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日露戦争の旅順攻略戦で、なかなか旅順要塞を陥落させられない第三軍に業を煮やした満州軍総参謀長の児玉源太郎が、第三軍司令官乃木希典の指揮権を一時取り上げて、自ら指揮し要塞を陥落させたという話が有名になっています。
しかし、考えてみると軍司令官は天皇の親補職でその指揮権は天皇の軍事権の代行であるというのが建前だったはずです。天皇の勅許ないしは内諾なしに上位指揮官でもない児玉源太郎が、勝手に指揮権を代行する事などが本当にできたのでしょうか。
司馬遼太郎さんの小説が有名になりすぎて、あたかも定説のようにとなえられていますが、この件について、本当にそのようなことがあったと証明する資料が現存しているのでしょうか。
詳しい方、御教示下さい。

A 回答 (4件)

公式文書は判りませんが、映画「二百三高地)では、天皇に乃木の更迭の裁可を求めますが、断られていますね。


やむなく、あのような形になったのではないでしょうか?。

この回答への補足

本当に大本営の会議で乃木の更迭が議題に上ったことはあったのでしょうか。
満州軍総司令官は大山巌ですから、下位指揮官である乃木の更迭は大山の具申による大本営による直接の更迭か、請訓による大山の権限での解任しかないはずです。大本営で乃木解任の議題がでるということは満州軍総司令官の大山巌も乃木解任に同意して意見交換をしていたということになるのですが、大本営と満州軍の間で、そのようなやり取りがされている事が第三軍側に漏れないというのも不自然な話ではないでしょうか。この件で、児玉が旅順に向うまで第三軍が何か情報を得ていたという話は聞いた事がないのですが‥‥

補足日時:2006/02/26 06:10
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満州軍は、第1軍から4軍まで管理してました。


その3軍で旅順を攻略したにすぎません。
しかし、満州軍は、ロシア軍と対峙してて、3軍まで顧みる余裕がなく、まかせきりでした。
日清戦争で1日で落ちたという前例が、そうさせたのだと思いますが。
3軍が大本営直轄であれば、大本営から罷免なり参謀を送り込むことも可能でしたが、満州軍の指揮下にある以上それはできず、満州軍からは、大山元帥のみが指揮できまたが、その代理として児玉大将が行っているという形になってます。
ですから、悪例ではありますが、指揮系統の乱れということでは問題ないと思います。

この回答への補足

>大山元帥のみが指揮できまたが、その代理として児玉大将が行っているという形になってます。

その、児玉を大山巌の”代理”として派遣するという命令書なり覚書は現存しているのでしょうか。司馬遼太郎さんの小説では、命令書を懐に入れた児玉が乃木と個人的に会見して、結局、命令書を行使せずに指揮権に介入したという曖昧な書き方しかされていませんが‥‥

補足日時:2006/02/26 06:06
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軍隊の指揮官というのは通常参謀の意見具申の採用ないし不承認の決定を行い、自分で作戦を立てるとか命令を起草することはありません。



児玉源太郎は参謀として第三軍に赴任し乃木司令官の承認を得て行動したのです。
確かに非常手段かも知れませんが、乃木司令官にしてみれば窮境に陥っていましたから天の助けでした。

指揮権の委譲は必要でなかったのです。  もしそれを行うのなら乃木司令官の罷免が必要ですから。

児玉将軍は旅順のロシア軍の降伏を見届けると、水師営の降伏調印式にも参加せずに元の総参謀長の席に戻り、乃木司令官の名誉を保ったのです。

この回答への補足

>児玉源太郎は参謀として第三軍に赴任し乃木司令官の承認を得て行動したのです。

満州軍総参謀長である児玉が第三軍の一参謀になったという事でしょうか。大将で大臣経験もある児玉が佐官クラスの軍参謀と同じ職位に降格することなどありえなかったのではないでしょうか。
どうも、私には児玉の第三軍行きと旅順陥落には何の関係も無いように思えてなりません。単に督戦に行って、ヤイノヤイノ言っているうちに203高地が陥落したので、なんとなく児玉の手柄という話になってしまった、というのが真相ではないのか、と思っています。

補足日時:2006/02/26 05:56
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ガダルカナルでも同じ様な事があったが


日露戦争が前例だったのか
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