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あえてこのカテゴリで質問させてもらいます。長文になりますがよろしくお願いします。


僕は勉強に臨む時の「先生」の存在意義がわかりません。小学校や中学校では大人として模範になったり子供を管理したりと大切な役
割があるのは分かります。小学生には先生がついてうまく勉強を教えることも必要でしょう。しかし、ある程度でも自主的に勉強する人間
にとって先生の講義を生で聴くことは必要ないのでは、と思います。


僕は高校生の時学校の授業をほとんど聞いていませんでしたが、成績は良かったです。といっても僕が教科書を読んだだけで全てを理解で
きるような賢い人間だったわけではなく、家に帰って一生懸命わかりやすく書かれた参考書や問題集に取り組んでいたからです。例えば物
理なんてまったく分かりませんでしたが、予備校の有名教師の書いた参考書で一気に分かるようになりました。しかし予備校に通いその人
の授業をとってみたら同じことばかり言うし体系的に話してもらえず、結局体系的でかつ活字で保存されたその参考書の方がはるかに安く有
用でした。
学校で板書されることの大半は参考書に太字で綺麗に印刷されたものばかりでノートにとる理由もわかりません。

大学に入り、名物の先生の授業をとっても全く楽しくありませんでした。その人の書いた本は大変面白かったのですが・・・。大学に入
っても真剣に講義を聞くより教科書とにらめっこしている方がよほどためになる気がします。自分は理工系なので実験みたいなものでは人
に教えてもらいながら器具の扱いなどを知るのが一番効率がいいとは思いますが、それ以外に「生」で教えを請う理由が見当たりません。


そこで「勉強」する時の「先生」の存在意義について伺いたいです。大変生意気な質問ですが御回答願います。

A 回答 (13件中1~10件)

大学の講義で、一方的に先生の話を聞くのは確かにあまり意味がないこと


かも知れませんね。ただ、その先生が書いた本だけで十分ということも
言えないと思います。本来の大学の授業のあり方としては、先生の発言に
対して、質問をし、議論が始まり、生徒がそれに参加していくということ
でしょう。そこから、新しい考え方が生まれてくるのが、本来の姿では
ないかと思います。残念ながら、少なくとも私の経験した大学の授業では
そういうことはありませんでした。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。生徒側の熱意が欠けているのも大きな要因であることも僕は実感しますし、自分自身が授業中に積極的に発言
できないことをややうしろめたく思うこともあります・・・。

お礼日時:2008/02/12 08:47

研究者として優れている人物が必ずしも教えることに長けているわけではありません。


どっちかと言うと研究者として優れている人間はえてして教えることには熱心ではありません。

しかし、実はその知識は参考書に書かれているような「簡単な」ことではありません。
あなたに教えていないだけです。いかにその知識を引き出すかが求められているわけです。

あなたが、先生から知識を引き出そうと行動を起こして初めて教えてもらえるのです。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。難しいですね・・・知識を引き出すまでに相当骨が折れそうですが、考えてみます。

お礼日時:2008/02/12 09:13

小中学校では先生が質問し、生徒が手を上げて答える方式の授業ですが、高校大学は先生が一方的に話すばかりになり、テレビの講座と変わらなくなる、というのは事実です。


ただ、教える立場から言うと、学生も大きくなるにつれて、手をあげて意見を言ったり質問したりしてくれなくなるのです。英語のように、一方的に教えるのではなく、学生の答えを聞いて間違いをチェックし、そこから学んでもらうタイプの授業でさえ、発表するのはいや、という学生が多くて、教師としては悩みの種です。英会話の授業でも、学生がまったくしゃべってくれないと、外国人教師が言います。
大人数を相手にする講義の場合、面白おかしく話す先生、常に新しいことに興味を持たせてくれる先生の授業は面白かったですね。教えるのがうまい先生だったと思います。でも、これは特殊な才能なので、なかなかすべての先生に期待はできません。
実験や少人数のゼミのようなものだと、質疑応答もできて、また違うと思いますが、少人数のゼミでも学生が発言してくれないという現実があります。先生と学生の両方が変わらないといけないなあ、と思います。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。学生の側に大きな問題があるのは実感します。人のことは言えませんが。ちなみにゼミを1つだけとってい
ますが、それだけは非常に価値があると思います。社会的に活躍されている先生と色々な話ができるあの時間には僕も大きなやりがい(?)
を感じます。

