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1588年のアルマダ海戦について質問致します。
このアルマダ海戦は、歴史上どのような点で重要な出来事だったのでしょうか?
また、アルマダ海戦のあとの時代や社会にどのような影響を与えたのでしょうか?
教えてください。宜しくお願い致します。

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A 回答 (4件)

オールによる推進力<ガレー船>と帆により推進力を得る<風帆船>の戦いでした。

当時の風帆船は、風に逆らう(切れ上がる)力が未だ充分ではなく、艦隊同士の決戦は、広い海域を必要としていました。それに対してガレー船は、無風でも推進力を持ち、風帆船より海戦に有利とされていました。地中海地方では、スペインの艦隊は無敵だったのです。

 このような状況での海戦となり、風帆船しか持たないイギリスはガレー船主体のスペイン艦隊に対し窮地に立たされたのです。しかしながらガレー船には漕ぎ手の奴隷が必要で、その点では奴隷廃止を決めたイギリスの方が、より近代国家となっていました。そして奴隷に反対するギリスは、風帆船のみでこれを迎え撃つ決心をするのです。

 劣勢なイギリス海軍は、自国出身の海賊の赦免状を発行、<私掠船>の免状を与え、自国防衛に従事させました。そして彼等の採用した戦法は、速度を生かした、ヒット&アウェイでした。つまりアルマダを風が有利な時だけ攻撃して、自らの艦隊に損害の少ない戦法を採用したのです。

 イギリス海軍と元海賊の戦闘の末イギリス本土に接近したアルマダは、上陸を試みるも、地中海と違い外海の荒海に妨げられ、上陸出来ないばかりでなく、暗礁等で大損害を出します。地中海とスペイン沿岸では無敵のガレー船の艦隊も、北緯50度以北の荒海では、実力を発揮できませんでした。二次三次と遠征をを続けるも、一度も成功せず、風帆船艦隊の戦法の前に敗戦を重ねたのです。

 この海戦以降、世界の艦隊の主力は、漕ぎ手の不要な風帆船時代へと移行していった、重要な海戦でした。
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この回答へのお礼

色々と調べましたが「ガレー船」と「風帆船」という違った視点で捉えていて、とても参考になりました。ご説明もとても分かりやすかったです。ありがとうございました。

お礼日時:2007/08/25 15:46

 アルマダについては、過去にも色々質問がされています。


 参考にどうぞ。

http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3140789.html
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この回答へのお礼

リンク先もとても参考になりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/08/25 15:42

アルマダの海戦それ自体には大きな意味があるわけではありません。


スペイン海軍は、すぐに再建され、その後も世界最強海軍として君臨しつづけます。

スペインおいては、ほとんど意味の無い戦いでしたが、イギリスにとっては、国威を示した大きな意味のある戦いでした。
この戦いにより、スペイン陸軍は大打撃を受け(スペイン艦隊のほとんどは、戦艦ではなく陸軍の輸送艦で、イギリス侵攻軍を乗せていました)、ネーデルランドの反乱を制圧するのに手一杯になり、イギリス侵攻を行う事ができなくなったため、イギリスは、スペインからの侵略を気にせずに行動できるようになります。

つまり、その戦い以降、イギリスは、反スペイン行動を気がねなく実行できるようになったのです。

一部で、アルマダの戦いで、海上支配権がイギリスに移ったように書いてある本などもありますが、それは誤りです。
この後スペインの国力が衰えてゆくのは、戦いの結果ではなく、スペインの持つ経済的、社会的原因によるものです。

イギリス史専攻の教授や、勉強不足の教授などでは、アルマダの戦いに大きな意味を持たせる教授もいますから、課題の場合は、教授の性格や考え方などを理解したうえで回答してください。

なお、アルマダを無敵艦隊と訳したのは、イギリスが意図的におこなったもので、スペイン語デアルマダは単に艦隊といういみでしかありません。
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この回答へのお礼

色々と調べて、「アルマダ海戦」に大きな意味があるのか、確信がもてずにいましたが、ご回答でよく分かりました。ありがとうございました。

お礼日時:2007/08/25 15:50

参考書を一冊教えて差し上げますので、無敵艦隊については自分で調べてください。



アルマダの戦い スペイン無敵艦隊の悲劇
http://www.7andy.jp/books/detail?accd=19833550
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2007/08/25 15:41

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Qエリザベス一世女王について

イギリスの歴史でとてもよく耳にするエリザベス一世女王ですがこの時代は名目ではなく君主は巨大な権力を持っていたのだとは思うのですが何が一世をここまで有名にさせたのでしょうか?一世女王の在位期間中この方はどのような事を行ったのでしょうか?また彼女にまつわるドラマ、お話を知っている方がいらっしゃれば教えて頂けたらと思います☆

