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いつもお世話になっております。
今回は「雨の降る日」と「雨が降る日」の違いについて質問させてください。
日本語の本などでは「名詞+の+名詞」だと習いました。
でも、「雨の降る日」や「手の届かない」や「私の書いた手紙」など「の」が多く使われています。
「が」が入るところに「の」が入って得られるニュアンスの違いは何でしょうか?
日本の方から説明をいただいた部分を引用します。
{「の」が入るのが本来です。日本語では、もともと「雨の降る日」のように「の」を 使います。「雨が降る日」なんて言いませんし、
非常に違和感がありますよね。
「が」を使うようになったのは、学校で文法を教えるようになり、しかもその文法は英語のものが由来なのです。
そのため、文法を意識してしまうと「雨が降る日」のように直訳調になりがちなんですね。」
ネットで検索すると「雨が降る日」は数多く出てきます。
本当にもともとは「の」を使うのに教育によって「が」が使われるようになったのですか?
皆様はどう思われますか?
ぜひ教えてください。

また、質問文に、間違っているところがありましたら、直していただければ幸いです。^^

A 回答 (13件中1~10件)

ニュアンスの違いは微妙なものですね。


文語文法では格助詞「が」は主に主格と連体格、格助詞「の」は主に主格、連体格、同格です。同格は「の」だけで「が」はありません。「野田なる男の、内閣総理大臣になりたるが、~(野田という男で、内閣総理大臣になった男が~)」というような用法です。ですから、同格の「の」を別にすれば、格助詞「が」「の」は共に主格と連体格であって、余り差はなくなったようで、古文においては主格=「が」、連体格=「の」という訳ではなく、同じように使われてきた訳です。それが時代が下って口語文法では主格=「が」、連体格=「の」となり、また「音楽が好き」「ご飯が食べたい」等、主格ではない連用格の「が」も良く使われるようになりました。ただ、主格で「の」も使われ、連体格で「が」も無くなった訳ではありません。「我が命」「我が家」等、文語的な響きはあるものの現代でも連体格の「が」もあります。
ニュアンスとかは、時代で変わりやすいので、その時代の日本人の印象の大多数の意見が正しいとしか言えないでしょう。長々と述べて最後は記述言語学ような新鮮味の無い結論で恐縮です。
ついでに申し上げますと、主語+用言の連体形+体言の場合、「子が泣きたる時に~」のように主格に「が」を用いた例は平安時代の文献にも珍しくはありません。「手の届かない所」であったものが英文の和訳で「手が届かない所」となったというのは、私は事実をよく調べて居ませんので、確かな事はわかりません。英文の訳として、少数派であった「手が届かない~」が多数派になったのでしょうか。「私は友人3人に話しました」と普通の日本人が言うところを、「私は3人の友人たちと話しました」と書いてあったら間違いではなくても英文和訳の解答としか思えない不自然な日本語ですよね。訳文として「手が届かない~」式の表現が増えて不自然の感じなくなったのでしょうか。
私自身は、「の」の方が直接「所」に係っているような雰囲気もあって、しっくりします。
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#10です。



>私の考えでは「の」を使うことで次の部分が強調される、
つまり、「届かないところに保管すること」が強調されると理解しました。
:なるほど。
このお考えはわかります。
しかし、それは『「が」によって「子供たちの手」が強調されていない結果』として、そのように見える、ということだと私は思います。
つまり、
「この薬は子供たちの手の届かないところに保管すること」
という文は至って【通常の文】であって、特になにかを強調する意図はありません。
「この薬は子供たちの手が届かないところに保管すること」
という文と無理やり比較してみれば、「手の届かないところ」を強調した結果になっている、というぐらいの程度です。
しかし、少なくとも(強調しようとする)積極的な意図は無いでしょう。

