②戦後の教育の方針で戦前戦中の日本は完全悪とされていたので好意的な表現はできない。
 ⇒これをやると右翼というレッテルを貼られます。
③敗戦の責任者を持ち上げる必要はない。
 ⇒東京裁判で罰せられましたが、日本人が裁いたわけではありません。いわば敗戦の責任をとったわけではないので、好意的には見られないでしょう。
 *ただし「特攻で無駄死にさせた鬼畜」というのは正しくありません。いわゆる特攻作戦がはじまったのは東條内閣が倒れてからですし、研究を主導していたのは海軍です。また首相になる前は開戦主導派ではありましたが、内閣組閣後は昭和天皇の意に従って開戦回避に動いていたといいます。加えて、虜囚の件についても「敵国側の俘虜の扱いは極めて残忍の性を有す。決して敵の生擒する所となる可からず。寧ろ潔く一死を遂げ、以て日本男児の気象を示し、日本男児の名誉を全うせよ」という山縣有朋の訓令が元という声もあります。敵の捕虜の扱いは残忍だから捕まるよりは死を選べという意味で、戦陣訓と同じ。生きて虜囚の辱めを受けず、が東條主導というのは無理があると思いますよ。もとからそういう軍隊だったと。
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この回答へのお礼

大変詳しく教えていただき、みなさん、ありがとうございました!

お礼日時:2025/03/19 09:21

No4,5です。



No8さんの引用されている山下奉文大将は立派な人だったようですね。
下記の胸を打つ遺言を残しています。

一方東条英機は国民に対する謝罪はやっていません。彼の1945年8月13日の日記には「私はこんな弱気の国民と思わずに戦争指導にあたった不明を恥じる」と敗戦の責任を国民に転嫁するような言葉を残しています。

山下大将の遺言-------------------------------------------

1つ目は、日本人が倫理的判断に基づいた個人の義務履行。

「自由なる社会に於きましては、自らの意志により社会人として、否、教養ある世界人としての高貴なる人間の義務を遂行する道徳的判断力を養成して頂きたいのであります。此の倫理性の欠除という事が信を世界に失ひ醜を萬世に残すに至った戦犯容疑者を多数出だすに至った根本的原因であると思うのであります。

此の人類共通の道義的判断力を養成し、自己の責任に於て義務を履行すると云う国民になって頂き度いのであります。

諸君は、今他の地に依存することなく自らの道を切り開いて行かなければならない運命を背負はされているのであります。何人と雖も此の責任を回避し自ら一人安易な方法を選ぶ事は許されないのであります。こゝに於いてこそ世界永遠の平和が可能になるのであります。」

2つ目は、科学教育の振興。

「敗戦の将の胸をぞくぞくと打つ悲しい思い出は我に優れた科学的教養と科学兵器が十分にあったならば、たとへ破れたりとはいへ斯くも多数の将兵を殺さずに平和の光輝く祖国へ再建の礎石として送還することが出来たであらうといふ事であります。私がこの期に臨んで申し上げる科学とは人類を破壊に導く為の科学ではなく未利用資源の開発或は生存を豊富にすることが平和的な意味に於て人類をあらゆる不幸と困窮から解放するための手段としての科学であります。」

3つ目は、女子の教育。

「従順と貞節、これは日本婦人の最高道徳であり、日本軍人のそれと何等変る所のものではありませんでした。この虚勢された徳を具現して自己を主張しない人を貞女と呼び忠勇なる軍人と讃美してきました。そこには何等行動の自由或は自律性を持ったものではありませんでした。皆さんは旧殻を速かに脱し、より高い教養を身に付け従来の婦徳の一部を内に含んで、然も自ら行動し得る新しい日本婦人となって頂き度いと思うのであります。平和の原動力は婦人の心の中にあります。皆さん、皆さんが新に獲得されました自由を有効適切に発揮して下さい。自由は誰からも犯され奪はれるものではありません。皆さんがそれを捨てようとする時にのみ消滅するのであります。皆さんは自由なる婦人として、世界の婦人と手を繋いで婦人独自の能力を発揮して下さい。もしそうでないならば与えられたすべての特権は無意味なものと化するに違いありません。」

