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★「数学をすべての科学的探究の土台としての学問分野にする」という記述をみかけました。数学ってどだいなんでしょうか?数学といわれて計算問題をしかイメージできない私には理解できません。数学の発展と科学の発展は因果関係があるのでしょうか?

A 回答 (9件)

科学は現象を説明し、与えられた条件から結果を予測したり、必要な条件を満たすように設計したりするものです。

ここでの説明には、一回きりの説明ではなく普遍性が必要であり、予測や設計には演繹性が必要です。普遍性とは抽象化であり、演繹性とは論理的な導出です。これらは同時に語られる必要があります。記号化された事象とその相互の関係が与えられることにより抽象化がなされ、さらに、そのような関係性を論理的に演繹する体系を考えることが演算(記号演算であったり、写像のような抽象的な対応関係付けだったりです)に他なりません。というわけで、記号化された事象とその相互の関係が与えられるのであれば、数学に還元できるでしょうし、数学の成果を使えば非常たくさんの未知のことがらをそこから導出できるのではないでしょういか。すなわち、数学の発展はそのような科学の発展と直結します。

ところで、世の中の出来事を数学に落としこんでいくこと自体が非常に難しく、それができれば科学の一つの成果になるようなものが沢山あります(たとえば社会科学のようなもの)。なので、科学と呼ばれるものにはその途中の段階も含まれることが多々あると思います。そのとき、同じ事象でも記号化された事象とその相互の関係の取り方が人によって違ったりします。そして、それらの比較の論拠が、普遍性であったり、演繹により得られた結果による検証だったりします。それが数学の形になっていれば、より精密な検証が可能になるわけです。

というわけで、数学が基礎である理由は数学が万能の杖だからではなく、私たちの思考形式である普遍性や演繹性を求める志向によるものではないかと思います。
~万能の杖は万能であることが常に試されつづけられ、できないことがあれば捨てられるが、言葉は何かを表現しつづけようとするものがい続ける間は常に使われ続けられ、常に更新されるが故に永遠である~といったところでしょうか
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この回答へのお礼

大変参考になります。ありがとうございます

お礼日時:2005/10/25 13:25

科学が科学的であるのは、定量的であるからかもしれません。


定量的というのは、ただ、「りんごが落ちます」というだけでなくて
「何時何分何秒に何メートルの高さにりんごがあったら、何秒後には秒速何メートルの速さで高さ何メートルの位置まで落ちます。」
のように正確に予測できるということです。

たしか、昔は自然哲学と呼ばれていたものをガリレオ・ガリレイが、数学+自然哲学で科学を作ったのだったと思います。

数学が入っているかいないかが、科学と哲学の違いかもしれません。
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数学は農業の発達と建築の発達が基礎となって


います。

 人間の定住生活が始まって農業を始めると、
季節に合わせた農作業を行うために
原始的な天体観測が行われるようになり
ました。星の角度を測ったり、暦をつけて
どういった周期で季節が変わるか観測
するようになったんです。
 人が集まって町を作るにも、特定の長さの
単位を決めて、いろいろな形の構造物を
作るのに数字と形という考え方が発展して
いったんです。幾何学の始まりです。
 紀元前3000年くらいのエジプト
あたりなんかの話です。

 やがてこういった実用的な考えを離れて、
円や三角形、立体といった純粋な形だけを
考える人たちが現れ、紀元前300年くらいの
古代ギリシャで発展したんです。中学校でやる
三平方の定理なんていうのがこのころできました。

 この古代ギリシャでは、宇宙はどうなって
いるのか?とか、存在とは何だろうといった
現在、哲学と呼ばれている分野が生まれたんです。

 古代ギリシャでは、宇宙や自然現象を考える
分野をフィジックスと呼び、それ以外をメタ・フィジックス
と呼んでいました。

 宇宙や自然現象を考えるといっても、当時は数式では
なく、言葉で議論していました。中学校の
理科で出てくる、万物の根源は粒であるといった
デモクリトスの言葉のように、自然とはこうゆう
仕組みで成り立っているのだろうという議論を沢山していたわけです。

 ギリシャが滅ぼされてから、長い間この
哲学と数学という概念は広く世間に広がることは
ありませんでしたが、中世の終わり?15世紀ころくらい
に、古い考えを見直そうというルネッサンスと
いう動きがヨーロッパで起こり、芸術や
文学と共に、哲学と数学が大きく見直され
ました。古代ギリシャの数学の本が
ヨーロッパ諸国の言葉に翻訳され出回った
んです。

 高校の物理に出てくるヨハネス・ケプラー
という人などが、惑星の運動は立体の
組み合わせと関連があるのではないかと
考え、惑星の運動を幾何学と数式を使って
説明しようとしたんです。

 結果的に立体とは関係ありませんでしたが、
チコ・ブラーエという貴族が観測した
火星の軌道の観測結果を分析し、ケプラーは
惑星は楕円運動していることを発見しました。

 楕円は、古代ギリシャでは円錐という
立体を斜めに切ったときの断面の形と
意味しかなかったんです。

 数学、特に幾何学を使うと、一見複雑に
見える現象が簡単に理解できるという
ことがここから大きく進歩していった
んです。

 ★つまり言葉で説明しようとすると
 複雑になってしまう事がらも、幾何学
 に結びつけて説明すると非常に簡単に
 なるんです。
 
 その後、17世紀に重力の研究をした
アイザック・ニュートンは、物体の運動を
いろいろな図形、曲線で表し、分析し
投げられた物体は、放物線を描くことに
気付いたんです。放物線は、円錐という立体を
極端に斜めに切ったときに出てくる形です。

 ニュートンはこの研究をまとめ、
本を出しました。この本のタイトルが
「自然哲学における数学的諸原理」
というもので、言葉で語られていた
古代ギリシャの哲学を、数式で説明した
わけです。これが現在中学、高校でやる
物理学(フィジックス)です。
 
>数学の発展と科学の発展は因果関係があるのでしょうか?
 
