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江戸時代の問屋さんって大きな相手なら小売もすると今の問屋と商売が違ってませんか?

A 回答 (2件)

今では一般消費者にも小売をするような問屋もありますが。

(もう問屋ではなく量販店かもしれませんが)
江戸時代の問屋といってもいろいろありました。
商業流通にかかわる問屋としても、江戸時代初期には今とは違って特定の商品を専門WGに使うのではなく、いろいろな商品を荷主と注文主を結びつけて口銭をとる「荷受問屋」が主流でした。
その後、自己資金で仕入れて卸す特定の商品を扱う「仕入問屋」もあらわれてきます。また上方には取引対象を一定の地域に絞った「国問屋」というのもありました。
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この回答へのお礼

いろいろあって量販店ですか、どうもありがとうございます。

お礼日時:2005/08/25 18:52

三越の前身である「越後屋」ですが、


「店前現銀売り」「掛値なし」「反物切り売り」という方法は当時の商習慣を破る物でした。
当時はつけで買う方が多く、6月と12月がの年2回か年末に一度に支払うのが普通。
また商品を客先に持参し、値段はお客との掛け合いで決めていたわけです。
そして反物などは切り売りしないので、端切れが買えない訳です。
これに対して三井高利は、店舗に買いに来てくれたお客さんを相手に欲しい料の品物を現金で売るようにしました。
値引きも一切無しだが安い。

これで判るように、問屋は大きな商売を付けで行うが、一般庶民は一度にまとまった量の商品を買うことが出来ないし、宵越しの金を持たない江戸っ子には危なくて付けで売れませんから、小分けして売る小売屋が出現したと考えます。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございます。

お礼日時:2005/08/25 18:55

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