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歴史に詳しい方にお尋ねします。

1945年7月、英国の首相チャーチル(保守党)はなぜ総選挙で労働党に敗れたのでしょうか?
挙国一致内閣を率いてドイツとの戦いに勝利したのに、国民の評価は意外にも低かったということでしょうか?
ポツダム会議を途中で去らねばならなかった彼の無念さがわかるような気がします。

どうぞよろしくお願いします。

A 回答 (2件)

イギリス人はチャーチルを「戦時体制の臨時指導者、戦争屋」であり


それ以上でもそれ以下でもない存在としか思ってなかったそうです。

イギリスは1939年まで、なんとか戦争は避けたいとう非戦論が態勢を
占めており、その段階ではタカ派のチャーチルは「うざったい存在」
でした。
しかし、同年9月ドイツのポーランド侵攻でイギリスは、やむなく
戦争に踏み切りチャーチルは海軍相に就任。
40年5月、首相に就任しました。
つまり、別に選挙で選ばれたわけではなく、戦争期間だけの
限定指導者だったのですね。
当然、戦争が終われば用済みです。
元々人気もなく、戦争大好きのコチコチの保守派、経済政策に関して
は評判が悪かったのですから平時には不要だったのです。

海軍上層部では人気のあったチャーチルも、地上戦(アフリカや
シンガポールでの劣勢、イタリアやオランダでの戦線停滞)で
陸軍や国民からは人気がありませんでした。
バトルオブブリテンも別にチャーチルが戦闘機に乗っていたわけでは
ないですから、あまり大きなポイントにはならなかったのです。

停戦や休戦の機会を全て拒絶し、莫大な戦費を使ったわりには、
東欧は共産主義に支配され、植民地の権益を失い、アメリカに既得権
の多くを持っていかれ、得たのは「戦勝国」という肩書きのみ。
結局、戦時中の「チャーチルの信念」のツケは、
サッチャー登場までの35年間イギリスは没落させ、ドイツ日本
はもとより、一時はイタリアにまで経済的に負けるぐらいまで
落ちました。
そのためかイギリスでは、未だに(終戦時も)チャーチルの人気は
それほど高くはありません。

ちなみに、世界中でチャーチルを高く評価しているのは意外に
日本人なのは、元来の「英国好き」の国民性だからでしょうか。
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この回答へのお礼

詳しく教えてくださりありがとうございました。

お礼日時:2007/02/12 21:10

なんだかんだといって、あのチャーチルの顔を見ると、戦争中の苦しい体験が思い出されます。

もう戦争は終わったのに。
つまり、飽きられたということです。
それが、選挙というものです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2007/02/12 21:11

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