Aベストアンサー

こんばんは。

今現在、イギリスが世界の大国と肩を並べる事ができるのは、エリザベス1世の力が非常に大きいと考えます。エリザベス1世が即位したのは、1558年、まだ彼女が25歳の時です。彼女が即位した当時のイギリスは、現在とは比較にならない程、小国家でした。この頃のイギリス国内は、かなり揺れていました。

エリザベス1世の父親・ヘンリー8世は、熱心なカトリック信者でありましたが、王妃であるキャサリンと離婚し、アン・ブーリンと言う女性との結婚を強く望みました。カトリックにおいては、離婚はご法度ですから、ヘンリー8世からしたらカトリックである事が邪魔になります。そこで、アン・ブーリンとの再婚を目的に、当時の教皇と対立した上で、キャサリン王妃と離婚、アン・ブーリンと再婚し、カトリックを離脱、イギリス国教会を設立し、自らがその長となりました。

そして、ヘンリー8世が亡くなると、異母兄弟であるヘンリーの子供たちが次々と国王・王女へと即位していきます。カクテルの「ブラッディ・マリー(血塗られたメアリー)」の由来となったメアリー王女が亡くなると、ヘンリー8世とアン・ブーリンのエリザベス1世が即位します。先代のメアリー王女は、ヘンリー8世の離婚相手、キャサリン王妃の娘でしたのでイギリス国教会ではなく、カトリックの復帰を徹底しました。しかし、アン・ブーリンの娘であるエリザベスは、イギリス国教会を国家の主柱とします。

王室に振り回される国民は激怒します。カトリックを支持する乱が北部で起こると、エリザベスはそれを鎮圧。これにより、当時の教皇のピウス5世は、正式にエリザベスを破門し、露骨に敵意を表すようになるが、その翌々年に死去する。当時国内には多くのカトリック派がおり、エリザベスは暗殺の危険に常にさらされていました。

一方、イギリス国内や諸外国では「庶子であるエリザベスには王位継承権は無く、メアリーこそがイギリス女王に相応しい」との声が多く聞かれました。メアリーとはエリザベスの叔母の孫でした。そんな中、1568年には、エリザベスの宿敵である前スコットランド女王メアリーが国の内紛によりイギリス国内へと逃亡してきます。エリザベスのメアリーの間には数々の因縁がありますが、不思議とエリザベスはメアリーにイギリス国内において、自由な生活を送らせます。しかし、メアリーはエリザベス廃位の陰謀に関わります。1586年のバビントン事件がそれです。エリザベスの暗殺を狙ったこの事件では、メアリー関与の証拠が裁判で提出され、メアリーは死刑となりました。ここでの逸話が、エリザベスはメアリーの死刑にはなかなか同意しなかったと言われています。死刑執行書にサインする時も、エリザベスは躊躇ったそうです。

メアリーの死刑がエリザベスの人生の中でも、最も大きな事件を引き起こします。カトリックの熱心な信者であり、カトリックによる国家統合を目指していた太陽の沈まぬ帝国と呼ばれた超大国スペイン王フェリペ2世がイギリスを攻撃してきます。このフェリペ2世もエリザベスと因縁のある人物で、エリザベスの先代のメアリー女王と結婚・死別しており、イギリス国教会を推し進めるエリザベスと激しい対立を繰り返していました。そんなフェリペ2世が、1588年、「無敵艦隊」をイギリスへ出動させるが、イギリスの攻撃により壊滅。(アルマダの海戦)スペインは一気に世界においてその力が衰退していきます。スペインを破った事により、スペインが独裁していた世界貿易を一手に担うようになり、国際上において、イギリスは強国へと成長します。

1603年、因縁のスコットランド女王メアリーの息子ジェームス1世を後継者と指名し、亡くなります。

エリザベスは生涯独身を貫き、処女王と揶揄されました。何人かの愛人を持っていました。特にロバート・ダドリーとは、結婚を考えるほど深い愛情の中だったと言われています。

大変長くなりまして恐縮ですが、エリザベスの歴史における余りにも大きな役割のために、省略してもこんな感じです。エリザベスの恋の行方は、1998年のアカデミー賞作品賞にノミネートされた「エリザベス」という映画があります。

ご参考になりましたら幸いです。

こんばんは。

今現在、イギリスが世界の大国と肩を並べる事ができるのは、エリザベス1世の力が非常に大きいと考えます。エリザベス1世が即位したのは、1558年、まだ彼女が25歳の時です。彼女が即位した当時のイギリスは、現在とは比較にならない程、小国家でした。この頃のイギリス国内は、かなり揺れていました。