お礼日時:2008/02/12 09:18

大学の教授の講義は確かに意味があるのかは謎です。

黒板とかスクリーンによくわからないことを示されてもさっぱりわかりません。
小中学校の先生は,意義はありましたね。特に塾に行かなくても授業を聞いてればテストも困らなかったり,希望の高校に進学できたので。
高校は意義は無かったですね。大学受験に役立ちませんでした。予備校の講師はすばらしかったです。その講師の参考書をやればいいってのもわかりますが,授業を受けた方が効率がいい。物理はともかく参考書だけで英語や国語は無理だと思いました。
大学のレベルが上がれば,予備校の授業は必要かと。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。授業を受けたほうが効率がいいですか・・・そこの感じ方が僕と違うようです。受験に役に立つか否
かという基準だけでとらえるなら僕も意味はないと思いました。

お礼日時:2008/02/12 09:21

理工系とのことですが、何年生でしょうか?


私は、工学部の修士課程まで出ましたので、その時の経験から。

教科書を読んで理解できないようなら、講義に出て理解できるわけがない。大学の教育システムが講義による「既存の知識の伝達」を目的に作られているのでしょうがありません。言い方を変えると、大多数の「既存の知識を聞き取る」人のために大学の教育システムが作られているからです。
大学の先生もその点を理解しているので、「とりあえず、院に来い、院は楽しいぞ」と言われます。
院で学部と違って何を学ぶかというと「既存の知識」でも「知識の覚え方」ではなく「知識の作り方」あるいは「知識を作る生き様」です。作り方程度ならまだ、教科書という「形式知」で伝達することも一部可能ですが、「生き様」というのは「暗黙知」ですので、これは、「生」の先生がいないと、大変難しい。中国古典で言うと「師事する」というやつです。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。現在1年生です。
難しい話ですね・・・しかしということは本を読んで既存の知識を得られるのならなにも講義を聴く必要はないということですかね・・・?

後半部分について、実感がわきませんが優秀な先輩もそういったことを言っていました。意識するよう心がけます。

お礼日時:2008/02/12 09:11

次のような学力に関する内容があります


大卒者は自分の専門とする分野の内容の日本語の本を自分で選ぶことが出きる
博士は、自分の専門とする分野の内容の外国語の本を自分で選ぶことが出きる

です。
>教科書とにらめっこしている方がよほどためになる
これは、大学生としてはごく当然の要求として求められている内容です。
本を読めばわかるようなことを大学で教えても意味がないのです。
問題は、「書いてないこと」をどう調べて行くか、が要求されているのです。

高校までは、
>わかりやすく書かれた参考書や問題集
と、誰かが作ったレールの上を走っているだけ(参考書の内容をおぼえるだけ)の勉強でした。しかし、大学では、自分で何が必要かを判断し、自分でどのような行動をすれば適切かを判断し、行動することが要求されています。わかりやすい参考書なんてあるわけがない分野を開拓して行くことを要求されているのです。
したがって、大学の講義を全部サボって、自分で何かを見つけられれば、これが、大学教育です。付帯して「学士の学歴が取得できない」なんてこともありますが、これは付帯的な物であり、大学でうける教育の内容としては特に問題ありません。

大学という場所は、出席を採らない先生の場合には、初回、試験の前、試験の3回だけ講義に出席して、優の成績で卒業するのが当たり前です。無遅刻、無欠席、無早退で大学に通って、ダラダラ講義を聴いていたって意味がない(だから、出席を採らない)のです。しかし、出席を採る先生にこれは通用しません。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。

