最近、古本屋で 高木彬光著「邪馬台国推理行」を手に入れました。興味をおぼえて、改稿新版の「邪馬台国の秘密」も購入しました。25年以上前の書物ですが、私としては、かなり説得力のある説だと思いました。
 そこで、この高木説は、学会や世間一般にはどのようにうけとめられているのでしょうか。教えてください。

A 回答 (2件)

以前のここでの「邪馬台国」についてのQ&Aはごらんになりましたか?まだでしたらどうぞ。

ヒントがあるかと思います。

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=31132

この回答への補足

 ご親切にありがとうございます。
 以前のQ&Aを見ましたが、欲しい内容とは少し違うようです。最近では、井沢元彦も「逆説の日本史」で言っている「邪馬台国 宇佐説」について学会、専門家、そして一般の方々の反応が知りたいと思います。よろしくお願いします。

補足日時:2001/03/05 14:06
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私はその高木説が何なのかよく分かりませんが、学会では邪馬台国は大和地方にあったという方向に有利に進んでいるようです。

詳しくは講談社「日本の歴史」第02巻の『王権誕生』をパラパラとめくってみてください。(専門家じゃないのでよく分からないですが・・・)

この回答への補足

 なるほど、大和説が最近の主流なのですね。
 ちなみに、高木彬光は、「邪馬台国 宇佐説」をとっています。
 さっそく、『王権誕生』を読んでみます。ありがとうございました。

補足日時:2001/03/01 10:15
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Q邪馬台国、三重県説について

邪馬台国、三重県説について

直井裕さんが書かれた、『邪馬台国は三重県にあった』を読んだのですが…三重県にある!ということを決めつけて、強引に三重に辿りつかせたという印象を受けたのですが…(特に最終ページ付近の、にわかに信じがたいタイムスリップ体験の話)
三重県説は、どのくらい世間に認められているのでしょうか?また、もし詳しい方がいましたら、三重県説についてどう思われているのか教えてください!

Aベストアンサー

ある事はあります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD%E5%A7%AB%E5%91%BD


伊勢神宮から考えれば、神風と常世です。

三重県の弥生遺跡は少ないです。
http://www.db.pref.mie.jp/db/user_upload_file/k405700/14/H16murat.pdf

古墳を考えると地方豪族と言う感じです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E6%97%97%E5%8F%A4%E5%A2%B3%E7%BE%A4

卓上では悪くは無い。
http://yamatai.cside.com/tousennsetu/image/bunpu.png

古事記や日本書紀の読みは、大和朝廷の勢力が後々ここを勢力下に置いた為。
となります。

しかし、後々まで放置していた事が地方豪族の証にもなります。(東端)

Q邪馬台国=九州説と記紀

邪馬台国=畿内説では、記紀に登場する
倭迹迹日百襲姫命が卑弥呼、豊鍬入姫命がトヨ、
卑弥呼の男弟が崇神天皇(個人的には崇神天皇ではないと思ってますが)
のように対応させて説明されることが多いです。

奈良県桜井市から天理市にかけて山の辺の道がありますが
その付近に倭迹迹日百襲姫命の墓(箸墓)、崇神天皇陵(行灯山古墳)もあります。

邪馬台国=九州説でも、畿内説のように記紀に登場する人物に対応させるのですか。
もしもそうなら、どのように対応させますか。
やっぱり、卑弥呼は倭迹迹日百襲姫命ですか?

また卑弥呼の墓や卑弥呼の弟の墓はどの古墳だと考えらえているのでしょうか。

※九州説の内容を質問しています。
畿内説と九州説のどちらが正しいかを問うものではありません。
ですが、余力があれば、自説などもお聞かせください。

Aベストアンサー

関祐二さんの本やほかの本にもあったかと思いますが、墓の比定はできないんですが、卑弥呼やトヨが誰か、という意味では、次のように示唆していたかと思います。

卑弥呼は、日巫女で役職のようなもの。
当時大和に刃向っていた九州勢力では、山門県(やまとのあがた)にいた田油津(たぶらつ)姫がいて、神宮皇后かこれを打ち破った。この時兄がいたが、多油津姫が殺されたと聞いて逃げた。
この九州勢力が大和に対抗するためにさかんに中国との外交を展開している中で、金印を授かったりしている。
そして、邪馬台国は、当時の読み方ではヤマドや、ヤマドゥという発音とのことなので、この大和の県の姫が日巫女(卑弥呼)として考えられる。
この地を平定した神功皇后が、山口県の穴門(あなと)の豊津に穴門豊浦宮(あなととよゆらのみや)を皇居として築いたとある。
ここから、豊浦宮の神功皇后が、トヨとして卑弥呼を継いだ、と考えている。

