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I am playing tennis.
は第何文型なのでしょうか?

A 回答 (9件)

Gです。

 補足筆問を読ませてもらいました。

>哲学書などの文章の中には、ネイティブスピーカーであっても、あるいはそこで使われている単語の意味を解していたとしても、どのような意味なのかが論争になるときがあります。その際に、意味を確定する一つの道具として、文型をはじめとする文法の研究は役にたつような気がするのですが、いかがお考えでしょうか。

日本語の疎いせいか、このご質問の意味がよく分からないのが残念ですが、哲学者たちが「人生とは?」と言う論議でその意味合いを確立しておくとその論議は必要がなくなる、と言うことなのでしょうか。 この点、もう少し分かりやすく説明していただけませんでしょうか。 

また私は文法を必要ないといっているわけではなく、SVOと言ってそれをわざわざざ#3と言う番号をつけてその番号を#5まで順序良く覚え、その順序を知っている都英語を「よく」知っているように思わせようとする事は私はおかしい事であると言っているのです。 SVOで十分話が出来るはずなのです。

この40年間にどれだけの人が英語の授業を6年間受けたでしょうか。 何十億と言う数字では足りないと思います。 その中で、文法研究家になった人はどれだけいるでしょうか。 そしてもっと重要視しなくてはならないのは、その何十億の人たちの中で英語を使える人はどれだけいると言うのでしょうか。 英語を習ったはずなのに英語を使えない、使えるようには教えてくれなかった、と言うことがおかしいのです。

なぜ、順序を覚えなくてはならないのでしょうか。 SV, SVC, SVO, SVOO、SVOCで十分ではないでしょうか。 そして、これでは、順序を覚える必要もありませんね。 十分使える文法であるはずなのです。 そして、これをうまく使って生徒に英語を使えるように教える事は可能なはずなのです。

結局、「I am playing tennis.は第何文型なのでしょうか?」に関しての解答は何の役にも立たないと私は信じているわけです。 #1から#5までの順序は意味のないことであり、それを知っている人の優越感を高めるだけ、であり、それを覚えるために一生一度の青春までも踏みにじって、この件以外にも必要のない(学校)文法項目を作って、時間と労力を無駄にしているのです。 他にもっともっと覚えなくてはならない大切な文法事項があるのです。

そして、今回のご質問で、これはSVOの形を取っています。 しかし、これではだめだと文法学者さんたちは言っているのです。 覚えなくてはならない理由をはっきり示す事は出来ないのですね。

>また人間がどのようにして泳げるのか、という科学的あるいは物理的説明を聞いても泳げるようにはなりません。同じように文法のみを学んでもうまくその言語を運用できるようにはならないかもしれません。だとすると泳ぎ方の科学的あるいは物理的説明も無意味なのでしょうか

いいえ、意味のあることであり、泳げるようになるための補助になります。 そして、その説明は十分役に立つでしょうし、事実私が教えるときには、生徒によって、より実力を高める事を達成できるでしょう。

自由形では、脚をばたばたするだけでいいわけではないですね。 「理に沿った必要なだけの筋肉を動かし」リズム感のある足の使い方をさせますね。 それを教えられる指導員が「より意味のある泳ぎ方」を教える事が出来るわけです。 必要とあれば、選手はその理論さえ知る必要なないとも言えることなのです。 指導員には必要だけど、と言う科学的あるいは物理的説明は必要なのです。 しかし、その泳ぎ方が自分では出来ないのにその説明をしても「説得力」は減るでしょうね。 まして、本当にその説明が正しくない、必要ではない、としたら、無意味でしょう。 そして、無益有害、と言うことになるわけです。

文法学者さんたちが「おかしな説明をしたり」するのも同じことなのです。 文法的説明が出来、初学者には正しいか正しくないかが分からない事をいい事に、いかにも文法を知っていれば英語が分かるようになる、と文法説明を専門用語を盾に有益だと納得させてその上に、使われない、使えない、誤解を起こす、みっともない、英文を「正しいもの」として教えようとするのはそれこそ無益有害以上に犯罪とも私は言います。 詐欺師とまったく同じなのです。

ですから、私は、「この文章の文型番号を知ってなんの役に立つのでしょうか」「たちましたか?」と逆質問をしたわけです。

つまり、これは、文法あるいは文法知識ではなく、英語詐欺師と言うレベルではないにしろ、英語を使えるようになるための知識ではないわけです。 誰かが、分類する必要のないことを分類し、番号付けをして、いかにも文法知識であり有益だとおもわせているだけなのです。