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Q世界史に関してはあまり知識がないのですが、ずっと思っていた疑問です。

1,588年にスペインの無敵艦隊がイギリスに負けましたが、何でたかがこのことぐらいでスペインは急速に衰えたのか?
戦争に負けるのは確かに大打撃ですが、当時ヨーロッパ最強のスペインがこのアルマダの海鮮以降フランスやイギリスに比べ、ほとんど歴史に出てこなくなるのが個人的にはものすごく疑問です。

Aベストアンサー

アルマダが負けたのが、スペインが衰えた事の主な原因ではない、というのは、既に他の方が回答されたとおりです。事実としても、アルマダが敗れた後も、スペインは強国でした。(ウィキなんかに、アルマダが「スペイン衰退の予兆となった」と書かれているのは、逆に言えば、直接&間接を含め、国際的な力関係をスペインにとって不利にした要素は少ない、と意味でもあります。)
因みに、英国側の見方(それも、かなり伝統的=ナショナリスティックなもの)でも、アルマダを破った事は、「当時のイングランドに比べて圧倒的な強国だったスペインの侵略を阻止し、プロテスタント国家としてのイングランドを守った」祖国防衛の戦いとしては重要視しますが、後に海上覇権を握る事になった決定的な勝利、とは考えません。(英国の海上覇権の確立は、清教徒革命、スチュワート朝、名誉革命ぐらいから語られる事が多い。)

じゃ、なんでスペインが歴史に出てこなくなるかというと、それは、教科書とか、一般人向けの、長い年代を対象にした通史では、限られたボリュームの中で世界史を語ろうとすると、「時代の流れを掴む為には、流れの中で先行した国や、後に大国になった国が優先される。既に大国になっているが、衰退していく国は無視されがち」というバイアスが掛かるからです。その点英国は、絶対王政→市民革命と先行したし、第一次大戦前には圧倒的な大国になりますから、それ以前についても、より詳しく説明されます。フランスも、フランス革命が世界に与えた影響は巨大ですし、植民地獲得競争でも英国のライバルでした。

でも、スペインは、世界史の教科書なんかでは、まずレコンキスタがあって、中世末~近世ではアメリカ大陸征服、フェリペ二世がポルトガル王を兼ねた(1580年、『太陽の没することなき帝国』)までがピークで、そこまでは主役級だと思いますが、その後は、オランダ独立戦争の相手方、30年戦争の中の一方の旗頭、スペイン継承戦争では紛争の種であり一プレイヤーなどと、どっちかというと脇役になってしまっていると思います。
実際には、アルマダの敗北(実際には、スコットランド&アイルランドを回ってスペインに戻る時に悪天候で失った船も相当ある)は、まさにその絶頂時に起きた出来事で、たしかにアルマダが勝っていれば、イングランドもカトリック国に戻り、オランダも独立できず・・・、とスペインの覇権はもう少し続いたかも知れませんから、アルマダの敗北に世界史的な意味はない、と迄は言えないですが、さりとて、これでスペインが急に凋落したわけでもありません。艦隊を失った→多額の金を失った、という以外は、直接的な被害はあまりなく、まして、それまで得ていたもの(例えば領土)を失った訳でもありませんでした。
アルマダがわざわざ世界史の教科書に書かれるのは、どっちかというと、イングランド史の一部、と考えた方がいいんじゃないか、と私は思います。いずれにせよ、世界史の教科書や一般人向けの通史では、ある国の話題が出てこなくなった→その国が衰えた、という訳ではありません。

蛇足ですが、「Fleet in being」は、「艦隊は戦わないで安全な港にいるだけで、敵の戦力の一部をそれに備える為に割かせる事が出来る」(よって、戦わないで温存した方が効果的)という、軍事上の発想の事を言うのであって、「自国商船の保護の為に艦隊が必要」という意味ではありません。

アルマダが負けたのが、スペインが衰えた事の主な原因ではない、というのは、既に他の方が回答されたとおりです。事実としても、アルマダが敗れた後も、スペインは強国でした。(ウィキなんかに、アルマダが「スペイン衰退の予兆となった」と書かれているのは、逆に言えば、直接&間接を含め、国際的な力関係をスペインにとって不利にした要素は少ない、と意味でもあります。)
因みに、英国側の見方(それも、かなり伝統的=ナショナリスティックなもの)でも、アルマダを破った事は、「当時のイングランドに比べ...続きを読む


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