こんな感じだったかと思います。ちょっと不確かですが。

ちなみに、この豊については、この後歴史上色々と出てくるのでそこをたどっても面白いですよ。
こんなサイトもありました。
http://www.ne.jp/asahi/davinci/code/history/japan/index7.html

関祐二さんの本やほかの本にもあったかと思いますが、墓の比定はできないんですが、卑弥呼やトヨが誰か、という意味では、次のように示唆していたかと思います。

卑弥呼は、日巫女で役職のようなもの。
当時大和に刃向っていた九州勢力では、山門県(やまとのあがた)にいた田油津(たぶらつ)姫がいて、神宮皇后かこれを打ち破った。この時兄がいたが、多油津姫が殺されたと聞いて逃げた。
この九州勢力が大和に対抗するためにさかんに中国との外交を展開している中で、金印を授かったりしている。
そして、邪馬...続きを読む

Q邪馬台国説

ここに邪馬台国の可能性とあります。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E9%83%BD%E5%8E%9F%E5%8F%A4%E5%A2%B3%E7%BE%A4

内容は可能性では無く、

>黒板勝美が尻尾をつけて墓を捏造
>記紀による天皇家の出自も改竄で、現実は神武も卑弥呼も朝鮮半島からきた。

と、可能性では無く、2ちゃんねる顔負けに断言しています。

内容は、
南九州から青銅器が出土下と言う意味なのでしょうか?
また、どう言った根拠がそれを断言させたのでしょうか?

Aベストアンサー

この「西都原古墳群wiki」の文章を書いた人は、多分、いわゆる『民間歴史研究家』と分類される類の人でしょうね。

民間歴史研究家の特徴は、思い込みが激しく、都合の良い資料を集めて来て編集する。自説に不都合なことは書かない。

このwikiの内容を見ても『・・・好太王碑文の改竄、カンダンコキの焚書も同一の歴史改竄。』と断言していますが、中国の真面目な正式の研究者の研究により「『好太王碑文の改竄』は無かった」ことは明らかにされています。素人の私でも知っている周知の事実ですから、日本の学者ならば、このような初歩的な情報は知っているはずでしょうね。この改竄説を今でも言い張っているのは韓国系の民間歴史研究家ぐらいのものですよ。

同じくこのwikiには『・・・6 神話伝承の数では日向地方は出雲地方についで2番目に多い。』と書かれています。この記述の根拠は記紀の神代編の項目と字数を根拠にしているのだと思いますが、それならば、記紀記述で一番多い出雲・伯耆・因幡の遺跡、例えば「妻木晩田遺跡」等の存在をまず否定すべきでしょう。こちらには、古墳の古い形である「四隅突出型墳丘墓」も数多くありますね。

まあ、はっきりいってwikiの内容をそのまま鵜呑みにする人は少ないでしょうし、この内容を信用する人は特に少ないでしょう。論理の組み立てが幼稚すぎます。

この「西都原古墳群wiki」の文章を書いた人は、多分、いわゆる『民間歴史研究家』と分類される類の人でしょうね。

民間歴史研究家の特徴は、思い込みが激しく、都合の良い資料を集めて来て編集する。自説に不都合なことは書かない。

このwikiの内容を見ても『・・・好太王碑文の改竄、カンダンコキの焚書も同一の歴史改竄。』と断言していますが、中国の真面目な正式の研究者の研究により「『好太王碑文の改竄』は無かった」ことは明らかにされています。素人の私でも知っている周知の事実ですから、日本の学者...続きを読む

Q邪馬台国朝鮮半島説・・・他。

古代史研究家の山形明郷氏という方が「邪馬台国論争終結宣言 考証 史説の虚構性を衝く」という本を出しています。
 http://www.amazon.co.jp/%E9%82%AA%E9%A6%AC%E5%8F%B0%E5%9B%BD%E8%AB%96%E4%BA%89%E7%B5%82%E7%B5%90%E5%AE%A3%E8%A8%80%E2%80%95%E8%80%83%E8%A8%BC-%E5%8F%B2%E8%AA%AC%E3%81%AE%E8%99%9A%E6%A7%8B%E6%80%A7%E3%82%92%E8%A1%9D%E3%81%8F-%E5%B1%B1%E5%BD%A2-%E6%98%8E%E9%83%B7/dp/4795213623/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1237819907&sr=8-1

山形氏のこの本では邪馬台国は朝鮮半島にあったという事らしいのですが・・・
残念ながら自分はまだこの本を読んでいません。
どこのネット書店も品切れで取り扱っておらず、ネット古書店の「スーパー源氏」や「日本の古本屋さん」他、色々探したましたが、見つかりませんでした。

質問1.
この本を読んだ方おられるでしょうか?
読んだ方がおられたら、邪馬台国の朝鮮半島説について、どう思われましたか。信憑性は高いものだったのでしょうか?

