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こんにちは。

私は、心理学を勉強しています。

最近気になるのがニートの方を批判する人が、もう本当に多いことです。
社会のクズ、お荷物……なんていわれているのを見ると悲しくなります。

私は学校でニートについて勉強してみましたが
「親のスネを齧っていればいいから」という理由だけでニートになった人は、殆どいない様です。
社会に見放されて、人間関係がうまくいかなくて。
どちらかというと恐怖がある様に思います。

また、鬱などになっている人が多い様に思えるんです。
近代では、特に勤勉を良しとする日本人は、鬱の患者さんを貶し続けてきました。
最近では、少しずつ理解がありますが、未だに只の怠けや根性がない人間だと思われているところもあります。「死にたいといっている人は自殺しない」とか「リスカを繰り返す人は自殺しない」とかいう根拠のない話しもまかり通ってしまっています。

「家にいさせるからニートになるんだ。独り立ちさせろ」という意見もありますが、本当にそれは有効なのでしょうか。
必死に助けを呼んでいる人間を崖に突き落とす行為に思えます。(例えば最初から力のある虎を崖に落とせばあがってこられる子供も多いでしょうけれど、ネコを落としたら、あがってくる子供は少ないはずです)
家族に見捨てられ、なお更「自分は必要ない」と思ってしまうのではないかと思います。

「ニートを独り立ちさせるために家を出す」この行為は正しいのでしょうか。

A 回答 (42件中21~30件)

タイトルの感想。


目くそ、鼻くそを笑う。というコトワザが当てはまります。

「ニートを独り立ちさせるために家を出す」
一見、効果的であると思います。
しかし、人それぞれに合った家の出し方でないと効果はありません。
ただ、言葉通りに放り出すだけで自立する。なんて思考は無謀以外の何者でもありません。
いや、こんな思考しか出来ない人間こそ自立出来ていないでしょう。


補足:(私もちょっと余計な一言♪)
「オタク」という単語が世の中に出てきてもう何十年にもなります。
しかし、「オタク」という単語が野村総研でまとめられて発表されたのはつい最近です。
オタクの意義は、
「強くこだわりを持っている分野に、趣味や余暇として使える金銭または時間のほとんどすべてを費やし、かつ、特有の心理特性を有する生活者」
だそうです。
…世間やメディアで言ってる事と全く異なります。
この発表がされても未だに世間、メディアの見る目は変わりません。

私としては、世間やメディアで言う「ニート」は到底信じれません。
まだ成熟してない言葉と思います。
質問者さんのニートとい言葉のわだかまりはここにあるかもしれませんね。
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様々な意見があり、私自身にも有意義な質問となりました。

回答者様の中には、不快な思いをさせてしまったり、この質問の秩序を乱してしまった責任は全て私にあります。大変申し訳ありませんでした。

さて、ニートという言葉は、イギリスで生まれました。90年代にかけて、多くの国で使われるようになりましたが、日本だけ解釈が違います。ここでも話題になってる様に、世界的には働けない者を指します。批判の対称になっている、特別な問題も無いただだらしないだけの無職は指しません。
近年では違いますが、日本人は元々勤勉で、理不尽な環境下でも屈せず、専業主婦という言葉を作り、夫は家庭をかえりみず仕事をしてきました。その結果、自分は死に物狂いで仕事してるのにと、無職の人に対して過度の偏見が加わり、日本独特の解釈が生まれたのではないでしょうか?

老夫婦は、夏場の日中別々の部屋でエアコンを使い、夫在宅ストレス症候群、パワハラ、仮面夫婦、大人の家出、離婚など増加に歯止めがかかりません。円満な家庭が減少して来たと思います。

最近ですが、私の祖父は軽い認知症などで歩けなくなり、祖母は何もしなくなった祖父を誹謗中傷し、軽い暴力まで振るうようになり、とうとう入院させてしまいました。もうそのまま死ねばいいのになんて言った事もありました。しかし、幾度と無く面会に訪れたり、心配してるのも事実です。

「私も同じぐらい高齢なのに、なんで私だけあんたの世話までしなきゃいけないの…」

一番印象に残ってる言葉です。以前はごく普通の家庭でした。しかし、精神的な余裕が無いため、内向的な
性格だった祖母が、急に攻撃的になりました。現実を受け入れるだけの精神力がないからだと思います。
ニートやうつについても同様な事が言えると思います。

