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言葉というものは(特に口語)時代によっても、地域によっても、変わっていくものですが、日本語を学ぶ人が接する日本語の文法書・参考書には???と思うものが少なくありません。専門的に学んでいないから理解不足なだけでしょうか?

日本語の文法を解説しているサイトに
助動詞・可能を表す語の例文として

魚が食べられない

というのがありました。日本人には難なく理解できると思います。こなれてきてるからこういう表現がある。というのであれば。
できれば専門家の方、文法上どうやって説明するのか教えて頂けませんでしょうか?
助動詞-られる は分かるのですが、なぜ「が」なのでしょうか?
はやく走れない。とか、今日は帰れないとかだとわかるのですが。


魚を食べることが出来ない。でしたら分かります。

↑これが文法上正しいけれど、“こういう経緯で”いまは「魚がたべられない」も普通に言うよ。文法で考えてもダメだよ。

みたいな説明は出来ないでしょうか?もしOKでしたら“”の部分を教えて下さいm(__)m

魚が食べられない。も文法上正しいということでしたら説明お願いします。文法用語など付け焼き刃で詳しくありません><
出来ない子に教えるように優しくお願いできると嬉しいです♪

A 回答 (15件中1~10件)

>魚が食べられない


「魚」「が」「食べられない」

>魚を食べることが出来ない
「魚を食べること」「が」「出来ない」

どちらも用法としては同じかと。
前者は「何が」「食べられない」のかを示している。
後者は「何が」「出来ない」のかを示している。

「が」は確か、述語に対する主語を指し示す格助詞だったはずです。
同じようなものとして「は」がありますね。
「が」と「は」の違いは、前者が指す主語が会話中で初出であり、後者は既出であることだと思います。
「魚が食べられない」と「魚は食べられない」の違いで何となく分かるでしょうか?

「食べられない」という述語をもたらした「私」という主語を指すための働きをしているのが、「が」なのではないかと。
「は」でも文法的には間違いではないですが、意味が変わりますね。

専門家ではないので、分かりにくいかと思いますが、参考になるでしょうか?
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この回答へのお礼

なんかすっきりしました。
魚 魚を食べること
食べられる 出来る
自分で難しくしてしまっていたみたいです~。

「は」と「が」も納得です。
魚が食べられない。には私(私じゃなくても誰か)がいて
魚は食べられない。は「外国で水は飲めない」とか、「猫は飛べない」
みたいなもの?

ありがとうございました^^

お礼日時:2008/06/19 10:41

ANo.13です。

補足させて頂きます。

補足1)私の勘違いについて:
質問者さんを日本語を学習中の外国の方と勘違いしまして失礼しました。ANo.10の方への補足欄を読み落としておりました。

補足2)「~は~が~」構文について:
「象は鼻が長い」のような言い方は、英語などに機械翻訳しにくいですね。翻訳しやすくするためには英語文法に近づけた「象の鼻は長い」とか「象は長い鼻を持っている」という言い方にする必要があります。
また、日本語がネイティブでない人が日本語を学習する際も、おそらくはまず後者の言い方から学ばれることと思います。そのほうが文章の組立て方が理解しやすいですからね。

英語文法に慣れた方が「象は鼻が長い」のような日本語に接すると『日本語は文法がオカシイ』と感ずるかも知れません。
しかし「象は鼻が長い」で意味が通じ文章が成立するのが日本語の特徴なのであり、主語をあえて書かなくてもよいことと同じように、日本語としては正しい文法なのだとしか言いようがないと思います。

この回答への補足

たびたびありがとうございます。お礼が遅くなり申し訳ありませんでした。

補足日時:2008/06/24 08:29
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用例は文法を作りますし、文法は用例を作ります。

ですから、文法を決められ事と捉えるか決め事と捉えるかの違いが大切です。
決められ事と捉える場合、昔から用いられていることや多くの人が用いていることが大切ですね。
決め事と捉える場合、自分が何を好むかや何が目的かが大切ですね。

「魚が食べられない」が合う文法の説明は既に沢山他の回答で出ているので、「魚が食べられない」が合わない文法の説明をしたいと思います。
その文法は自分が好んでいる文法です。私は一貫性がよりある方が好きですし、より少ないことでより多くのことを説明する方が好きですし、紛らわしくない方が好きです。
ですから、「魚を食べる」の「食べる」を「食べられない」にしても「魚を」は「魚を」です。
また、「魚が食べられない」が合う文法が私の好みに合っていないことも、「魚を食べられる」が合う文法を好んでいる理由です。

因みに、言語観と人生観は似ていると思いますよ。
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私も、専門家ではありませんが回答させていただきます。



「魚が食べられない」……
意味としてはすでにお解りのように「(私は)魚を食べることが出来ない」で間違いありませんが、日本語がネイティブでない人の場合、さぞこのあたりは「?」と思われたことでしょう。

お習いになった日本語文法から行けば、例えば下のような言い方なら納得がいくわけですよね。

「(私は)魚《を》食べられない」

この文章から主語(私は)を省略すれば「魚《を》食べられない」となるハズなのに、なぜ「を」が「が」に変わるのか?と疑問に思っておられますが、それはもっともな疑問です。
なぜなら質問者さんは『「は」や「が」は主語に付くコトバ、目的語には「を」や「に」が付く』と習われたであろうからです。