質問2.
あと自分が子供の頃は邪馬台国は九州説が有力だったのですが、最近は畿内説が有力とか・・・これはいつ頃から、何が決め手となって畿内説が有力となったのでしょうか?

質問3.
あとテレビ東京の「日本史ミステリー」?という番組かなんかで、以前に邪馬台国は四国にあったという説を放送していたらしいのですが、見逃してしまいました。見た方はどう思いましたか?納得のいく説だったのでしょうか?

古代史研究家の山形明郷氏という方が「邪馬台国論争終結宣言 考証 史説の虚構性を衝く」という本を出しています。
 http://www.amazon.co.jp/%E9%82%AA%E9%A6%AC%E5%8F%B0%E5%9B%BD%E8%AB%96%E4%BA%89%E7%B5%82%E7%B5%90%E5%AE%A3%E8%A8%80%E2%80%95%E8%80%83%E8%A8%BC-%E5%8F%B2%E8%AA%AC%E3%81%AE%E8%99%9A%E6%A7%8B%E6%80%A7%E3%82%92%E8%A1%9D%E3%81%8F-%E5%B1%B1%E5%BD%A2-%E6%98%8E%E9%83%B7/dp/4795213623/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1237819907&sr=8-1

山形氏のこの本では邪馬台国は朝鮮半島...続きを読む

Aベストアンサー

こんにちは。

私も先日このQ and Aで朝鮮半島説があることを知り興味を持っていました。

山形明郷氏の本は読んでおりません。
従って質問1、2のみの回答となります。

質問2.
九州説が有力視されたのは、古田武彦氏の「邪馬台国はなかった」が出版されてのちのことではないでしょうか。

古田氏は魏志倭人伝には邪馬台国とは記されていない、邪馬一国とある。
従ってあったのは邪馬台国ではなく、邪馬一国だと主張されました。

またその場所については筑前博多だとされました。

http://mugentoyugen.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-c126.html

古田氏以前の研究者は魏志倭人伝には誤りがあるとしていましたが
古田氏は徹底的に魏志倭人伝の記述を信用する、というスタンスで研究されました。

古田氏の研究は多くの支持者を得、今はどうかわかりませんが、
一時は小学校の教科書にも邪馬台国ではなく邪馬一国と書かれている、と聞いた記憶があります。

しかし、その後安本美典氏が古田氏の説を否定し、
現在では古田氏の説を支持する人は減っているようです。

安本氏は、次のように古田説を否定しました。

(1)「三国志」は3世紀の末頃出来たものである。古田氏の言う南宋の本は12世紀のものであって原本ではない。

(2)3世紀から12世紀までの間に編纂された幾つかの歴史書の全てに邪馬台国」とある。
これらの歴史書は「三国志」を参考に記されたと考えられ、魏志倭人伝の元本では「邪馬台国」となっていたはずである。

http://www.asahi-net.or.jp/~yw8a-kndu/html/tousei_1_yamataikoku_nakatta.htm

安本氏は九州にあった邪馬台国がのちに東遷したと主張しておられます。
その理由は九州甘木市周辺の地名と、大和の地名が酷似しているためです。

一方、畿内説は古くからありましたが
そのネックとなっていたのは卑弥呼の墓とされる箸墓古墳の築造年代でした。

魏志倭人伝によれば卑弥呼が死亡したのは、247年か、248年とあります。
それに対して、箸墓の築造年代は3世紀末とされており、年代が合わないとされていたのです。

ところが、近年、年輪年代法が確立し
池上曽根遺跡で年輪年代法によって年代を調べたところ、3世紀中ごろと出ました。

http://www2.odn.ne.jp/~cic04500/yamatai05.html

これにともない、箸墓の築造年代も3世紀中ごろとされるようになりました。

このことが畿内説を有力にしたのだと思います。

また箸墓の被葬者は、倭迹迹日百襲姫命大市墓(やまとととひももそひめ)とされていますが
籠神社で発見された最古の系図によれば

http://www2.odn.ne.jp/~cic04500/yamatai08.html

始祖の彦火明命(ひこほあかりのみこと)から9代目の孫のところに、「日女命(ひめのみこと)」とあり
「日女命」の脇に、「またの名を倭迹迹日百襲姫命」、「またの名を神大市姫命」、「日神ともいう」などと記されています。