ニートは2005年度では64万人、解答の中にありますように、求職活動をしない学生や、意味の無い浪人生活をしてる人をニート予備軍と言います。彼らはその特性から把握するのが困難で、合わせると何百万人という数になります。

ここで問題なのが、近代日本においてこれ程までに、多数の人間が同様の精神的理由から、大社会問題に発展した事が無いという点です。それまでは、家庭や学校、地域で解決できたものが、弱肉強食、忙しい毎日の中で、自分自身の事で精一杯、とても仕事してない人間の相談なんか出来ないといった考えが台頭してきました。時間に追われ、じっくり話す余裕すらないからといって、そのままの状態で強制的に集団生活などさせても、社会復帰は出来るかもしれませんが、心の闇は晴れません。結果、将来別の間違い(お互い理解しあう事も無く簡単に離婚する等)をおかしてしまうのではないでしょうか。


残念な事に、日本でも弱者と強者の二極化が進んでいます。強い人間が、弱い人間に手を差し伸べる事が一番重要な時ではないでしょうか。私はそれが出来る人間が本当の強者と考えています。それはきつく当るよりも広い心と忍耐、勇気を必要とします。

一部の回答者様には、言いたくない事まで投稿させてしまって、本当に申し訳ありませんでした。
わたしは、人間、お互いに少しずつ歩み寄れば全ての事が解決できると信じております。ニートもそうでない方も、批判的な方も全員少しずつでも構いませんので理解し合う、これが一番大事だと思います。

以上大変失礼しました。
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ご質問を拝見いたしまして なかなかどうして 世の中は捨てたものじゃないと感心しております


批判は承知で しっかりと問題提起されていらっしゃる これは大切なことですね

さて私の子供が 家庭を含め社会との接触を一切断つとしたならば 主人ともども意見が一致しておりましてこうするつもりです

― 本人が納得のゆくまで 見守る

”自分と他”とはっきり区別される”他”に家族は入れられてしまうことになるでしょうが 重々承知の上です
責めるではなく 従うのでもなく 響く 覚悟に居ります
治すとして関わる家族ではなく 治ってもらうまで見守る家族としての姿勢でありたいものです

子供に気力が湧かない やる気がでないといふときは行動を起こさねばならないことが思いに纏わり尽いていると察します
行わなければといふ気兼ねと 自然と行えることこれに子供の悩みの向きが深まるように考えるからです

子供の中に軋轢がたまり 将来を悲嘆したとしても どんなに些細なことでもいい 自然と行う この大切なことに気づいてもらえるまで待つつもりで居ります
もちろん そのことで子供が喜べたなら 私たちも一緒に喜んでいるのです
私にとって子供は”他と自分”ではありません 大切な家族です
何が最善かといふことがわからないからこそ 毎日の生活を信じて積み上げていくつもりです
だから いつまででも見守ってゆきます

回答にはならないと思われましたので アドバイスとさせていただきました それでは。
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こんにちは。

色んな意見があってしかるべきご質問だと思います。正しいとか、間違ってるとかそんな問題ではないことは質問者の方もおわかりですよね?

他からのご指摘にもあったように、ニートと一くくりにすることには問題があります。それと同じように、ニートの方は助けてあげなければいけないということもまた一くくりにして考えてはいけないことだと思いますよ。原因は様々、対応も様々ですから。

病気の方は別問題でこちらで論じることではないと思います。まずはしかるべき専門家に診てもらうことが先決ですよね?

