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 こんな質問をして世間知らずと笑われないか不安ですが、数年間腑に落ちなかったので
恥を忍んで質問させていただきます。
 
よく、RED博士の@@@の最終定理の解く鍵をポチョ博士が解いたとか言いますよね
誰も解いたことがない定理だ! て具合に
 
それが疑問なんです
・誰かが一度、その定理を解いて(作って)説明したからこその定理ではないのか?ならば答えはすでにあるのでは? 最後の詰めでその正しさが証明されていなければ唯の仮定では?
・それとも、定理の結果は発表しても、その計算過程は発表しないのか?
 いや・・・余りにも複雑なため、発見者も途中過程を紛失することがある?

とまぁ、常々疑問だったのです、解かれたはずの定理を もう一度解く事が。
それとも、私の考えている仕組み事態が違うのか?
 
・・・・生物や、化学のように誰かが立てた過程、定説を証明したという言い方なら納得できるのですが。
 
どうなのでしょうか

A 回答 (13件中1~10件)

うーん、これはフェルマの最終定理を前提に言われているのでしょうか?



フェルマの最終定理は、1995年にWiles氏によって証明され、
350年もの間未解決だった問題に終止符を打ったことはご承知でしょう。
ただこのフェルマの最終"定理"というのは、そもそも変な言葉です。
1995年に証明される以前からこう呼ばれていたのですから。
本来はフェルマ予想と呼ぶべきでしょう。
証明されて初めて"定理"のはず。
この問題が以前からなぜ"定理"と呼ばれてきたかは知りません。
一つの想像ですが、フェルマがこの問題に対して残した
「私はこの問題に驚くべき証明を発見したが、余白が狭すぎて書けない」
という趣旨の言葉を信じれば、twelveさんがおっしゃる
「定理の結果は発表しても、過程は発表しない」に相当しますから、
フェルマが発表して以来ずっと"定理"だったのかも。

数学上の他の未解決問題はすべて"予想"(英語でconjecture)と呼ばれています。
リーマン予想、ポアンカレ予想等々。
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この回答へのお礼

>フェルマの最終定理を前提に
以前から、定理の証明については疑問でしたが、最近その疑問を思い出したのは
フェルマの・・・でしたので、前提に言っていたように聞こえたかもしれません
 
>本来はフェルマ予想
未解決だったのだから予想というべきというのに納得してしまいます


>「私はこの問題に驚くべき証明を発見したが、余白が狭すぎて書けない」
むむ(汗 フェルマさんは他のところで書いたのか?
なんて邪推をしてしまいます(汗
 

>数学上の他の未解決問題はすべて"予想"(英語でconjecture)と呼ばれています。
リーマン予想、ポアンカレ予想等々。
どうやら普通は@@予想と言われているんですね
納得しました
 
ありがとうございました

お礼日時:2002/09/08 20:03

>1995年、アメリカのワイルズによって発見されました。


ワイルズは(当時)プリンストン(アメリカ)に確かいましたが,イギリス人のはずでは?
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【フェルマーの大(あるいは、最終)定理】


nが3以上の整数であるとき、
 x^n+y^n=z^n
を満たす自然数x,y,zは存在しない。

フェルマーは、彼の愛読書ディオファンタスのアリスメティカのページの余白に、「私は、この定理の驚くべき証明法を発見したが、それを記すには、あまりにも余白が狭過ぎる」という文句とともに、この定理を書き込みました。フェルマー(1601~1665)は、数学的帰納法や光学におけるフェルマーの原理の発見で知られています。デカルトやパスカルらと同時代の人で、彼らと親交がありました。本職は地方議会の議員でしたが、余暇を利用して数学を研究し、その成果を、愛読書に証明抜きで書き込みました。その中の数々の定理は、後世の数学者によって証明されました。しかし、この最終定理は、多くの数学者の努力に関わらず、長い間、未解決でした。フェルマーが、この定理の証明を発見していたかは疑わしいく、おそらく何か勘違いをしていたのだろうと言われています。この定理の証明は、1995年、アメリカのワイルズによって発見されました。彼は、幼い頃、このフェルマーの定理の存在を知り、将来、数学者になって、この定理を解くことを決意したそうです。彼の証明には、現代数学のあらゆる手段が尽くされています。
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>ところで,ワイルズの例の論文はレフェリーが何人ついたんでしたっけ



