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こんにちは。

私は、心理学を勉強しています。

最近気になるのがニートの方を批判する人が、もう本当に多いことです。
社会のクズ、お荷物……なんていわれているのを見ると悲しくなります。

私は学校でニートについて勉強してみましたが
「親のスネを齧っていればいいから」という理由だけでニートになった人は、殆どいない様です。
社会に見放されて、人間関係がうまくいかなくて。
どちらかというと恐怖がある様に思います。

また、鬱などになっている人が多い様に思えるんです。
近代では、特に勤勉を良しとする日本人は、鬱の患者さんを貶し続けてきました。
最近では、少しずつ理解がありますが、未だに只の怠けや根性がない人間だと思われているところもあります。「死にたいといっている人は自殺しない」とか「リスカを繰り返す人は自殺しない」とかいう根拠のない話しもまかり通ってしまっています。

「家にいさせるからニートになるんだ。独り立ちさせろ」という意見もありますが、本当にそれは有効なのでしょうか。
必死に助けを呼んでいる人間を崖に突き落とす行為に思えます。(例えば最初から力のある虎を崖に落とせばあがってこられる子供も多いでしょうけれど、ネコを落としたら、あがってくる子供は少ないはずです)
家族に見捨てられ、なお更「自分は必要ない」と思ってしまうのではないかと思います。

「ニートを独り立ちさせるために家を出す」この行為は正しいのでしょうか。

A 回答 (42件中11~20件)

ニートは、お金もないし、社会的な安定、保障などもありません。


そのようなリスクを採って、ニートが得たのは時間です。
切り刻まれていない純粋な時間。
そこに、新たな生き方の希望を見出すことはできないでしょうか?
社会不適応者が、何故不適応という資格で以って、ニートになるのか。
多くの社会人は、社会人としてはまともです。
しかし、自然人としてはどうでしょう?
現代社会の不合理、自然破壊、非平和、諍い、そのようなものの一切を容認して業を受け、社会人としてまともです、ニートとは違います、と、言ってみても、説得力が無い。
ニートと社会人は、同類です。
ほんとのニートなら、出家でもしているのではないですか?
 
ニート存在は、現代社会に必要なファクターを如実に表しています。
時間を区切って有効に使おうという発想から抜けれない現代社会に、時の流れ、時間を使うのではなく、時間を生きる、時間である、という観点をもたらすことができるのは、ニートの表現する時間ではないですか?
ニートはニートでいいのです。現代社会に必要とされているから、ニートなんです。
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 こんばんは、うつ病持ちの有職者として回答を一つ。


 有職者とて、ときたま朝起きた時に「欠勤したい」という邪念というか病魔が襲ってくるんですけどね。でも「自活するために働かねば」という気持ちで可能な限り病魔をねじ伏せてます。生活資金が尽きることに危機感を覚えるようになればおのずと働く必要性に目覚めるという点では、「ニートを独り立ちさせるために家を出す」効果に一理はあるとは思います。
 しかし、事が単純でないことは他の方が仰る通りです。家を出したところで定職につくというのは結果の一つに過ぎない。なかなか職にありつけず世間に背を向けたくなった時、心の支えになるのは結局家族じゃないんですかねぇ。「ニートを独り立ちさせるために家を出す」は、それを放棄する親の証言とも見て取れます。親失格です。
 いずれ子供は親を介護し、新たな家族を養う立場になります。そういう「家族」という現実に目を背ける子供(を持つ親含む)に対して投げかける言葉として、適切ではないとボクは思います。

 お読みいただきありがとうございました。
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ニートをどうするかですが、これはただほうっておけばいいというものでもないし、外に出せばいいというものでもないと思います。


何でそんな人をものみたいに簡単に治療できると思っているのか不思議です。
いろんな人生経験をふまえ、
いろんな人に助けられ、
時に叱られ、
同じことでも時には許してやり、
時には一人でやらせて自立を促したり
時にはわざと助けず、
しかしいつもは見守ってやり、
時に無理なら「良く頑張った」と言ってやる。
本来人間を治す、育てるというのはそういうものです。
簡単に一言で言えるはずがないのです。
他人が語れるようなものであるはずがないのです。
人生が人の数あるなら、人を育てる方法も千差万別だし、ゴールだって違います。
それをなんで一緒くたに考えているんですか?
人間は全部一緒には考えないのに、
ニートだけ一緒に考えるんですか?
それに彼らもニートの前に人間なのですよ?

