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キリスト教はそれまで信長の保護があったのにも関わらず豊臣秀吉はどういう点に脅威を感じて、バテレン追放令を出したのでしょうか?
ぜひお教え下さいませ。

A 回答 (2件)

手元のその筋の辞典には


宗教的なものと貿易のような商業的なものを分離した法律であると言える。と言うような記載があります。
ちなみに
バテレン追放令=厳密な禁教令ではなく、文字通りバテレンを追い出せという法律で、キリスト教は一向一揆のようなものだとしながらも、庶民レベルの信仰は黙認されています。人身売買や牛馬の食肉の禁止が明記されています。長崎の教会領を没収しながらも、貿易船の来航は奨励しており、実質的にはグダグダの法律でした。
バテレン追放令がだされた頃は、まだ南蛮貿易であがる利益のほうを重視していたようです。

要因としては
キリスト教が巨大化して、かつての石山本願寺のようになることを恐れたのではないでしょうか。

国外の事例を見ても
聖職者が布教した後にその聖職者の本国の影響力が強くなっている傾向にある為に、そのような脅威を防ぎたかったから。というのも考えられなくはないような気もします。

結局
信長の時代には見えてこなかったキリスト教の負の側面(信仰の内容ではなく、日本を統治するにあたっての利害の上での負の側面)というのが、秀吉の時代になって徐々に見えてきたということじゃないでしょうか。信長と秀吉の差でいうならば、天下統一をした者としなかった者の違いがあり、信長の頃には、キリスト教が広がりつつある過程の前段階的な部分で、尚且つ天下統一の途上にあったということがあいまって保護されていたのでしょう。
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信長の場合、一向一揆や比叡山問題にかなりてこずりました。


既存の宗教勢力の力をそぐという意味で、新しい宗教勢力を歓迎したのでしょう。
一方秀吉の時代になりますと、既存の宗教勢力との対立は解消されていますから、保護する必要が無いばかりか、既存勢力との対立で国内統治の障害になる事を恐れたとも考えられます。
また、徹底的に弾圧する必要性が無かったため、バテレン追放程度ですませたのでしょう。
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