確か6人だったと記憶しています。
昨年NHK教育TVでやっていた藤原正彦さんの「天才の栄光と挫折」の
Wilesの回で確かそう言ってました。
普通は1~2人程度のレフェリー(論文が正しいかどうかを判定する人。
当然その道の専門家が担当する)がつくらしいのですが、
フェルマの最終定理(F.L.T.と略することが多い。Fermat's Last Theorem)
の場合は、論文が難解であることと、一般世間にも話題となる内容ゆえ、
より慎重に判定するためということです。
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間違えました。



●「最終定理」は自然数全体(=>2)についての命題ですが

のところは当然、(>2)です。
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この回答へのお礼

 皆さんありがとうございます
今回は「最終定理」という言葉を使ったためにフェルマーさんに話題が固定したようです
最近に疑問に思ったのは(具体的にも)この人だったので問題はありませんでした
 
付け加えの説明として
子供の頃から「定理を解いた人間をめぐって殺人が起きるドラマ」や
「定理の解き方を思いついてはしゃぐ博士の話」なんかをTVや本で見てきました
そこで思ったのが今回の疑問です
「なぜわかっているとき方と答えをだして、そんなに凄いことなのか? 誰も理解できない回答手段なら定理に認められたのは?」とまぁ
数学に知識がない人間こその疑問だったかもしれません
 
おかげさまで、長年もやもやしていた問題が解けてすっきりしました
 
こんなに大勢の方から回答をいただけるとは思っていなかったので嬉しいです
纏めてで失礼かと思いますが、ありがとうございました。
 
・・・フェルマー氏が過程を発表できなかった背景なんかは気になりますが(滝汗
 
PS.いろいろ突っ込みなんかがあるかも?しれないので暫くしてから締め切ります

お礼日時:2002/09/08 20:33

定理とはあくまで真であると証明された命題に使うべき


言葉です。

最終定理といいますと、フェルマーの問題のことでしょうね。
1995年以前には証明されていなかった問題なので、
そこまでの時点では「フェルマー予想」という呼び方が
適切だった思います。ワイルズの証明は非常に現代的な
方法なので、それを知らないフェルマーが本当に解いて
いたとは考えられていないようです。

ただし、次のような事情があったので、一種のレトリック
またはシャレで「大定理」、「最終定理」と呼んでいたの
でしょう。

●数学に興味あるものは誰でも未解決の問題であることを
知っていたので、「定理」と言っても誤解を招かないこと

●「最終定理」は自然数全体(=>2)についての命題ですが、
年を追うごとに成立が証明された自然数が増えていった
ので、一般的にも正しいことが予感されたこと
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この回答へのお礼

>数学に興味あるものは誰でも未解決の問題であることを
知っていたので、「定理」と言っても誤解を招かないこと

そうですね、それをしっている人からすれば誤解を招かない呼び方・前提って言うのは
どこにでもありますし
そういう仕組みだったんですね、なぜ誰も突っ込まないのか(定理と呼ぶ事に)?と思っていたので疑問でしたが
解決しました
 

お礼日時:2002/09/08 20:25

仰る通り、数学以外の自然科学では、観測結果を説明できるモデルを導出することを『証明』と呼んだりしますので、一旦証明された定理に対し、観測結果をよりよく説明できる新たなモデルが見つかることもありますが、論理だけを武器にする数学では未証明の定理などというのは確かに撞着語法ですね


フェルマーの最終『定理』なども、厳密にはワイルズに証明されるまではあくまで『予想』であって『定理』ではありませんでした
フェルマーが『証明できた』と言及していたので、『フェルマーの最終定理』という名前の『予想』として定着していただけだと思います
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この回答へのお礼

>フェルマーの最終『定理』なども、厳密にはワイルズに証明されるまではあくまで『予想』であって『定理』ではありませんでした
そうだったんですか、予想だったと、それはそうですね、きちんと証明されて始めて「定理」と呼んべてそれまでは「予想」ですよね、有用であっても
 
>フェルマーが『証明できた』と言及していたので、『フェルマーの最終定理』という名前の『予想』として定着していただけだと思います

ああっ !Σ( ̄□ ̄ なるほど
 
ありがとうございました

お礼日時:2002/09/08 20:21

誤解を招く記述もあるので,口出しします.