それ以外の方について、私の意見ですが。
環境や社会にも問題はありますが、そのせいにしたとしても、社会は変えられません。社会といっても世の中の人、ひとりひとりが社会を形作っているのですから、全員変えるわけにもいきません。責任があったとしても、「責任を取れ」というわけにもいきません。
今後どうするかが問題なのですよね?
最終的にはニートの方の感じ方、考え方の問題だと思います。周りがどんなに手を差し伸べても、本人に変わる意思がなければどうすることもできません。感じ方や考え方は、人がどうこうすることはできません。影響を与えることはできてもコントロールすることはできませんし、されたくもないでしょう。
本人が「変わるのは無理」といつもまでも思い込んで、「変わらない」という選択をしてしまって動こうとしないのなら、批判されても仕方ないと思います。だって「変わらない」という選択をしたのは自分なのですから、その決断は周りのせいではなく、自分が決めたことなのです。自分で決めたことは、人のせいにせず、自分で責任を取らなければいけません。自分から助けも求めず、何もせず、では自分の努力を放棄したことになります。自分の努力なくして、周りの援助を期待する、というのは勝手です。その努力というのは「変われる」と信じるようにする努力です。「助けて」と言う努力です。それなくして、周りは助けることはできないでしょう。
「できない」と決めるのは自分なのです。その自分の弱さと責任をまず認めなければ、周りのせいにしても何も解決しません。
病気でもないのに努力しない人は批判されても仕方ないと思うのです。みんな努力しているのです。世の中で偉人と言われる人で、最初からトントン拍子にいった人なんていないと思いません?どん底から這い上がるのに、自分の意思なしでは無理だと思いません?だからまず「変われる」と信じて欲しいと思いますし、信じる努力をしてほしい。人は必ず変われるのだから。そして変わることができるのは自分の気持ちだけなのだから。
家を出す、出さないという形の問題ではないと思います。心理学を学ばれているのであればお分かりだと思うのですけれど、問題なのは周りが何をするかではなく、自分がどうするか、どう感じるか、ではないでしょうか。
世の中も捨てたものではないですよ。頑張る人が報われないとも思いませんし。ただ一つ言えることは自分が諦めたら終わりなんです。諦めなければきっときっと変われます。せっかく心理学を学ばれているのですから、周りの批判から守ることではなく、その方たちの心の在り方に目を向けてあげてみてはいかがでしょうか。社会の考え方はいつの時代もひとつではありませんしね。世の中全てが画一的な考え方になるのも怖いことだと思いませんか?温かい社会であって欲しいとは思いますけどね。
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御質問者様。



私がかつて激しい攻撃を受けた人も「心理学徒」を名乗っておられました。貴方が真実、心理学を学ぶかたでいらっしゃるなら「無責任な共感」だけでは誰も本当には救えないのだということ心に留めていてください。常に本質を慎重に探ることを忘れないでいてください。それは冷たいことですか?

>最近気になるのがニートの方を批判する人が、もう本当に多いことです

ということは、その存在を大目に見ることに抵抗感が生じるほどに「ニート」なる人が増えているということですよね。
彼らは皆「本物の」ニートなのでしょうか?
「本物の」ニートがバッシングされているのでしょうか?
或いは「本物の」ニートと「にせものの」ニートがあるのでしょうか?

>「親のスネを齧っていればいいから」という理由だけでニートになった人は殆どいない様です。

それはそうでしょう。当たり前です。親が財産家とでもいうなら、いざ知らず、そうでないなら一般的に、そのような理由が通るような社会ではないでしょう。

>社会に見放されて、人間関係がうまくいかなくて。
どちらかというと恐怖がある様に思います。

これはニートの人だけが、そうなのでしょうか?
私だって、いまだに毎日が恐怖との戦いですよ。誰かが私を食い殺しに来るからでなく自分のなかの恐怖が敵なのです。
ですから他でも御指摘がありますように「最初から強くはない」ということなのです。

泳げない人間を、いきなり崖下の海へ放り込めと言うのではありません。
事前の下準備が必要なのは普通、誰しもです。
そしてその準備は幼くもない、或る程度の年齢の人間が、誰か与えてくれるまで待っていればいいのですか?
また、その準備が遅きに失しては取り返しが付かない恐れがあるのも、また現実です。

>「ニートを独り立ちさせるために家を出す」この行為は正しいの
かどうかを問う前に問わなければならないことがあるのではないでしょうか。

最後に
働かないから自由になる資金がなくてスキルを身につける資金の工面ができない、家に閉じこもって生活自体もリズムが狂ってくる、昼夜逆転していたら夜の仕事ならともかく普通に面接に行く時間すら、おぼつかない、気分転換の範囲が狭くなって気分も沈んでくる、家族や周囲の人たちの視線が痛い、従って後ろめたい、罪悪感のような感情が湧いてくる、鬱になりました。
これじゃ、あまり同情はできないなあということです。

私は聴力がやられていますから普通のコミュニケーションがしんどいです。ただでさえ人嫌いなのに弱みに付け込んで足を引っ張られないよう常に気を張り詰めている面があります。それも理由の一つにあって鬱なのです。

罵倒は確かによくない。しかし自分の問題に自身で向き合わなくてどうするのでしょう。まして仕事をしていくうえでのスキルは自らつかみに行くものです。最初から与えられてる人なんていないでしょう。そのあたりが、そもそもどうにもならない人が本当に問題を抱えているのではないのですか?
本当に、そういう人ばかりが、ここ最近で、いきなり急激に増えたのでしょうか?