ところが実は日本語には「AはBが○○……」という構文もありまして、これまた結構一般的に使われているのです。
ANo.8のご回答に例示された「象は鼻が長い」はこの好例です。したがって「文法上正しい」と言えると思います。
(ちなみにこの構文は欧文などへの機械的な翻訳が難しいところだそうです)

この文章は
「(私は)魚が食べられない」
から主語が省略されて「魚が食べられない」になったものと思われます。

「~は~が~」構文の実例と解説については下記のサイトをご覧いただくとよいでしょう。
 http://homepage3.nifty.com/taketoki/hagakobun.html

また、このあたりの日本語文法の特徴についてもっと勉強されたいなら、下記が参考になると思います。

三上章「象は鼻が長い---日本文法入門」くろしお出版 (1960)
http://www.bookmailclub.com/bmc/reader/search/?. …

金谷武洋「日本語に主語はいらない―百年の誤謬を正す」講談社 (2002)
http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b …
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ご質問の「が」は、一般に対象を表す格助詞とされ、「~が…」の「…」に来る言葉が次の意味の場合に限って使われます。

(下記の(1)~(4)の順番・分類は私が勝手にしたものです。ちなみに「食べられる」は下記(1)の可能の意味です。)
(1)可能・不可能 例 本が読める、油断がならない、水泳ができない
(2)好き嫌い 例 音楽が好きだ、勉強が嫌いだ
(3)欲求(希望)/巧拙 例 水が飲みたい、映画が見たい/英語が上手だ、野球が下手だ
(4)感情・感覚など 例 地震が怖い、頭が痛い

(1)・(3)の述語は動詞、(2)の述語は形容動詞、(4)の述語は形容詞です。
動詞の場合、他動詞のものは「を」を使って表されることもあります(これは、後から現れた用法で、昔は「が」が専ら使われていました。つまり、「~が…」の方が歴史的に見て規範的な言い方で、「~を…」の方が新しく最近になって認められた(認められつつある)言い方なのです。)
例えば「本【 】読む。」「「水【 】飲む。」「映画【 】見る。」といった場合、述語は他動詞なので【 】には目的語であることを示す「を」が入ります。これらの場合、「が」は入りません。
これらの動詞に上の(1)・(4)の意味が付加された場合(多くは、可能動詞化、あるいは助動詞が付くことによってその意味を付加されます。)、「~が…」となるのが本来なのです、現在では「本【を】読める」とも言うようになったのです。
なお、(2)・(4)のように動詞以外の述語がくる場合は「が」が使われ、「を」はほとんど使われません。しかし、主格との差別化のために次のように「を」を使うことはありえます。
例「だれが山田さん【を】好きなの。」

また、述語に補助用言などが付いている場合、「が」は使われず「を」を使います。
例 本【を】読んでしまいたい。水【を】飲んでみたい。

下記参考図書などによると、「が」については今も専門家が研究中で、様々な説、考え方があるようです。上に書いたことも、その一部(学校文法的な観点からまとめたもの)に過ぎません。

「日本語文法大辞典」「日本文法大辞典」(いずれも明治書院)を参考にしました。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question …
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この回答へのお礼

丁寧な解説ありがとうございました。
とてもわかりやすかったです。

お礼日時:2008/06/24 08:33

ANo.6のjo-zenです。

少し、訂正と補足をさせていただきます。

>「魚が」の「が」は、希望(選択)の対象を表す助動詞
と書いたのは、書き間違いで、正しくは、
 「魚が」の「が」は、希望(選択)の対象を表す格助詞
となります。混乱させてしまい申し訳ありませんでした。

◎「魚が食べられない」 ⇒ 「(私は)魚(というもの)が 食べられない」

という構文であり、「食べられない」は、「食べる」の可能の否定という構造です。例文中の格助詞「が」は、たくさんあるものの中で特に「魚(というもの)」を選択(対象)しているということで、選択(対象)の格助詞となるのです。「強意」とも捉えられます。

◎「魚を食べることが出来ない」 ⇒ 「魚を食べること(行為) が できない」

という構文であり、「魚を食べる」という行為をすることが「できない」ことを意味しています。格助詞「が」の用法は、前述の「魚が食べられない」の場合と同様です。

つまり、「魚が食べられない」は、「魚を食べることが出来ない」が変化して生まれたものではなく、もともとから別の構文となるのです。

  
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『が』になると、強調の意味にになります。


魚はたべられない、ならば、いろいろある中で、魚は苦手、もしくは、他のものは食べられるが魚に限り、食べることができない状態を表します。
しかし魚が、になりますと、他のものはどうでもよくて、とにかく魚だけは苦手でだめ、もしくは、魚だけ食べることができないということを強調するときに使用されると考えます。
魚を食べることができない、も、もちろん文法上間違っていませんけれど、魚が食べられない、と同じ意味ならば、魚が食べることができない、になるのではないでしょうか。
他の例で、
私は行きます、と私が行きます。私は、では、他に誰か行くかもしれないし、それはどうでもよいけど、私個人としては行くつもりです、という表示。私が、になると、何はさておき私を強調して、私こそ行きます、と私自信を強調した気持ちが含まっているときに、使われると解釈します。

この回答への補足

日本人ですから、意味や違いはわかるのですが、文法上どうやって説明すればいいのかと悩んでしまって><

日本語の文は状況に左右される(日本語だけじゃない?)ということでいいのでしょうか?