ここから、卑弥呼とは日女命をあらわしたものではないかとする説が出されました。

質問3
「日本史ミステリー」という番組は見ていませんが
大杉博氏が四国説を唱えているようです。

(1)邪馬台国は「おかしな馬を台にした国」という意味で、それは四国のことである。
(2)魏志倭人伝の方位に誤りがあるとし、投馬国を高知県市毛市あたりとする。
そこから水業10日で徳島県日和市に到着し徒歩一ヶ月かけて四国山中の邪馬台国を目指した。
(3)弥生時代の終わりから古墳時代にかけての遺跡から、丹を使った朱塗りの遺骸や棺が出土している。

http://mugentoyugen.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-30ff.html

あ、今ざっくりみたら、ここに朝鮮半島説が書かれていますね。
http://mugentoyugen.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-49a1.html

こんにちは。

私も先日このQ and Aで朝鮮半島説があることを知り興味を持っていました。

山形明郷氏の本は読んでおりません。
従って質問1、2のみの回答となります。

質問2.
九州説が有力視されたのは、古田武彦氏の「邪馬台国はなかった」が出版されてのちのことではないでしょうか。

古田氏は魏志倭人伝には邪馬台国とは記されていない、邪馬一国とある。
従ってあったのは邪馬台国ではなく、邪馬一国だと主張されました。

またその場所については筑前博多だとされました。

http://mug...続きを読む

Q「海軍善玉説」「陸軍悪玉説」

皆さんこんにちは。

先の大戦で、「海軍善玉説」「陸軍悪玉説」
と言うのをよく耳にしますが、どういった理由で
善玉、悪玉と評価されているのでしょうか?

よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

この場合善玉も悪玉もありません。
大体参謀本部が陸軍と海軍に分かれていて事有るごとに対立してました。普通は陸主海従が基本であり海軍国のイギリスだってそんなアホな事はしてません。この辺りは日露戦争での活躍した海軍の増徴が原因なんですけどね。

それに開戦にしたって確かに陸軍は満州抑えるだけで良しとしてれば良かったのに支那本土まで出張ってますから愚かの極みなんですが海軍にしたって山本五十六提督からして「1~2年は暴れ回って見せますがそれ以上は・・・」と言ってる側から真珠湾へ出張ですからこれ以上の猪突猛進は無いでしょう。しかもこれはアメリカ留学経験者が率先しての話ですよ?
陸軍は玉音放送盤を奪おうと叛乱寸前までいってますが海軍は海軍で食料その他物資を運ぶ輸送船団護衛部隊の燃料使ってまで何やったかご存知ですか?戦艦大和の特攻ですよ!燃料無くてまともに船も動かせないし食料は底を尽いて国民の大量餓死及び叛乱一歩手前までいってる状態で「水上部隊の誇りを示す!!」とか言ってるわけです。これには流石に同じ海軍で輸送船団の護衛部隊の参謀は電話口で「大バカヤロー!!」と絶叫するほどにイカレていたんです。まぁ陸軍は陸軍で竹やりでB-29を本気で打ち落とすつもりだったらしいのでどっちもどっちもですけどね。

笑えないジョークとして
ドイツ軍はソ連軍とアメリカ軍とイギリス軍と戦争した。
イタリア軍はイギリス軍と戦争してからドイツ軍と戦争した。
日本軍は陸軍と海軍がそれぞれ互いに戦争しながら暇を見つけて米・英・中・ソと戦争した。
なんて事も一部で言われています。

海軍善玉説は戦後に海上自衛隊を創設するときに専門性が高く旧海軍士官をリクルートするのに悪玉だと余計な邪魔が入るからと後付けした話というのが私の見解です。

この場合善玉も悪玉もありません。
大体参謀本部が陸軍と海軍に分かれていて事有るごとに対立してました。普通は陸主海従が基本であり海軍国のイギリスだってそんなアホな事はしてません。この辺りは日露戦争での活躍した海軍の増徴が原因なんですけどね。

それに開戦にしたって確かに陸軍は満州抑えるだけで良しとしてれば良かったのに支那本土まで出張ってますから愚かの極みなんですが海軍にしたって山本五十六提督からして「1~2年は暴れ回って見せますがそれ以上は・・・」と言ってる側から真珠湾へ出...続きを読む


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