>>本を読めばわかるようなことを大学で教えても意味がないのです。

とありますが、大学の先生は特に理数系科目については教科書通りに話をすすめる方も多いです。そこから脱線していくときも+αの部分
というよりただの世間話に向かうことがほとんどですし・・・。

お礼日時:2008/02/12 09:16

あなたのように目で見て理解できる人には必要ないのでしょう。


しかし、世の中それがすべてではありません。「先生」を必要としている人は山ほどいます。
自分の周りでは教えてもらって初めて理解する、というのがほとんど。
テスト前以外で教科書と向き合ってる人は数えるほどしかいませんでした。(影で努力してたかどうかは別にして)
まずは、耳で吸収する人が大半だと思います。このような特殊な能力を持ってる人は数少ないでしょう。
例えばニュース番組は新聞の活字を音声・映像化しているだけ。
だけれども新聞を読まない方々にとってはキャスターが時事問題を教えてくれる立派な先生です。

長くなりましたが、自分にとって先生とは人生の先輩であり良き相談相手です。
勉強以外のことをたくさん学びました。今の自分があるのは個性豊かな様々な先生方に支えられたおかげでもあります。
その人達の存在意義がどうのこうのなんて考えもしませんでしたし考えること自体ナンセンスです。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。
先生を品定めするような表現にとられてしまったようで、そのことについてはお詫びします。僕自身も高校時代までは先生にはかなり
恵まれてきたと思っていますし尊敬してる方もいます。しかし僕が問題にしているのは「勉強」というフィールドにおける先生達について
です。

お礼日時:2008/02/12 09:08

 あくまでも私個人の考えですが。



高校ー学力・人間性共、きわめて個人差が大きい時期です。義務教育時代のような指導な必要な子もいますし、勉強について言えば、質問者様が例外に属します。今は大学でも板書がなければ、不安に感じる方は珍しくもないのですから。
 質問者様の高校時代については、少なくとも勉強面については、行く高校を誤っておられたと思います。噂話ではありますが、東大に卒業生を送り出している高校にも、授業はあるにせよ、勉強は実質的に生徒個人の自習が主である学校のことを聞いたことがあります。そこの高校では、授業していても生徒から、そこの内容は分かるから先に進んで欲しいとの声があがり、結果として2年生終了時には、3年の内容まで終わっているとか聞きます(凡人の私からは信じられませんが)。

大学ー大学は、勉強をするところではなく、専門分野について考え方や意識を学ぶところだと思います。分野が違いますので、詳しくは記入はあえていたしません。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。高校は、勉強については確かにやや物足りないところでした。素晴らしい友達や先生に会えたので全く後悔
はしていませんが。
僕の専門分野についての学び方やスタンスが根本的に間違ってるんですかね・・・もう少し考えてみます。

お礼日時:2008/02/12 09:05

理学系の大学教員です。



まず、質問者様には大きな間違いが1つあります。

それは、これまでの義務教育的な学校(高校を含む)と大学は全く違うということです。
これまでの学校は教養をつけるところだったのです。
問題を出されてそれに対して解答すれば点数をもらえるといった教養をつけるところだったのです。大学での「授業だけ」、これも教養をつけるためのものです。

ここで逆に質問したいのですが、質問者様は単に教養をつけたいのでしょうか?
もし、単に教養をつけたいという「勉強」をしたいのであれば、
「先生」はいてもなくてもいいです。
「先生」がいて教えてくれる方が良いという人もいれば、
質問者様のように、「先生」がいなくてもいいと思う人もいると思います。

では、大学では何をするかというと、「研究するところ」なのです。

そして、研究するには「今、何がわかっているのか、わかっていないのか」ということがわからなければ、研究はできません。
なぜなら、研究とは既にわかっていることをやっても意味がないからです。

さて、質問者様のように教科書などを中心に勉強してたとして、その教科書に記されている情報はかなり昔のことです。2~30年前のことも珍しくありません。
では、今年の論文を読めば良いかというと、今年の論文でさえ1~2年前くらいの結果です。
そんな1~2年も昔のことを質問者様は勉強してどうするおつもりですか?教養はつきますが、教養をつけただけでは理工系では卒業できませんよ?