>必死に助けを呼んでいる人間

彼らは今まで何をしていたのでしょうね?

手を差し伸べるなと言う気はありません。私だって助けて欲しいです。

どうせなら実のある議論をしたいものですね。
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あたしはみなさんのように難しいことは書けませんが、あたしはニートみたいなもんなので、ニートの人の気持ちがわかる気がします。


ニートみたいなもんっていう理由は、大学生なのでニートではないんですけど、みんなが当たり前のようにやってるバイトもできないで、長期の休みでもずっと家にいるからです。
ニートって必ずしもさぼってるわけじゃないと思うんです。
結果的にはさぼってるのかもしれませんが…。
社会でうまくやってけない子がニートになってしまうんだと思います。
自分でも社会に出たいって思ってるし、社会に出なきゃって思ってる。
何もしてないのに家にいて申し訳ないと思ってる。
バイト募集のチラシをみるたびに胸が痛くなるし、派遣のCM見るたびに家族は本当はどう思ってるんだろうって怖くなります。
いつも後ろめたさを感じています。
でも無理なんです。
たぶん普通の人には理解できないと思うのですが。
努力がたりないんだとか、無理やりにでも社会に出てみたら思ってたよりもうまくやってけるもんだとか、そういうことも頭ではちゃんとわかってます。
でもなぜか、どうしても無理なんです。
なんかあたしのことばかり書いてしまってごめんなさい。
ニートが全員こんな気持ちではないと思いますが、こういう気持ちのニートも多いと思います。
「ニートを独り立ちさせるために家を出す」っていうのは、ちょっと危険かもって思います。
そうやることによって頑張れる人もいるかもしれないけど、生きていけなくなる人もいるような気がします。
家から出たとしてもやっぱり何もできなかったら、ほんとに救われません。
ニートって、弱い気持ちをなくして強い気持ちをもてるようにできたなら、社会に出ていけるんだと思います。
それが難しいんですけどね…。
ニートみたいなあたしがこんなこと書いても、開き直っているとしか受け取ってもらえないかもしれません。
でもあたしの意見を書かせていただきました☆
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「ニートとは何か?」というのをそもそも良く解っていない人が多いでしょう。


単語を知っているだけでは中身を知っているとは言えません。
(私もそれほどよくは理解していませんけれども)

うつ病ですら、知識が無い人は多いですよね。
治療を受けている本人でも、それほど病気について理解していない人がいらっしゃるようですし。

共感は出来ないにせよ、批判したいのであれば基礎知識を仕入れてからにしたほうがいいだろう・・・というのは、思います。

ところで、
アサーションの本を読んだら「普段我々はこういうプロセスで人とコミュニケートしているんですよ」というのが文章で解説してあったんですが、文章にすると、日頃こんな複雑な作業を行っているんだなあーと思えました。

社会生活を大きな困難なく送れる人にとってはほとんど無意識に行っているコミュニケーション・・・・当たり障りのない世間話をするとか、仕事上の付き合い・友達付き合い・近所の人との付き合いをそれぞれシフトチェンジするとか・・・・が困難な人は、そりゃあ大変だろうなと。

子供の頃からの積み重ねがあるのであれば、
いきなり20代になってから「さあこれから大人として社会で働こう!」と言っても、無理だと思う。
泳げない人をいきなり海に飛び込ませて、泳げるようになるかどうかは「?」
スキーやスケートだっていきなり履かせて「はい、滑りなさい!」って、難しいですよねえ、普通は・・・・。
 ↑
海に落とすようには死なないですけど。


「そのままの君でオーケー!」とは思いませんし、身近で見ていたら私はイライラするでしょう。
私は抑うつ症状は経験ありますが、やる気があり過ぎて辛くなるタイプだし、引きこもらないので(かくのごとく、うつ者もタイプは様々)。