 数学と科学の関連を決定付けたのが、
このニュートンと言っていと思います。

 この17世紀には、議論ではなく実験で
現象を証明しようとする、実験科学といった
考えが広がり、18世紀の産業革命による
技術の進歩と互いに影響しあうことで
大きく発展していったんです。

数学的モデルを考える→実験で証明する
という手順が確立していったんです。

 この方法から、思わぬ誤解も生じました。
水の流れを表現する式を、
電気伝導にも応用したところ、殆どそのまま
使えたので、電気も水のように流れて
いる何かだと考えられてしまったんです。
そこで電流といった言葉ができてしまった
んです。
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この回答へのお礼

たいへんためになりました。参考になる本があれば教えていただきたいです。。

お礼日時:2005/10/25 19:43

 自然科学の中でも、特に物理学が数学と密接に関係しています。

物理学は、客観的、定量的に数値化されるものの間の関係を求める学問ですから、数学は必須と考えます。例えば、バネを引っ張ったときの力は、フックの法則により、F=-k・xと表されます。これは、力、変位量という定量化されたものの間の関係を示しているので、物理学です。また、力が加わると加速度運動をすることが分かっています。いわゆる運動方程式で、F=maと表されます。加速度は、変位を時間で2回微分したものです。これとフックの法則をあわせると、m・d2x/dt2=-k・xとなりますが、この微分方程式を解くのは、数学そのものです。その結果得られる解は三角関数になりますが、それはまさに単振動という実際の現象と一致します。これは数学と物理学の見事なコラボレーションといえるのではないかと思います。
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科学は具象を抽象化することにより、モデルを作ります。

それにより預言をすることが可能になります。人類の創り出した抽象表現の極限が数学ですから数学は科学の基礎なのです。
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あまり自信はありませんが、科学は認識される客体を問題にしていますが、数学は科学と違って認識主体である人間を対象にしているからではないかと思います。

もちろん対象化されれば人間も客体として理解されますが、これが数学の体系そのものではないかと想像します。認識の基礎にあるのは認識主体であることを考えれば当然のことのように思うのですが・・・
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私の個人的な意見です(誰しもそうなんですが、一般的な意見がなさそうなのであえてことわっておきます)。



数学は自然科学ではありません。どちらかと言えば人文科学(人間が作り出したものを探求する学問)になると思います。だから、自然科学の探究の土台にはなれないと考えています。 ただ、自然を記述するための道具として扱うのに非常に便利なので多くの人が使用しています。しかし、自然科学で大事なこと(現象として起こっていること)は、数学自体ではなく、その裏にある現象自身です。ともすれば数式が一人歩き始めて、境界条件や厳密性を追求することに頭が囚われてしまいがちですが、大切なことは現象です。ただし、物理の発展に数学の発展が関係していないと言えば嘘になります。ただし、これは数学という広大な領域のごく一部の領域だと思います(自分自身、数学の範囲を理解していませんので、どの程度なのかは想像です)。 道具として数学が手足のように使える方は、自然科学の理解を深める手助けになるでしょう。でも、たとえコンピュータシュミレーション(数式が無いとできない)であっても、そこにある意味づけをする(できる)考え方が大事だと思います。学問の因果関係は、どんなものでも必ずあります。お互いに影響しあって、方法論的に、思考的に新しいものを導入して、前進していくわけです。
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たとえば物理学でわかった法則などを全部日本語や英語などの自然言語で表そうとするときわめて困難です。



基本的な簡単な式であれば表記も出来ますが、その法則を全部自然言語で表すことは、
1.言語の表現能力の限界
2.言語の持つあいまい性の排除が困難

などの理由で無理があるのです。
つまり実のところ「数学」である必然性があるのかどうかはともかく、物理法則などを表現する手段としてもっとも正確に、かつ簡単に表記することが出来るのは数学であるということです。
歴史的には数学は科学の進歩と共にその内容を増やし、科学のほうで必要とする概念をどんどんと取り入れてきたので、ある意味一番適しているのが数学ということにもなります。

現在の進んだ数学では、ある数学的表記と他の数学的表記が等価であるとか、2つ以上の数学的表記から共通の法則を示すなど、独自に発展してきた要素があり、逆にこれらの数学的概念により物理法則などがわかりやすく整理されるとか新たな知見が得られるというメリットも生まれています。
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もともとは物理学、化学、経済学を探求するためのツールとして数学は発展してきました。


今では立派な学問の一分野ですが、物理学や化学の理論を展開していくには数学の知識が必要です。

もともとツールとして発展してきた数学なのですが、
今では最初に数学を土台として学ばなければいけないようになってきています。
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