4つ目は、次代の人間教育への母としての責任。

「私のいう教育は幼稚園或は小学校入学時をもって始まるのではありません。可愛い赤ちゃんに新しい生命を与える哺乳開始の時を以て始められなければならないのであります。愛児をしっかりと抱きしめ乳房を哺ませた時何者も味う事の出来ない感情は母親のみの味いうる特権であります。愛児の生命の泉としてこの母親はすべての愛情を惜しみなく与えなければなりません。単なる乳房は他の女でも与えられようし又動物でも与えられようし代用品を以ってしても代えられます。然し、母の愛に代わるものは無いのであります。

母は子供の生命を保持することを考へるだけでは十分ではないのであります。

子供が大人となった時自己の生命を保持しあらゆる環境に耐え忍び、平和を好み、協調を愛し人類に寄与する強い意志を持った人間に育成しなければならないのであります。

………これが皆さんの子供を奪った私の最後の言葉であります。」
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そんな細かい事まで書いている余裕はありません。

そもそも東條英機の名前を出す余裕さえないはずです。
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話題はそれるけど、開戦初頭のマレー半島や戦争末期のフィリピンで指揮を執って戦後死刑になった山下大将の軍事裁判の経緯をアメリカ人視点で著わしたフランク・リールというジャーナリストの「山下裁判」という書籍があります。


https://www.amazon.co.jp/%E5%B1%B1%E4%B8%8B%E8%A …

 これを読むと、連合軍による日本軍指揮官の裁判が、有罪という結論ありきで実施されて、有罪や死刑の判決を出すのは普通なら無理だろうという状況でも、日本軍への憎しみを根拠にして有罪へと導いていく様子が分かります。
 東京裁判もまた連合軍主導で公平を装いながらも公平さの欠けた判決を出す裁判だったと考えても良いと思います。


 もう一つ、教科書や、もっと色んな本で紹介されない理由は……
子どもたちの教育をする教師たちは、戦前は軍国主義教育で軍国主義に加担する立場でしたね。そんな教師たちが戦後の日教組を組織したんですね。
 また、現在の左翼マスコミなども、戦前は戦争を賛美して国民に戦争を煽っていたでしょ。
 実は、戦後に平和が大事だなどと叫んで居る集団は、戦前は軍国主義に加担する立場だったんです。終戦を機に自分たちが軍国主義に加担していたことを認めて反省して出直せば良かったんですが、日本という国が悪い。日本軍が悪いと責任転嫁をして、自分たちの責任から逃げたんですね。
 教師や左翼マスコミがそんな自分たちを正当化して善人の仮面をかぶり続けるためには、開戦当時の総理大臣だった東条英機の事はひたすら無視するしかないんですよ
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お子様で裁判の実態も何もわからないのでしょうが。


裁判での被告人の発言など宣誓も無しに自己に都合のよい事しか言わないのですからそれだけを取り上げても客観的な意味は全くありません。
知りたければ公開されている裁判記録を読めば良いのです。
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東条英樹が何をして何をしなかったのか。


東條が昭和天皇に首相に指名されたのは、非戦派の首相に陸軍が猛反対を繰り返し政権が維持できないことから、米英との戦争を回避するためには陸軍の中から最も非戦派寄りの有力者である東條を首相にするしかない。そのように昭和天皇が判断した結果と言われています。

結局、東條も戦争回避に向けて努力はしたものの、開戦に反対していた海軍から米艦隊に対抗できる戦力が欲しいと言われ、陸軍が陸軍予算を削って、その分を海軍に回すことを諒承するという、従来ならばあり得ない行動に出るに及び、開戦への扉を開いてしまった。
裏で陸海軍の首脳を操るべく暗躍した開戦派の策謀が見事に結実したわけだが、首相として閣議を主導していた東條は、いったい昭和天皇の願いをどのように考えていたのだろうか。結局、彼の首相としての不適格性が大いなる悲劇をもたらしたことになる。

そんな人物の東京裁判での答弁を教科書に乗せる意味など有る訳が無いでしょう。ヒトラーの「我が闘争」を絶賛してドイツの教科書に載せるべきだというの同じ犯罪行為でしかありません。
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No4です。

追記します。

東条英機は、昭和19年7月15日「靖国神社合祀調査及上申内則」 をだしています。この中で、

一、靖国神社への合祀は戦役事変に際し、国家の大事にたおれた者への神聖無比の恩典。上申は公明に行え。
一、「合祀上申」とすべきは戦死者または戦傷死者、「特別合祀上申」とすべきは
(1)戦地においてマラリア、コレラなど17のいずれかの流行病で死亡した者
(2)自己の重大な過失によらずに負傷または病後に死亡した者
(3)戦地以外で戦役、事変に関する特殊勤務に就き、負傷または病後に死亡した者?とする。

この基準で言えば、東条英機は戦死者または戦傷死者でもないですし、戦病死者でもありません。また戦地以外で特殊任務についていたわけでもないです。ですから合祀するというのは本人の意にも反すると思うのですけれどね。
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堂々としていたからそれが何でしょう?


