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こんにちは。このサイトの質問を見ていてつくずく感じるんですが、
英語を上達させたいという人が多いんですが、その中でも 英語が手段と言うより 英語そのものが目的になっている人を多く見かけます。幾つかパターンを挙げてみます。

(1)TOEICや英検の資格が目的の為、折角 級やスコアを取得しても普段、英語に接する機会が少ない。結局、日本で出版された英語の教科書や参考書以外の英語に多く触れていない。

(2)英語をペラペラ話せるようになる為に、英語圏の国に留学しようと思っているが、英語を使って何をしたいかという具体的な目標がない。

(3)英語のレベルを上げようとして、さほど興味もない英字新聞を無理して読んでる。

(4)日本語もおぼつかない小さな子どもに高価な英語の教材を与えている親御さんが多い。

私の考えですが、日本人は英語が話せることに何か幻想を抱いている人も多いように感じます。↓の質問の最後の回答が参考になります。

http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4519127.html

やっぱり、日本人には愛国心が低いことも関係しているんでしょうか?

A 回答 (14件中1~10件)

最初にかいておきますが、私は英語は全然できませんし、苦手です。



日本人というより、ほとんどの国で英語を覚える方が多いのが、
やっぱり世界の公用語になってしまっているからだと思います。

貿易を行っている会社に勤めればわかりますが英語は必須です。
私の会社でも、TOEICの一定以上の点数を取らなければ、昇進が出来ません。(私は既にあきらめていますが)
また、大きな会社や、グローバルな展開をしている会社なら、
英語を使う機会は多いと思います。

大きな会社で上を目指すなら、英語が必須だと思います。

私は、既に英語習得はあきらめて、早く高性能な翻訳機が出来ないかなと思っています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>日本人というより、ほとんどの国で英語を覚える方が多いのが、
やっぱり世界の公用語になってしまっているからだと思います。
それだけではないような気がします。中国やロシアでは明確な目的ななければ、学校を出てからもわざわざ苦労して英語を覚えようとはしません。

>また、大きな会社や、グローバルな展開をしている会社なら、
英語を使う機会は多いと思います。
こういう会社は限られていますよね。しかし、皮肉なことに英語の得意な人って以外の数字に弱い人が多いから、英語だけが出来ても英語を活かせる機会が少なく、結局 英語馬鹿で終わる人も少なくないような気がします。

お礼日時:2009/02/14 10:22

受験英語の弊害だと思います



学校で英文法英語が素晴らしいと洗脳されてしまうので
どうしてもその範疇で行動してしまいます
特に模試では英文と英文法しか出題されずスコアが
高いと偏差値が高くなるので気持ちよくなって英語とはこういうものだと
勘違いしてしまうのだと思います

多くの人が資格やTOECを目指すのもやはり学校でそのように
教育するからです 
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>受験英語の弊害だと思います
確かに、日本には英語嫌いの人も多いんですが、アメリカに憧れている人も多く、ジレンマを感じている人も多いでしょう。

お礼日時:2009/02/14 10:24

私は大会社ではなく、かなり小さな会社を幾つか替わりながら、仕事をしてきました。

殆どが、英語を多少は知らないと給料のもらえない分野を歩いてきました。そのような分野を選んできたのかも、なんて仕事を止めてから思っています。
英語を習い始めた頃は、興味/好奇心で先へ、或いは学校ではやらない英語の世界へ鼻を突っ込んだこともあります。

私は受験英語というか、大学へ入るまでに習い覚えた英語の知識はその後の給料を得るのに大いに役立ったと思っています。もっとも、”話して理解してもらう/聴いて理解す”、力は別の場所で身に付けました。若しかし、敢えてアメリカへ行く気持はありません。その時間と費用があれば、行きたい外国はありますが。

愛国心と外国語との関係なんて、考えること自体”愚”では?英語の非常に出来た、岡倉天心やその他の明治時代の文化/教育面の先人達は全て、私から見たら、凄い愛国心の持ち主、としか思えません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>愛国心と外国語との関係なんて、考えること自体”愚”では?
私は岡倉天心よりも、福沢諭吉や夏目漱石の方が馴染みが深いですが、そう言った人たちは西洋の優れた文化を日本に取り入れようと非常に熱心だですが、現代のただ漠然と英語が話せたらカッコいいと思っている人たちとは「志」が全然違っていたと思います。つまり、英語の学習目的が両者ではまるっきり異なっているとしか思えません。

