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まだ日韓併合してないですよね?

A 回答 (4件)

当時の韓国(大韓帝国)がロシアの影響を排除するため


日本にすり寄ってきたからです。



よく、日本が当時の韓国を侵略したので、韓国政府は日本の
軍事行動に対して強く抵抗することができなかったと安易に
考える方が多いようですが、実はそんな単純なものではありません。

まず、日本が明治維新の政変後に朝鮮との関係維持を願い
国書を送りましたが、朝鮮(官僚)はこれを無視しました。
これが書契事件です。その過程で「日本は西洋かぶれの馬鹿」と
朝鮮公館に公文書が掲示される事態となり、征韓論が起きました。
これを当時の国王高宗が知り、担当官僚は斬首されましたが、
その後も改善が進まない中で起こったのが江華島事件です。
そして、日朝修好条規が締結されました。

ちなみに、普通はこの日朝修好条規を「不平等条約」と言いますが、
当時の日本による治外法権は区域指定であり、江戸時代からの
慣習を継続したもの。関税は当時の朝鮮が地方官僚による
勝手な税金で国として関税が機能していなかったものです。
これで不平等だから日本が悪いというのは偏見では?

ところが、朝鮮は中国の強い影響下にあり、壬午軍乱や甲申政変で
日本はことごとく裏切られ、その結果起こったのが日清戦争。
その結果として朝鮮を大韓帝国として独立させました。
しかし、日清戦争で疲弊した日本はロシアを中心とした三国干渉で
多くの権益を手放すことになりました。
これを見て、「日本は金だけ出させればいい」として
朝鮮がまたまた裏切りました。

端的な例が朝鮮最初の鉄道京仁線です。
1895年3月30日 改革をすすめる朝鮮政府に対し、日本は
日本銀行を通して300万円を年利6分、租税抵当、3年据置後2年で
償還する契約を結び、京仁間の鉄道の敷設を行う予定でした。
しかし、朝鮮は1896年3月29日、「許京仁鉄道施設権于美国人」
として、アメリカ人モールスに京仁鉄道施設権を与えました。
日本の抗議に対して「米人が先に申し出て許可された」と説明
しましたが、真っ赤なウソでした。
この辺りはWikiなどで「三国干渉の為」と化されていますが、
国領の低下した日本を見限った態度でした。
この辺りは下記の資料に残っています。
「京城仁川間鉄道敷設一件 第一巻 分割1」
(アジ歴 レファレンスコード:B04010922600)

その後、乙未事変などを経て国王はロシア公館に逃げて
そこで政務を行いました。これが露館播遷です。
(ちなみにこの時の中心人物の一人が日韓併合の主役の李完用)
ところが、ロシアは日本と違って甘くないので、権益を奪っても
朝鮮の希望をあまり聞いてくれません。その結果、1898年2月13日
「イギリスかアメリカに逃げ込みたいけどどっちがいい?」と、
日本の加藤増雄公使に相談して断られました。
「2 明治30年9月27日から明治31年7月23日」
(アジ歴 レファレンスコード:B03050002900)
これがバレてロシア公館から退去したのが2月20日です。

このような国王(皇帝)が他国の影響を排除しようとするために
他国を利用しようとする行為はその後も繰り返されました。
「韓国ノ借兵並同国皇帝露国公使館ヘ播遷等ニ関スル韓帝対
 露国公使間ノ行動報告一件」
(アジ歴 レファレンスコード:B03030410900)
韓国皇帝仏国公使館ヘ播遷等ニ関スル韓帝対仏国公使間ノ行動報告一件
(アジ歴 レファレンスコード:B03030411100)
ただし、権益だけ要求するロシア(さすがに実行してません)以外の
米・英・仏からは断られています。

このようなあまりの国王のふがいなさと、裏切られても地政学上
無視できないので誠実に対応する日本をみて、朝鮮の官僚が
日本に依存するようになった結果が日露戦争の対応です。
これまでの経緯からもわかるように、自分の利益のためには
外国を利用しますが、外国からの干渉は受けたくない
という姿勢で中立宣言とかしましたが、ロシアの脅威を
排除するためには日本が必要なので日露戦争になってから
第一次日韓協約で日本が朝鮮の裏切りを縛って臨みました。

この後も皇帝は自分の権威が低下したのが面白くないので
第一次日韓協約を無視してロシアと内通しようとしてばれて
第二次日韓協約を結ばされました。よく韓国人が歴史問題で
「日本は大臣を恫喝して協約を結んだ」というのはこれのこと。
戦争中に私欲で国王が政府を無視して独断で交戦国に内通しておいて
大臣が知らないといえば怒られますよね。
それが面白くないので今度は欧米からの圧力を期待してハーグに
密使を送って、それがバレて第三次日韓協約となりました。
この辺りを「日本が朝鮮支配をもくろんだ」とか言う人がいますが
当時の経緯を無視しすぎだと思います。
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この回答へのお礼

これは大学受験レヴェルの歴史ですね。ありがとうございます!

お礼日時:2025/05/06 18:59

当時、日本は韓国(大韓帝国)に対して強い影響力を持っていました。

戦争前から韓国政府に対する外交的な働きかけを行い、軍事的な協力関係を築いていました。

韓国は日露戦争において公式には中立を宣言していましたが、日本は戦略的な理由から韓国国内に軍を進め、仁川港などを利用しました。これは事実上、日本が韓国を軍事的に掌握していたことを意味します。

日本海軍は韓国の仁川沖でロシア艦隊と交戦し、勝利を収めました。この戦いの後、日本は韓国国内での軍事行動をより自由に行えるようになりました。

韓国政府は日本の軍事行動に対して強く抵抗することができず、日本軍の駐留や港の使用を許容せざるを得ない状況でした。

つまり、日韓併合前でも日本は韓国に対して強い影響力を持ち、軍事的な目的で港を利用することが可能だったのです。日露戦争は日本の朝鮮半島への関与をさらに強める契機となり、その後の併合へとつながっていきました。
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この回答へのお礼

日本の韓国に対する外交力ってのは凄かったのですね。

お礼日時:2025/05/06 19:00

<事実上の占領ですね。



はい、そうだったと思いますよ。
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当時南朝鮮を日本がある程度掌握していたからではないでしょうかね。

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この回答へのお礼

事実上の占領ですね。

お礼日時:2025/05/05 07:09

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