そして「雑学的知識として持っていてもいいけど、こだわる必要はない」となぜ言わないのでしょうか。 その下心は?と言う疑問さえ浮かぶわけです。 英語を使えない人たちが使えるように教えるのであれば、説明をして、その後に、この注意書きを示して始めて「文法と言うものを理解している」と言うことになるわけです。 

また書いてください。
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文型不要論が出ていますので一応コメントしておきますと、


No.2に書いた回答から推測されたと思いますが、私も文型それ自体に関しては有害無益だと思っています。

ただ、動詞が目的語も補語もとらないのか(V型)、
補語をとっているのか(VC型)、
目的語をとっているのか(VO型)、
二重目的語をとっているのか(VOO型)、
目的語と補語をとっているのか(VOC型)、
これを判別するのは英文を解釈する上で非常に重要です。
これは、動詞が文全体の述語となっている時のみならず、
あらゆる動詞の派生系、つまり分詞や動名詞・不定詞を扱う際にも、
常に考えねばならないことです。

ところが、文全体の文型は一体何かということになると、
「この文の動詞句はamのみかam playingかどちらだろう」という考察をしなければなりませんが、
どちらであろうと解釈する際には大した差はありませんし、
加えて、基本5文型の考え方は動詞のあらゆる用法において考察することが必要ですが、
これを「文型」という、あたかも文の動詞句だけに成立することのように矮小化してしまったのは文法学者の失敗だと思います。

ですから、
>意味を確定する一つの道具として、文型をはじめとする文法の研究は役にたつような気がするのですが、いかがお考えでしょうか。
という質問に対しては、「文全体の文型」を確定することは意味を解釈する上では大した役には立たないと考えます。
しかし、動詞の用法をこの5つの文型になぞらえて解釈することは、意味を確定する上では極めて重要です。
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#1です。


お礼をありがとうございました。
ご質問にお答えしようと思いまして 開けてみましたらすごい回答数ですので わたくしがあらためて回答をする必要はないようですが。
言葉足らずで申し訳ございませんでした。

いろいろ御意見が寄せられておりますが実はわたくしは文法専門ではなく喋り専門です。
文型をお考えになる時は 何が主語・述語・目的語/補語になるかお考えになれば混乱なさらなくてすみます。
この文に対する答えも amは助動詞で とか品詞を考えておりますと 最初は混乱をきたすこともままあります。

私は テニスを しているところです。 
主語 目的語  述語

ですね。

英語は基本的に述語が主語の後にきますから

I 主語 am playing 述語 tennis 目的語

の順番にならんでいます

ですから 第3文型となります。

日本人が日本の中で英語を学ぶにはある程度文型を知っておくことは重要なことです。勿論喋るという段階になるとそれをすっとばしても通じるということは多々ありますが 語順を知らずして通じる文を作ることは出来ません。文型を知るということは語順を知るということです。
拘りすぎるとがんじがらめになり 寧ろ流暢に喋るのを邪魔してしまうこともありますが ある程度の基本的知識は必要と考えます。

申し訳ございませんでした。
失礼いたします。
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この回答へのお礼

再度のしかも丁寧なご説明ありがとうございます

お礼日時:2008/01/23 22:27

アメリカに住んで40年目になりました。

 私なりに書いてみますね。

学校文法では、英語の文章には守護があり動詞がある、と言う前提を作り上げてあげています。 命令形、There is形、そして、毎日使われる主語のない肯定文、などすべて「変形」として片付けてしまいます。

そして、主語があり動詞があるのものをSVと呼び第一文型としたわけです。 そうでないと英語ではないとでも言う姿勢を持っているわけですね、文法学者さんたちは。

しかし、主語があり動詞がありその動詞が働きをかける目的語がある「主・動・目」ないし「主語+他動詞+目的語」と言う形を取っていればそれを第3文型と文法では呼ばせています。そして他動詞がくれば主語+動詞と言う形が他動詞であるからこそ目的語が来なくてはならないわけですね。 ですから、SV(第一文型)の変形と呼ばずにわざわざ第3文型と言う名前をつけ、目的語を二つ持てる他動詞がくれば、SVOOとなり、これも第一文型変形と呼ばずに第四文型と呼ぶわけです。

しかし、I call him Bobと言うように二つの目的語(みたいなもの)があると、これはSVOCとして第五文型だ!と叫んで押し付けているわけです。 Oになれるのは名詞か動名詞あるいは不定詞の名詞用法、Cになれるのは名詞形か形容詞形と覚えなくてはならない事を持ってきます。 何か覚えないといけないもののように思わせているのです。

では、SVと来て名詞(らしきもの)がきたときにどうやってこれが第4なのか第5なのか分かるのでしょう。 文法学者さんでは分かりません。 分かるのは「Vがなんなのか」が分からない限り4なのか5なのか分からないのですね。