理工系では時間の流れが速いです(文系ではわかりません)。そんな時間の流れにおいて、質問者様のように「文章になったもの」で勉強しても、
いつまでたってもスタート地点には立てませんよ?

で、大学教員というのはその道の最先端を走る人々なのです。その人たちに「生」で聞かない限り、今の最先端のことはわからないのです。
そこからやっとスタート地点にたつことができて、卒業研究が始まり、研究が始まるのです。

そして最先端のことをやっていて突き当たる問題の解決も、教科書には当たり前のことながら載っていません。教科書は古いですから。
そんな時に教官に教えを乞うのが最良で唯一の解決策であると思いますが、いかかでしょうか?
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。正直、自分の中で教養とは何なのか、何のためにあるのかすら未だに分かっていないので、質問に答えられ
ないです・・・。

教科書に記されている情報が昔のことであるのは納得しています。しかし、あなたのような意識の高い人間が多数いればよいのですが、現
実にはうちの大学ではコンピュータ導入以前の経理学を延々話すような教授が大半です。また、マルクス経済について語り続けている教授
もいらっしゃいますが、現在マルクス経済がどのようにとらえられているのか、またどう考えるべきなのかといったようなことをロクに話
さずにただ内容のみ話している方ばかりです。僕はマルクス経済について学ぶことは意義があると思いますが、背景や現実とのギャップに
ついて知らなければ意義は一気に薄れると思います。


しかし最先端のものに触れるというのは重要なんですね。まだ1年生なのでいまいち実感がわかないですが、心に留めておきます。貴重な
意見をありがとうございました。教員の方の生の声が聞けて大変参考になりました。

お礼日時:2008/02/12 09:02

まず、回答をしてくれた皆様にお礼をいいなさい。

それが、できない・しないということ自体があなたが、人に何かを教わるときの礼儀がなっていないということです。

「生」の良いところは、教科書などで分からない場所を質問することができたり、教科書に乗っていないその分野の雑学などを聞けたり(先生によるが)、その先生の人間味のある雰囲気(生き方など)が感じることにより自分の大人の理想像が変わったりなど、例を挙げるとまだ何個かでますよ。

学校の勉強とは少し離れますが、社会に出たら教科書などはなく、先輩や相手先の言うことを聞き、重要な箇所だけをメモする能力が必要になってきます。人の言うことをよく聞き、よく理解し、より情報を引き出さないと社会では出世しにくいですよ。

もし、ある人と今後同じ会社で40年の付き合いになるとしたら、あなたはどうしますか?私ならその人の言うことを少しずつ明確に話せるようにこちらの聞き方、質問の仕方などを改良していき、無駄な時間を短くしていきます。

それに先生は、学力が高い生徒から低い生徒まで全員に話しかけなければなりません。よって、基本的には理解力の遅い生徒にも分かるように心掛けます、だからあなたのような人には無駄な説明が多いなーと感じるかもしれませんので、あなたには教科書とにらめっこでもいいかもしれませんが、あなたよりも理解力が遅い人のことも考えてあげたほうがいいですよ。

回答としては、勉強の効率とか学校の勉強ではなく、その先生の人間としての内面を良くも悪くも授業の中で感じてください。私は、回答のお礼を書かない人は、質問だけする礼儀知らずな人間だと思っているので、あなたがどんなに効率良く勉強ができても、しょうもない人生を送る人だと考えています(極論ですが)。答えよりも気遣いが大切ですよ。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。確かに社会に出たら人のいうことをよく聞かなければなりませんね。その視点は欠けていました。

誤解を招く文章を書いてしまいましたが、僕は理解力があるわけではなく、自分にとっては「先生の話を聞いてノートをとるより最初から
まとまった内容が活字で保存されている教科書などを読むほうが理解が早い」と言いたかったのです、すみません。

先生の内面を感じるのですか・・・難しいですがやってみます。


返事が遅れてしまったことについては申し訳なく思っています。すみませんでした。

お礼日時:2008/02/12 09:27

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