お礼日時:2009/02/14 12:55

>日本人は英語が話せることに幻想を抱いている人も多いように感じます。



こんにちは。 とても鋭い指摘です。 私はそろそろ70に手が届く人間です。 

企業で海外事業とODAコンサルタントとして英語と深く係わって来ました。 

今でも英語で情報を入手します。 例えば、2/11のワールドカップ最終予選の日豪戦です。 英語で書かれた試合結果の報告や両監督のコメントを読むと、日本のメディアとは違うグローバルな視点が見えて来ます。 

日本人の視点とアジアサッカー協会の視点、FIFAが見るアジアのサッカー。 この三つをプリズムのように重ね合わせて見ると、面白いものが見えて来ます。 

英語はとても便利なツールです。 英語を学ぶことはとても意義のあることです。 英語でご自分の生活に役立つ情報を積極的に入手出来るレベルに早く到達して下さい。 そうすればあなたの生き方も違って来ます。 
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>英語で書かれた試合結果の報告や両監督のコメントを読むと、日本のメディアとは違うグローバルな視点が見えて来ます。 
「グローバル」というのが落とし穴になりがちです。英語が出来れば、日本語しか知らないよりもぐ~んと世界は広がりますが、陥りやすいのが、多数決の正義です。特に日本のメディアはアメリカのメディアに追随していることが多いので、世界情勢を知る上でも、常にフランスはひねくれ者、中国は頑固者、ロシアは悪者、アラブはテロ国家群、というような視点で世界を見る構図は英語が読めても変わらないと思います。

>英語はとても便利なツールです。 英語を学ぶことはとても意義のあることです。 英語でご自分の生活に役立つ情報を積極的に入手出来るレベルに早く到達して下さい。 
私は最近、Webで英語のページを読みますが、もどかしく正直疲れます。知りたい情報が日本語では限界があるからです。それで、仕方なく英語で読んでいるので、英語を「楽しむ」という感覚がありません。
もっとポジティブに考えればいいんでしょうけど。

お礼日時:2009/02/14 13:15

(4)に関しては、親御さん自身が「英語で苦労した(と少なくとも感じている)」という場合が多い印象が、子育て経験を通じて感じています。

要するに、自分が、学校の英語の授業で苦労した。受験で苦労した。ビジネスで、海外旅行で苦労した。だから、子供には苦労させたくないので、早めに英語を叩き込む。

では、数学や社会では苦労しなかったのか。そういうわけではないようですが、なにせ、どんな道を歩もうとも、日本の「システム」では英語が付いて回ります。つまり、文系に進もうが理系に進もうが、必ず英語の授業はあるし、高校以上の入試には必ず英語がある。結局、どんなに頭がよくても、英語のテストで点数が取れなければ、高等教育が受けららない、と少なくとも多くの人々は思い込んでいるのです。

で、申しましたように、現実世界で英語が必要というよりは、英語が必要だと彼らが「思い込んで」いて、その英語ができない彼らはコンプレックスをいだいているわけです。たぶん、この「苦労させたくない」というのには、本人が意識しているかどうかは別として「自分が味わった、いやな感情を味わわせたくない」という思いが多分に含まれているのだと思うのです。(4)のようなケースに限って、親は英語ができなかったりしますからね。

で、愛国心とは、あまり関係ないと思います。愛国心が関係あるなら、右翼はみんな(1)~(4)に当てはまらないでしょうが、実際には右翼にもそういう傾向はあります。どちらかというと、シャイな国民性かもしれないと思っています。そういう意味では、(1)~(3)も、「お勉強は好きだけど、実際に英語を使うガッツはない」という性格が現われているのかもしれません。

ただ、日本は広く、英語を使える能力があっても、使う機会になかなか恵まれないのもまた事実です。ご存知のように、国際都市ともいわれる日本の市に住む私は英語が堪能ですが、実際に英語をしゃべる機会を得るのは年に1~2回といったところですよ。外国人も最近は日本語ができますしね。

一方で、外国語に対する憧れというものは、人間なら誰にでも多かれ少なかれ、あるものなのではないでしょうか。日本ではたまたま、英語が手軽に学べて、しかも使いでがあるという先入観がありますが、他の語学もそれなりに人気があります。鎖国時代にも、使う機会が大してない蘭学に人気がありました。