まず一番言いたいのは、「ニートと言っても全員違う、まとめては育てられない」と言うことです。「一人ひとり個別に育てるしかない」はずです。人間がそうであるように。
次に言いたいのは、「ほうっておけばいいわけでもないし、構ってやればいいというものでもない」と言うことです。そんな簡単じゃねえよ馬鹿。
例を挙げると、叱ると言うのは、「怒る」とは別物です。しかし良く感情に任せてものをいう人間が多いです。自分が叱っているのではなく怒っていることに気づいていない人間も多いです。
そして叱るのがしばしば怒ることになってしまうからと言って、「叱らない」のがいいわけではありません。そうしたら誰も彼を止められなくなってしまいます。
叱ると言うのは、相手のどこがいけないかを相手の変わりに言ってあげることがまず一番大事です。そしてそれに対して相手が「俺は悪くない」と言う態度を取れば、「それは違う!」と威圧し(ストレス発散のために怒るんじゃないですよ、相手の異論を押さえつけるために、程よく手段として行なうのです)、きちんと理由を述べて反論します。逆に落ち込んでいたら、「あの状況じゃ仕方なかったかもね」とフォローを入れてあげる。
同じようなことで叱られているようなら、少しきつくいつもより言わないといけないかもしれません。でもそれだけではなく、「遅刻が多いなら目覚ましを三つ用意してごらん」「俺が電話で起こそうか」などという助け舟も同時に出してやる必要もあります。
調子に乗っていたら、「ふざけんな!」と怒っているところを、自分が権威ある存在であることを、わざと見せてやる必要があります。しかしそれは一度改心の一撃を与えれば言いだけの話しで、それ以来その人を相手にしなくなったというのなら、それはただ逃げただけです。その後また普通に接してやるなどの対応が必要なのです。
どちらか、ではなくて、その間を縫うようなバランス感覚が必要なのです。それを延々と右に揺らしたり左に揺さぶったりして育てていくんです。うっかり極端に揺らして落としたりしないように。
叱るだけでこんなにバリエーションがあるんですよ?それなのにニートには「家にいさせるからニートになるんだ。独り立ちさせろ」ですか?
なるほどね。ソラ直らんわ。
親が怠けていたり、団塊の世代だから育て方を知らない可能性だってあるんじゃないでしょうか。ここまで叱ることに丁寧になっている人間って最近は早々見かけませんよ?今の上司なんてただ怒鳴っている奴多いんじゃないですか?昔ならきっと普通のことだったでしょうにね。なのに今は無い。
数々のドラマをサポートしてやって始めて人は育つんです。それはニートだって同じです。何を手を抜こうとしてるんですか。端から人を育てると言うのは大変な仕事なんです。ニートだから何だってんですか。
一人ひとりきちんと育ててやればいい。それだけのことです!
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そもそも「ニート」などと名づけること自体おかしいと思います。

変に分類して新しい立場を確立するから、それに甘んじる人も出てくるのだと思います。
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ニートの中には幼少期に「甘えたりない」状態だった人も多いのではないでしょうか。

わかりませんが。
親に甘えつくして基本的な心が満ちれば、働く気概もわいてくるかもしれません。
そういう場合ばかりはないかもしれませんが、「ニートは家を出せばいい」には反対です。
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職があるのに、働こうとしないのであれば、悪いと思います。