だけど、ジリツしてもらうにはそれなりのやり方をしないと難しいのでしょう。
前に研究者がテレビで言ってたけど、「支援と甘やかしは違う。支援は必要だ」と。
「サポート」と「何でもお助け」は違いますものね。

「出来ることをやらない」ならそれは「怠け」ですが、技術も経験もないから出来ない事、病気になっていて出来ない事は、怠けとは言わないでしょう。

「そんなの誰もが出来ることだ」という前提で考えているのが、もはや違うのかもしれません。
(だとしたら由々しき事態で、由々しき時代だ)

参考URL:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4140881 …
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わたしは最近「ニート」はかなり社会で認められていると思っています。

「ニート」という言葉を知らない人はいないし、杉村議員も「ニート対策」に力をいれるようなことを言っていました。世間にはもっと差別されているようなことがあると思いますよ。ニートはめぐまれているほうだと思います。それは個人的には気に入らないと思う人も怠けだと思う人もいるでしょう。それは仕方ない。でも少なくとも新聞などの論調ではそうはなっていない。決してニートは社会から迫害されてはいません。対策も講じられています。これ以上認める必要があるでしょうか?社会の全員がニートを認めたらそれこそおかしくないでしょうか。
>「ニートを独り立ちさせるために家を出す」この行為は正しいのでしょうか。
ニートになってからでは遅いかもしれません。でも少なくとも家にはいられない状況だったらニートにはならないでしょう。ニートになる前に家にはいられない状況を作ることだと思います。人間は環境だと思います。貧しい時代はそんな人はかなり少なかったでしょう。
最近鬱やニートの原因を親に求めたり本人にはまったく原因がないみたいに言われがちですが行き過ぎのように感じています。もちろん両親や本人のもともとの心の弱さもあるのかもしれないけれど、鬱になるのは本人の行動にも原因があるのです。ニートは大人なのですからニートである責任を持たないといつまでも自立できないと思います。
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ニートの人というのはいわゆる差別語になりませんか?そういう俗語が私は嫌いです。


無職でやることがなさそうで、一応家族の誰かの世話になる人、いろいろいますがいわゆる無職の人でしょうか?
まずは鬱の人は病気なのです。
ニートだから鬱でもないし、リストカットするわけではないです。
社会生活をしながら、鬱やリストカット症状に悩まされる人も多いわけです。
私は無職という状態自体がもう駄目だと思います。
ニートは・・といわれるのはそこではないですか?
どんなにイヤでも牛乳の配達のひとつもやれば
フリーターでしょう。
とりあえず、生活できるレベルになれなくとも
お金を家庭に入れようとか、そういう気持ちが
大事ではないですか?
何も仕事をしなくても家事くらいすれば家事手伝いにもなるでしょう。
なんにもしないのがニートではないですか?
私にはそう見えますけど。
なんにもできない人もいすれは親が亡くなって
働かなければなりません。
そう思うとニートはしっかりしろよ!!
とぼこぼこに言われてもそれも愛情だと思います。
職がないからと言って勝手にかっこいい名前を
つけたもんですね。
質問者さんに批判したいわけではないですが
働く人にも様々な精神症状に悩まされながら通院し
尚自分を支える方がいらっしゃることにも
着目してください。
ニートというのは自分で稼いでない人です。
病気だのは言い訳に聞こえます。
世の中働かざるもの食うべからずです。
ニートニートと言ってないで、何かひとつでもして欲しいものです。
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No.10です。



>最近気になるのがニートの方を批判する人が、もう本当に多いことです。

私の周囲でも同様です。それなのにニートは増加を続けています。世の中に擁護する人より、批判及び厳しく対応した方が良いとする人が圧倒的に多い中で、増加に歯止めがかかなないのは、解決策が間違ってるからではないでしょうか?

私は過去の歴史的観点から、現在の社会問題を解決する方法を日々考えてますが、ニートが生まれたのは、80年代後半か90年代になってからなんですね。国のために無駄に命を捨ててた時代から、復興に人生を捧げ、バブルで富や名声が重視される時代が終わってからなんですね。その副作用の一例が、ニートではないでしょか。
閉鎖的な考え方から、個人を重視すようになった転換期です。宗教色が薄い日本において、復興や出世という絶対的なものが影を潜め、自分で人生を設計しなければなりません。その中で、弱い人間や、目標を見出せない人間の一部がニートだと考えてます。
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