この回答への補足

回答ありがとうございます。

>要するに、自分が、学校の英語の授業で苦労した。受験で苦労した。ビジネスで、海外旅行で苦労した。だから、子供には苦労させたくないので、早めに英語を叩き込む。
私もそもそもここが間違っていると思います。私の場合は小学生の頃、国語が得意でした。そして、中学、高校と英語も得意でした。英語で苦労する人の半分は国語力も弱い傾向にあるようです。ですから、小学生のうちから英語を学習すれば、中学校のうちは余裕で英語を乗り切れても、国語力が弱ければ高校に入ると英語で脱落する人も少なくありません。勿論、国語力と英語力が単純な比例関係にあるわけではありませんが、ここでは割愛します。

>つまり、文系に進もうが理系に進もうが、必ず英語の授業はあるし、高校以上の入試には必ず英語がある。
私の場合はレアケースですが、センター試験の外国語は中国語を選択しました。しかし、外国語は選択教科とはいっても、殆ど全ての人は選択という観念はなく、英語という教科に捉えていると思います。まあ、このように考えて間違いはありませんが。

>で、愛国心とは、あまり関係ないと思います。
私も少し短絡的に考えたと思いますが、そのことについては#11のお礼で書きます。

>そういう意味では、(1)~(3)も、「お勉強は好きだけど、実際に英語を使うガッツはない」という性格が現われているのかもしれません。
ここでの「ガッツ」とはどのように解釈したらいいでしょうか? courageというよりmotiveの意味で捉えていいんでしょうか?

>ご存知のように、国際都市ともいわれる日本の市に住む私は英語が堪能ですが、実際に英語をしゃべる機会を得るのは年に1~2回といったところですよ。
そうなんすか。私はもっと頻繁にありますが、英語で会話するのは疲れます。

>鎖国時代にも、使う機会が大してない蘭学に人気がありました。
今では色んな外国語を学習する人も多いですが、オランダ語に限っては当時の方が学習者が多かったでしょうね。

補足日時:2009/02/15 09:27
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こんにちは。


私も日本人の英語学習に関しては日ごろから疑問に思うところが多々あります。
まず、「英語自体が目的になっていて、あとに続くものが無い」という人達ですが、これは日本人の英語学習者でもかなりの割合だと思います、質問の(1)や(2)、(3)なんかそのままこういうタイプだと思うのですが、「英語が出来れば人生が変わる!」のような考え方は日本の英会話産業業界のPRの成果でしょう、留学業界も含めてですが、なんだか英語が神通力の一種かのような持ち上げ様です、「留学すれば未来が変わる!君も輝ける国際仕事人になれる!」みたいな抽象的な謳い文句、良く耳にしませんか?たまに性質の悪い謳い文句や広告を見聞きしますが、言葉は悪いのですが、ああいうのは殆ど詐欺に近いのではないでしょうか。
勿論英語が使えればとても便利ですが、、、結局道具のひとつですので、使う人間が自分を鍛えなければ意味無いですよね。ちなみに仕事で海外に送られ、現地での生活と仕事に英語が必要だからと、英語を学んだ人に数人心辺りがありますが、その方達はあまり英語が流ちょうとかそういう事を気にしません、それが目的ではなく、あくまで仕事と生活を助ける道具だからです。第一、海外で円滑に仕事をしていくには、言葉以上に大切なものがあるからでしょう。
しかし、目的も無く勉強している人こそが英語の能力に拘る傾向があります。それは恐らく、それ以外の自分に今いち誇れる部分が無いからなのでしょうが、、、英語力がどんなにあっても本人が人づきあいが嫌いだったり人との会話が苦手だったりしたら全く意味ありませんよね、このあたりを無視している学習者や教育熱心な両親が多すぎる気がします。
ただ、愛国心云々は特に関係ないと思います、先ほど述べた通り、どちらかと言うと日本の話せない英語教育や業界のPRの結果じゃないでしょうか?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

鋭いご指摘ですね。広告に乗せられやすいのは日本人の国民性でしょうか。

>ただ、愛国心云々は特に関係ないと思います
#11のお礼をご覧ください。

お礼日時:2009/02/15 09:34

リンク先の例では(1)(2)は、有用ではありません。



質問は一般人としての日本人の英語熱心を問うているなら、先の(1)(2)は、職業などで一流のものがあり、それは語学や会話とは直接リンクしないため、単純に成功例に英語不要論をむすびつけた、誤解を招く書き方です。