私は(が)行きます。の場合
この中で明日公園に行くいといますか?「私は行きます」
誰がこの書類を持って行ってくれますか?「私が行きます」
ですよね。

私は通常、毎朝駅に行きます。私は絵をよく見に行きます。
も「私は行きます。」の部類だと思ってしまうのは
英語文法の弊害でしょうか。
でも日本語で、私は行きます。どこへ?とか だれと?
とはならないですよね・・・。

ただ馬鹿なだけでした><

みなさんお付き合い頂きありがとうございました。
少しは賢くなれるよう勉強したいと思います。

補足日時:2008/06/19 10:46
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この回答へのお礼

ありがとうございます!

今までをまとめると

魚を食べるという選択ができない。
魚を食べるという行為が出来ない。
魚が嫌いなので、食べることが出来ない。
私は魚が食べられない。(“は”が既出なので)
もっとありましたね・・・。

簡略化されたものが「魚が食べられない。」となってる。
って説明頂いてると思うのですが、
「魚が食べられない。」はそれ自体で文法上完璧と言うことですか?

お礼日時:2008/06/19 10:27

過去に「象は鼻が長い。

」という文について考えたことがあります。この文には主語が2つあるように見えますが、「長い」の主語は明らかに「鼻」です。「象が長い」わけではないからです。そうすると「象は」という表現はいったい何かということになりますが、これは「象に関して言えば」という意味だと自分なりに解釈して納得しています。同じように、「(私は)魚が食べられない」というのを、私は「魚に関して言えば、(私は)食べられない(As to fish, I cannot eat it.)」という意味に解釈して納得したいところです。
 日本語には助詞があるので、倒置を使った表現は自由自在です。しかし英語には助詞がなく、代わりに語順によって主語や目的語の関係を表現します。また、基本的に英語では日本語のように主語の省略もできません。このことを考えると、日本語特有である助詞の存在が、文法的な問題を複雑にしてしまっていることは否定できないと思います。
 回答というよりも新たな問題提起になってしまったかもしれませんが、ご参考までに。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
I can not eat it.
の「it」は目的語ですよね。
ありg私はそれを食べることが出来ない。

象の鼻は長い。と象は鼻が長い。なら分かるんですが。


私の立場からすると・・・は食べられない
私の好みからすれば・・・は食べられない

ずれてる
理解力がなくて落ち込みますが・・・頑張ります!!!

お礼日時:2008/06/19 00:24

こんにちは。


「食べる」と「食べられる」の違いではないでしょうか。

食べる、というのは、魚を食べる本人がやる事ですね。
何を食べるのかが「魚を」になるわけです。

食べられる、というのは「魚から見て」の話です。
人間が食べられちゃうわけじゃありません。
すると「何を」あるいは「何が」食べられないのか、が「魚が」あるいは「魚を」となるわけです。
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この回答へのお礼

ごめんなさい。
受け身ではなく、可能の方の「られる」です。

お礼日時:2008/06/19 00:27

まず、「魚が食べられない」といった場合、2つの異なる意味(状況)があることはおわかりでしょうか?



 (1)(例えば、魚が売り切れになったので)魚が食べられない 

 (2)(嫌いなどの理由で)魚が食べられない

(1)の場合は、「今日は食べられないけれども、明日は売り切れ前に買いさえすれば食べられる」または「売り切れで魚は食べられないけれど肉だったら食べられる」という状況です。

(2)の場合は、嫌いだから「魚を食べる」という行為自体ができないという状況です。

(1)(2)ともに、「魚が」の「が」は、希望(選択)の対象を表す助動詞ということになります。つまり、「魚が食べられない」とは、「食べる」の対象が「魚」でありそれが可能でないことを意味しているだけなのです。文法的にもなんら不合理な点はありません。

この回答への補足

ルール上、

魚を食べること「が」出来ない。

この場合可能を表す文なので、可能を表す言葉の直ぐ近くにいる
「が」が残る。とかそんなことだったりしますか?

こういう簡略化された文章にルールってありませんか?
簡略化する時のルールです。
ネイティブではない日本語学習者にわかるような。

補足日時:2008/06/19 00:30
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この回答へのお礼

?「が」が助動詞なんですか?
選択を指し示しているのかと思ったのですが。それを助動詞というのかも?動詞を助ければいいのですものね。

ごめんなさい。とてもわかりやすい説明だとは思うのですが、いまいち入ってきません。もうすこしで納得できそうなのですが・・・。
ご説明頂けませんか?

魚を食べるという行為が出来ない。
魚を食べるという選択が出来ない。

短くなると状況で判断するってことですよね。

お礼日時:2008/06/19 00:10

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