長くなりますが、最後まで読んでくださいね。

そもそも東条英機は勝ち目のない太平洋戦争の時に日本をひきずりこんだ責任者の一人ですよ。彼のやったことをいくつかとりあげてみましょう。

1.勝ち目のない戦争ということが理解できなかった

昭和16年8月に開催された当時にのエリートを集めた『総力戦机上演習総合研究会』では「奇襲作戦を敢行し、成功しても緒戦の勝利は見込まれるが、しかし、物量において劣勢な日本の勝機はない。戦争は長期戦になり、終局ソ連参戦を迎え、日本は敗れる。だから日米開戦はなんとしても避けなければならない」という結論が出されました。

近衛内閣の陸軍大臣として参加した東条英機は何と言ったか、「これはあくまでも机上の演習でありまして、実際の戦争というものは、君達が考えているような物では無いのであります。」と黙殺し「この机上演習の経緯を、諸君は軽はずみに口外してはならぬ」と口止めまでしています。

2.あくまで戦争にこだわり妥協を拒んだ

近衛日記によると、支那派遣軍総司令部が「アメリカと妥協して事変の解決に真剣に取り組んで貰いたい」と見解を述べたが、東條の返答は「第一線の指揮官は、前方を向いていればよい。後方を向くべからず」でした。

昭和16年10月の閣議において日米衝突を回避しようと近衛文麿首相が「日米問題は難しいが、駐兵問題に色つやをつければ、成立の見込みがあると思う」と発言したのに対して東條は激怒し「撤兵問題は心臓だ。撤兵を何と考えるか」「譲歩に譲歩、譲歩を加えその上この基本をなす心臓まで譲る必要がありますか。これまで譲りそれが外交か、降伏です」と唱えました。

3.嫌悪する人物に対して露骨な懲罰人事を行った。

「竹槍では勝てない、飛行機だ。海軍飛行機だ」と海軍を支持する記事を書いた新名丈夫(毎日新聞記者)を懲罰召集しようとしました。もっともこれは海軍からの働きかけがあり、3か月後に召集解除となっています。

また松前重義(逓信省工務局長)が42歳という年齢にもかかわらず、「技術者を集めて日米の生産力に圧倒的な差があることを綿密に調査した」ことをもって二等兵として召集し南方に送りました。

それ以外も多くの人に対し懲罰人事を行いました。細川護貞の『細川日記』では「斯の如く一東条の私怨を晴らさんが為、無理なる召集をしたる者七十二人に及べりと。正に神聖なる応召は、文字通り東条の私怨を晴らさんが為の道具となりたり」と批判しています。

4.捕虜になることを否定した

東条が陸軍大臣大臣に出した戦陣訓でつぎのような一節があります。

「恥を知る者は強し。常に郷党家門の面目を思ひ、愈々奮励してその期待に答ふべし、生きて虜囚の辱を受けず、死して罪過の汚名を残すこと勿れ」

早い話が「捕虜になのは恥だから全滅してでも戦え」という内容です。この戦陣訓のために勝ち目のない戦いでも突撃して全滅するという悲劇を多く生みました。

東条英機は占領軍に逮捕されて「虜囚」となり拳銃自殺を図っていますが失敗をしています。拳銃自殺でどうして失敗できるのかが理解できません。
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少なくとも日本政府は南京虐殺を認め続けてきていますから、日本にも問題はあった。

東條がどの程度、酷いことに関与していたかは分からないですが、責任はあるでしょう。
他方、アジアを欧米から解放しようとした日本軍の功績を認めるインド等の国もありました。
ですから、複雑です。真っ黒でもなく真っ白でもないと感じます。
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多くの若者を特攻で無駄死にさせた鬼畜ですから、そういうのは堂々としていたのではなくて恥知らずなだけです。



彼ら好みの言い方をすれば
生き恥を晒している
となります。

淡々と事実を述べるべき教科書でこれをさも偉そうに扱うのは不適切です。

ヤフー知恵袋と同じ質問なので、ひろぞうさんのベストアンサーをコピーして答えます。
この回答への補足あり
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