しかし(3)には質問への答え(というか手段の例)が書いてあります。

>(3)モグさん(53歳)・・・髪の毛が薄くなってきている。タイのバンコクの繁華街で巧みな英語で外人に声をかけ、売春宿の斡旋をしている。日本語もまずまず操れる。

ここにはやはり生きるために英語、および日本語を操っているよい例が書かれています。
このため、その先の回答の最初にいっていることと矛盾します。

本来多くの日本人も、このような言葉の用いられ方、すなわち言葉は生きるための手段やツールであることを、頭ではわかっているのですが、しかし小中高の日本の学校教育のスタイルや、文法ありきの英語教育環境に育ちそれに慣れてしまっているので、それを崩せなくなっているのだと思います。

日本で日本語だけで暮らすと覚悟を決めている人には、外国語は本来どうでもいいことです。きっと、その人は日本が永遠に今の形のまま、安定度したまま存続するという視観や人生観があるのでしょう。
しかし、逆にその日本は(外国諸国も含めてですが)今の経済や世界情勢の中では、安定は決して望めないと考えている人もいます。その場合、モグさんのように生きるために言葉が大切と考えている人は多いと思います。

日本人の大半は現在パラダイス鎖国的な生き方をしていますが、同時に大半が日本そのものへの不安、仕事を失う不安、同世代の中で落ちこぼれる不安などを(たぶん意識はしていないが)もっていると思います(アンケートはこれらを数字で顕著に示すことがある)。

このため自分の外側の世界(外国だけではなく他の仕事などのチャンスも含め)、とつながるためには、やはり言葉が大切とどこかで感じているのだと思います。
しかし学校時代に叩き込まれたことは(歴史教育もそうですが)、簡単にはくつがえせないし、違う道があることにも本人たちは気がつかないのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>質問は一般人としての日本人の英語熱心を問うているなら、先の(1)(2)は、職業などで一流のものがあり、それは語学や会話とは直接リンクしないため、単純に成功例に英語不要論をむすびつけた、誤解を招く書き方です。
jayoosanさんがどのように解釈されたかは存じませんが、私はそのリンクの回答では英語が話せることをそんなにカッコいいと幻想を抱くことを皮肉っているのだと思います。英語不要論とは直接関係はないような気がします。ピエールさんにしてもカルロスさんにしても 折角 世界の檜舞台で活躍しているのですから、仕事上 英語が必須ではないにしても、英語が流暢に話せればメリットは大きいはずです。

一つ言えるのは、日本ではモグさんのように英語が話せなければ飯を食っていけないという切実な状況にある人は少ないことです。

お礼日時:2009/02/15 09:48

幻想ではなくすべてが現実だと思います。


英語だけではなく文字本来の目的は人に伝えるために出来たものですが、今では日常使うこともしないのに受験のため出世のためとか違う目的で使われるようにもなってきました。
現実がそうである限り英語の目的というもは人それぞれで、英語を使うことをしなくともそれが受験であろうと出世であろうとそれが目的であるのだから勉強している人に疑問を投げかけるようなことは必要ないと思います。
勉強というものは自己啓発・能力だけを高めるものではありません。
たとえそれが何かの目的のためではなくても勉強するということはすべてつながるものです。
決していかなる理由であろうともがんばる人に水をさすようなことを言う必要はないと私は思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>幻想ではなくすべてが現実だと思います。
「幻想」をどのような意味で解釈されたか存じませんが、#6さんと#10さんが詳しく書かれております。つまり、英語が出来るということを過大評価していると思うんです。

>英語を使うことをしなくともそれが受験であろうと出世であろうとそれが目的であるのだから勉強している人に疑問を投げかけるようなことは必要ないと思います。
どうしてですか? 私は別にそれが間違っているとは言っていませんが。

>勉強というものは自己啓発・能力だけを高めるものではありません。
別にそんなことを言っているつもりはありませんが。

>決していかなる理由であろうともがんばる人に水をさすようなことを言う必要はないと私は思います。
同じように、決していかなる理由があろうとも質問者の揚げ足を取る必要はないと私は思います。