限りなく確実に言えるのは,当時の学問水準や,フェルマーの他の研究内容からして,証明できていたというのは彼の錯覚であるということです.思いつきでできる内容では無く,明らかに準備が足りていなかったという意味です.

特に,数学の定理ならば,(ある程度の)専門家であれば理解可能なレベルで説明(具体的に証明)しなければ,学生が過程を書かずに『...は成立』と書くのと同じで,証明したとは認められないでしょう.(数学でなく,自然科学ならば経験則でも一応よいのですが.)

ところで,ワイルズの例の論文はレフェリーが何人ついたんでしたっけ.
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この回答へのお礼

>当時の学問水準や,フェルマーの他の研究内容からして,証明できていたというのは彼の錯覚であるということです.思いつきでできる内容では無く,明らかに準備が足りていなかったという意味

ふむ、今だから出来る計算もありますからね、学問水準からするとそうなるんでしょう
・・・つまり、彼の証明は完全で無かったが、定理は正しかったのでしょうか
 
>数学の定理ならば,(ある程度の)専門家であれば理解可能なレベルで説明(具体的に証明)しなければ,学生が過程を書かずに『...は成立』と書くのと同じで,証明したとは認められないでしょう

確かにそうですね、周りの、その定理を使うことになるであろう人間に説明できないのなら証明したとはいえませんしね
テストの時に出た証明、あと一歩で行き詰った時、いきなりであるから成り立つ! 証明終了といえれば楽だったんですが(笑
 
>レフェリーが何人ついたんでしたっけ
レフェリーが付くんですか (゜ロ゜)  驚きです

お礼日時:2002/09/08 20:15

 他にも、ラマヌジャというインドの天才数学者?がいて、この人は一日に十も二〇も定理を発見したけれど、どうしてこうなるんだと聞いても、こうなるからこうなると言うだけで、一向に埒があかぬ、しかも、実際やってみると必ずそうなる。

すると、後のものは無視するわけにも行かないので、これを証明せざるを得なくなる。いまだ以って証明されていない彼の定理?も多いのでは?


 したがって、解かれていない定理とある以上、定理とは、方式とかやり方であって、必ずしも証明がなくても良いか、あるいはそれとは無関係に存在し得る概念では?
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この回答へのお礼

>実際やってみると必ずそうなる。すると、後のものは無視するわけにも行かないので、これを証明せざるを得なくなる
確かにそういうこともあるんでしょうね
途中経過はすっ飛ばして結論に至れる人間が出した定理はそうなる・・
しかし、十も二十も・・驚きです 
 
ありがとうございました

お礼日時:2002/09/08 20:09

例えばフェルマーの場合,自身は”この命題の真に驚くべき証明をもっているが,


余白が狭すぎるのでここに記すことはやめておく”といった主旨の言葉を
残しています。 また,”他の人がこの命題を証明するには膨大な歳月を要するだろう”と豪語しています。
自身の研究環境などから証明を公表することを拒んだ結果,何年も経った頃,
ポチョ博士が証明したという運びになりました。
従って,フェルマーの定理に限って言えば,きちんと証明されいたので,本人は
定理として,結果だけ公表した。しかし,歴史的背景により故意に証明を伏せた。
ということになります。
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この回答へのお礼

>自身の研究環境などから証明を公表することを拒んだ結果
>歴史的背景により故意に証明を伏せた
ふむ・・かなり気になりますね、政治的な事が絡んでいたのかなぁ
興味深いです
 
ありがとうございました

お礼日時:2002/09/08 20:06

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