つまり、I xxx him a bookとなっている時にxxxの動詞がgiveなのかcallなのかで文型番号が変わってしまうわけです。 文型が分かれば文章が分かるのではなく、どんな動詞を使っているのかを知ることが先なのですね。

では何で文型なんて言う用語を文法で使うのか、と言う事になりますね。 これは、単に「英語では動詞から見た理解の元では基本的に5つの形がとれ、英語とはそういうものだ」と言うことを知ってもらうためにあるのです。 これだけのことなんです。 これを知ることで動詞には動詞によってこの5つの使い方があるから気をつけなさい、と言う事なのですね。

I am playing tennis.が#3と言うことが分かるのはplayingと言う単語とtennisと言う単語を知っているからできると言うことになりますね。

この文章は、SVOだから#3だと教えてもらって、なんの役に立ちましたか? そうです、「これは第3文型です」と言える、役に立っただけなのです。 

と言う事は、この文型を押し付けていると言う事は、文章を文型に分ける事を「やらせている」わけです。 英語を使う(読み書き話す聞くとる)様になるための道具ではなく、他にもいろいろ覚えなくてはならないのにそれを無視して、この分類作業をさせていると言うことになるわけです。

言葉と言うものを学術的に研究したいと言うのであれば、この知識は必要でしょう。 なぜなら英語研究には必要だと考える学者さんたちがいるからなのです。 そしてこれを知らないと無知と言うレッテルが貼られてしまうからなのですね。

しかし英語を使えるようになるには、分類に必要な動詞の意味合いと「使い方」を知るだけでいいのです。 そこが分かれ道なのです。 右に行けばその動詞を自由に使えるようになる道を歩むところを左に曲がるように教えているのがこの文型なのですね。

だからこそ、英語を使えるようになるにはこの分類作業をさせる事はわき道を行くと言うことになってしまうわけです。

しかし、この知識は使えるようになる道具として十分使えるものなのです。 分類をするのではなく、この動詞はどの文型の形を「取る事が出来る」と言う知識があると非常に便利なのです。

つまり、この動詞は自動詞として#1と#2、他動詞として#3、でも#4と#5としては使えない、と言う感じですね。 それにしても面倒くさい道具ですね。 

その動詞の使い方を徐々に身につけていけばいいと言うことで文型自体を知る必要がなくなるわけです。

よって、多くの文法を「英語を使えるように」使いながら教えてくれる人たちは、文型に余計に時間をかけたりこだわる必要はまったくない、と断言するわけです。 私もその一人です。

文型のことをよく知っていても、ネイティブが読んでも首をかしげる文章を書き続けると言うおかしなことを起きている事実は何を物語るものだと思いますか? 

そして、その動詞が今回のように現在分詞を使って進行形になったり過去分詞を使って受動態になったりすると、今度はこれらは動詞の一部ではなく補語として判断できたり、目的語や補語にはならないものになったりすると、その解釈の仕方によって文型番号が定かにならなくなってしまうのですね。 文章によってはどの文型なのか判断しにくくなる、あるいはどちらとも取れると言うことになってしまい、5つある文型の中で2個以上の答えが出てきてしまうわけです。 

そのような判断が出来てしまう文型作業に時間をかけたり、付随する用語を覚え用語の意味を覚えなくてはならないような勉強を英語の勉強と呼んでいるのが文法学者さんなのです。 

言い換えると文型とは、これを分類作業をさせるために知識として教わると、必要のない寄り道を学生にさせている、と言うことになるわけです。 6年間英語の勉強を教えているといいながら英語を使えない、このカテで一年文法にこだわり文法の説明を聞いて納得したと思ったら基礎的な文章の意味合いやフィーリングを感じ取る事が出来ないのはなぜでしょう。わき道を、横道にそれてしまったからですね。

この文型を重要視しない人たちが増えてきている、あるいは重要視する必要はないと言う常識ができりあがっていると言う現状が浮上してくるわけです。

どうですか? この文章が#3だとわかってなんの役に立ちましたか?

もう少し書きましょうか?