お礼日時:2009/02/15 02:28

こんにちは。

 #4の再入場です。 鋭い指摘に久しぶりに手応えを感じました。 良くお出来になる方ですね。 

> 常にフランスはひねくれ者、中国は頑固者、ロシアは悪者、アラブはテロ国家群、というような視点で世界を見る構図は英語が読めても変わらないと思います。

私はODAの仕事でマルチと言って、いろいろな国籍の人たちと一緒に(日本人はひとり)仕事もして来ました。 英語で仕事をする時には、誰も何がしかのハンディを負っています。 しかし、決してステレオタイプのフィルターを掛けることはしません。 一緒に仕事をやる時は成果を挙げることが第一の目的です。 相手の良いところを引き出すことが求められます。 お互いを理解し合うことが求められます。 

> 知りたい情報が日本語では限界があるからです。

仰る通りです。 日本語の情報には限りがあります。 現在、インターネット網を通じて流れている情報のうち、約70%は英語で書かれたものです。 このことは多分ご存知と思います。 

英語で検索すれば良質の情報を豊富に入手出来ます。 これも言わずもがなでしたね。 或る程度以上の速読能力(一分間に約200語程度読める力)を身につけて英語で書かれた情報に気軽にアクセスして下さい。 必ず出来ます。 
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この回答へのお礼

再度回答ありがとうございます。

>私はODAの仕事でマルチと言って、いろいろな国籍の人たちと一緒に(日本人はひとり)仕事もして来ました。 
話をはぐらかされたようですが、話を元に戻すと、アメリカのメディアを読むと常にアメリカが正しいんです。イギリスのメディアも基本的に同調的です。

>現在、インターネット網を通じて流れている情報のうち、約70%は英語で書かれたものです。 このことは多分ご存知と思います。 
今は、50%を切っていますが、それでもネットで使われている言語では英語が断トツで多いですね。

> 或る程度以上の速読能力(一分間に約200語程度読める力)を身につけて英語で書かれた情報に気軽にアクセスして下さい。
英語でも読みやすいものでしたら、この位のスピードで読めますが、日本語だったら最低1000語は読めますので、歴然とした差を感じます。

お礼日時:2009/02/15 09:55

bono catさんの挙げられた1~4)は多くの人が気付いている日本の状況を簡潔にまとめたものですね。


その上で、日本人の幻想かな?という感想と、愛国心が低いから?という疑問をお持ちと思います。

幻想と言えば幻想です。日本では日本語が有れば生活には困らないですし、世界中の情報も入手できるのですから。
これに多少の英語情報が上積みされても情報の取捨選択能力が無ければ邪魔なだけです。
ただ、学校課題として与えられ、選別化に使われ、できるに越したことがなければ、と言うことで誰もができればな~と思います。
最近は社会も「変」で表される時代、人並みにできればこの「変」について行けなくなるという恐れもあります。
(日本で人並み=英語全くできないレベルですが。)できない人ほど英語教育を強調し、程々できる人は誇示し、できる人は静かに優越感に浸ります。
丁髷をザンバラ髪にするように物理的に簡単に行える事とは違うのに、国民皆英の幻想交響曲状態です。明治維新の頃、日本人はできるだけ
混血化すべしとか英語を喋るべしと言った当時の高官を嗤えません。

愛国心の問題ではありません。流浪の民ほどよその言葉を早く覚えます。レベルはポン引きさん程度でも。
自負心が弱いから幻想を抱くのかと思います。何か認められたい。殺し文句「国際的、国際人」に弱い。
それで、訴えたいものが無い、中身が無いのに、無いものを伝える手段に憧れる。手段が有れば中身が有るように勘違いする。
私の意見では、日本で一番の国際人の例は「職人技を持つ大工さん」です。アルファベットすら知らなくても、その能力を
技=中身を通して万国の人に伝える事ができるからです。
今の英語騒動は中身の無い過剰包装の様なものです。How do you do?で始まって、その後自分の何を伝えるのですか?

そんな想いを持って、ご質問を拝見させていただきました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>これに多少の英語情報が上積みされても情報の取捨選択能力が無ければ邪魔なだけです。
そうですね。英語情報は日本語情報よりもはるかに多いですが、
それだけに無駄な情報の比率も日本語情報より高いように思えます。
しかし、日本語情報では得られない情報も多いわけですね。

>できない人ほど英語教育を強調し、程々できる人は誇示し、できる人は静かに優越感に浸ります。
鋭いところを突いていますね。

お礼日時:2009/02/15 10:04

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