ところが現実はどうでしょう?
雇用統計、経済統計を見ると、失業率は高いですよね。
自殺率、貧困率も国際的に見て高い
経済がグローバル化し、工場が移転して、
雇用の場が無くなった、it化により事務員が要らなく
なったこと。こういう現実の数字に目を向けないで、精神論だけを
論じている、細木某のような人たちの意見には、説得力を感じません。
日本は集団主義と言われ、変わったことをやること、
変わった人が人とは違う生活をやるのが、難しい社会です。
集団主義、官僚制と市場原理主義がミックスした社会は、
非常に窮屈な、生きにくくなる社会になるだろうと思います。
やりたいことが自由にやれない、選択肢が少ない社会です。


米国欧州は、キリスト教の伝統があります。
教会などがセイフティ--ネットの役割を果たしています。
日本は、どうでしょう?

それと、情報化社会といわれますが、情報自体が
偏在しているし、偏っているような感じがします。
そのため若者にキャリア形成のための、資産の形成の
ための知識がうまく伝わっていないと一面もあると思います。
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私はNEETを批判するのが多いのは戦中、戦後と変わらずに持っている日本人の精神構造にあると思います。


というのも仰る通り、体を痛めつけても勤勉を良しとする思想、「根性がない」「家から出せ」という発想に結びつきやすいのは戦中も戦後も、日本社会の奥深くに変わらず流れている精神構造ではないでしょうか。
「日本人は繋がっているように見えて実はバラバラの砂のような民族」と何かで耳にしましたが、
昨今のNEETに対する批判や中傷、風当たりの強さは正にその通りだなと思いました。
団結していてもその中で足手まといになる、もしくは邪魔な奴は必要無い、ぶっ殺してしまえというかなり極端ですが、形を変えて、間接的にこういう精神が背景で蠢いていると思います。
(戦中で言えば兵役に属さなければ非国民である、というのと同じじゃないかな、とも思う)

あくまでも「批判」というのに絞っての考えですが。
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ニート問題で重要なのは、具体的な自立支援・再教育システムでしょう。



ニートの周りのピーチクパーチクが擁護だろうと突き放しだろうと、本質的な問題解決にはつながりません。だってその人の人生ですもの。

さて、その自立支援についてですが・・・
素人なので詳しいことは存じませんが、質問者様の言う「社会に見捨てられて…」というのは実際どうなのでしょう?

例えば
http://www.takii.co.jp/school/sch_menu.html
この農業専門学校は入学金、授業料、さらに食費も寮費すらも不要です。年齢制限が厳しいですが、入学できれば親に全くの負担無しでそれなりの技能が得られると思います。

次に
http://www.n-gec.org/furusato/furusatotop.htm
これは1年間農山村で住み込みでお手伝いをするというものです。参加者負担が3万円程度で報酬は無いですが、得がたい体験ができるのではないでしょうか。

私はこれくらいしか思いつきませんが、このような親に負担をほとんどかけずに一歩を踏み出せるような取り組みが、確かに存在するのです。

確かに社会が差し伸べている手は、数も少なく頼りないものが多いのかもしれません。
しかしニートの中の「社会」を呪う者達は、このような社会の差し伸べる手を果たして掴もうとしたのでしょうか?探そうとしたのでしょうか?

企業に就職するだけが社会人になる方法ではありません。農業や林業ならば対人関係に悩むことも少ないでしょう。様々な生き方があり、またそのための修行の場も探せばあることが多いはずです。
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私も心理学を学んでいます。

Beshinyサンの考え、とってもわかります。だって、本人もつらいんですよね・・。出たくても出られないとか、心の中で葛藤している人は多いはず。それを理解してあげられるところが増えるといいですよね・・。外に出せばいいってものじゃないと思います。こころの問題の解決であって、結果として外に出るとか出ないとかはついてくるのだと思います。
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まずひとり立ちできるように家事を覚えさす事ですね



後社会がいがんでしまっているから本人の努力だけで
うまくいくものではない。

昔は本当にその人にあった仕事がありましたが、今はないからね
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