Playは動詞ですね。 そして、自動詞として、といえば、もうどんな文章でも、第一文型だ!となるのでしょうか? 残念ながら文法では層は見ていません。

つまり、

I play in my roomと言う(いつ使うかちょっと気になる文章ですが)はSVだけとし、第一文型です。

しかし、I play dumb.知らない振りをする、はこの文章の意味を知り、これをいいたいときにそのまま使えばそれで済むところを、わざわざ、dumbは形容詞ですから補語となり、SVCの形になり、文型は第二文型となります。 しかし、文法学者さんたちはそれだけでは満足しないで、このような自動詞は不完全動詞と言う名前をつけその用語を覚えさせようとします。 (覚えさせようとする事で自分はお前より英語の知識があるんだといっている事になるわけですが)

ではこのdumbと言う単語を知らなかったらどうでしょう。 SVC(第二文型)とSVO(第三文型)との区別がつかないわけですね。 では、I play easyだったらどうでしょう。 これは#2でも#3でもないのです。 #1なのですね。 なぜならこの形容詞として日本ではよく知られているeasyは副詞として使われているからなのですね。 気楽にと言う意味合いの副詞だからなのです。

この上にまた他動詞としての使い方が加わるわけです。 SVO第三文型ですね。

I play (the) pianoと言う形ですね。~を演奏する、と言う意味になるわけです。 これを第三文型だと言わせるのと、この文章には、演奏すると言う意味の他には、(私の趣味は)ピアノです、グループ演奏するときにはピアノ役をします、ピアノを弾けます、などの意味合いがあるのでその意味合いの選択・判断力をつけてくれる教え方とどっちが英吾を使えるようになると思いますか? もちろん後者ですね。

なぜ、文型にこだわる事をしなくなったの理由がお分かりですね。

これからの英語修得への一つのヒントとして書かせてもらいました。

参考になりましたでしょうか。 分かりにくいところがありましたら締め切る前にまた書いてくださいね。
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この回答へのお礼

ご意見ありがとうございます。
二点お聞かせください。例えば、哲学書などの文章の中には、ネイティブスピーカーであっても、あるいはそこで使われている単語の意味を解していたとしても、どのような意味なのかが論争になるときがあります。その際に、意味を確定する一つの道具として、文型をはじめとする文法の研究は役にたつような気がするのですが、いかがお考えでしょうか。また人間がどのようにして泳げるのか、という科学的あるいは物理的説明を聞いても泳げるようにはなりません。同じように文法のみを学んでもうまくその言語を運用できるようにはならないかもしれません。だとすると泳ぎ方の科学的あるいは物理的説明も無意味なのでしょうか。

お礼日時:2008/01/23 22:27

>第何文型なのでしょうか?



第3文型です
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2008/01/23 22:20

I am playing tennis.


は第何文型なのでしょうか?

【回答】
am は動詞ではなく、助動詞です。
am playing で動詞句になるので、SVO の第3文型です
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2008/01/23 22:19

はじめまして。



既に回答は出ていますが、少し補足します。

1.playには目的語をとる他動詞と、とらない自動詞の用法があります。

(1)他動詞の例:

I play tennis.「テニスをする」
I play the piano.「ピアノを弾く」
I play the role.「その役を演じる」

これらは、tennis、the piano、the roleが目的語となり、SVOの第3文型になります。

(2)自動詞の例:

I play in the park.「公演で遊ぶ」
I play with children.「子供たちと遊ぶ」

in the park、with childrenは副詞句として動詞にかかる修飾語になり、着本文型の主要要素にはなりません。

従って文型は、両文ともSVの第1文型になります。

2.他動詞も自動詞も、進行形や完了形、助動詞との組み合わせなど、文脈に応じて自由に文の種類を変えることができますが、基本文型は変わらないのです。

例:
I play tennis.(現在形)
I am playing tennis.(現在進行形)
I have played tennis.(現在完了形)

これらは全て最初のSVOの第3文型のままです。ご質問文はまさに、この「進行形」の文にあたるのです。

3.ご質問文を分析すると

I:主語S
am playing:他動詞V
tennis:目的語O
のSVOの第3文型となります。

以上ご参考までに。
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この回答へのお礼

丁寧な回答ありがとうございます

お礼日時:2008/01/23 22:18

そもそも文型というものに厳密にこだわることにあまり意味がないかもしれません。



この場合はI play tennis.の現在進行形という意味合いが濃厚ですが、
例えばI am interested in foreign languages.といった文章であれば、
Foreign languages interests me.というSVOの受動態と考えることもできますし、
当然interestedを過去分詞から派生した形容詞と考えて、SVCととることもできます。

このように、be動詞+現在分詞と現在進行形、またbe動詞+過去分詞と受動態の間に、
厳密かつ明確な線を引くことは難しいと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
確かに文型は一つの型なので、厳密に線を引くのは難しいかもしれません。

お礼日時:2008/01/23 22:18

S V O の第3文型 です。

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この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございます。
SがIでVがam playing Oがtennis でよろしいのでしょうか?

お礼日時:2008/01/23 02:35

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