>「が」を使った方が「届かないところに保管すること」が強調されると思ったのです。
:「が」を使って強調されるのは、「子供たちの手」ですね。

あくまで私見ですが、このように思います。
 

 
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「雨の降る日」


  (雨∧降る)∧日
 =雨∧降る∧日 その日雨降る

「雨が降る日」
  (雨≡降る)∧日
 =((雨∧降る)∨(~雨∧~降る))∧日
 =((雨∧降る)∧日)∨((~雨∧~降る)∧日)
 =(雨∧降る∧日)∨(~雨∧~降る∧日)
   その日雨降り、雨ならぬもの降らず
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#8です。



>「この薬は子供たちの手の届かないところに保管すること」
「の」を使うことによって「届かない」が強調されるってことですか?製薬会社の目的はお子さんに薬を触らせないことだと思うのです。
:実に良いところに注目されましたね。
『>「の」を使うことによって「届かない」が強調される』ということではありません。
「>お子さんに薬を触らせないこと」が【重要な】目的であると判断すれば「手が」とするのが自然です。

しかし、それは目的のほんの一部に過ぎない、という考え方をする製薬会社もあることに着目してください。
製薬会社の最も大きな目的は、たくさん買ってもらうことでしょうが、そのためには商品を安全に使用してもらう必要があります。
しかし、安全に使用してもらうためには多くの注意事項があるはずです。
たとえば、
規定量以上服用しないこと。
異常を感じたら服用を中断して医師の診断を受けること。
などなどです。

このような場合、
「この薬は子供たちの手が届かないところに保管すること」
と表現すると、
「子供たちの手が届かないところに保管【しさえすれば】、この薬は安全に使用できる」
というニュアンスになってしまう可能性があります。
他にも注意しなければいけないことがたくさんある場合は、
「この薬は子供たちの手の届かないところに保管すること」
のように表現する可能性が高いでしょう。

しかし、これはあくまで感覚的なものです。
たとえば、
実際に子供の薬害が多数発生して社会問題になったような経験を持つ製薬会社であれば、
子供の被害について特に敏感になるかもしれません。
そのような会社の薬には
「この薬は子供たちの手が届かないところに保管すること」
と書かれるのではないか、と推測します。

また、「子供に対する被害をどの程度真剣に考えているのか」というバロメーターとして「の」と「が」の差異について考えることも可能だと思います。
『なぜ「が」を使って「届かないところに保管すること」を強調しないのだろう?』
という no1eun さんの感覚はよく理解できますし、至極まともな感覚でしょう。
 
子供は弱者ですから守らなければなりません。
その意味で、製薬会社は、
「この薬は子供たちの手が届かないところに保管すること」
と記すべきだろう、と私も思います。
「この薬は子供たちの手の届かないところに保管すること」
と書く製薬会社は、子供に対する配慮に欠けていると批難されても止むを得ません。
その意味でおそらく、no1eun さんと同じ考えではないかと思われます。
  

この回答への補足

hakobuluさんの補足を何回読みましたが、確信できない部分があってまた補足してしまいました。迷惑かけてすみません。
私は「の」を使うことによって次の部分が強調されると理解しました。
{なぜ「が」を使って「届かないところに保管すること」を強調しないのだろう}
私の考えでは「の」を使うことで次の部分が強調される、
つまり、「届かないところに保管すること」が強調されると理解しました。
触らせないことを重要な目的と考えると「手」を強調してお子さんの手が届かない高いところに置いてくださいと言うことになると思います。
そうすると、「が」を使った方が「届かないところに保管すること」が強調されると思ったのです。
hakobuluさんはこの意味で「が」を使うとおっしゃっていたのですか? 日本の方でもいろんな説明があったので、すごく頭が混乱しています。もっと頑張ります。^^

補足日時:2009/06/14 23:09
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「が」も「の」も連体格用法として、受ける体言が下の体言に対して修飾限定の関係に立つことを示す、と小学館の国語大辞典にはあります。

この場合、現代では「の」が使われるということです。
>「雨の降る日」 雨 と 降る日(体言的な文節)を関係付ける格助詞が の なのだと思います。「雨の降る」「手の届かない」などとは詩なんかにはありますが、普通は言いません。

「が」は連用格用法があって、受ける体言が下の用言に対して修飾限定の関係に立つことを示すばあいに用いられるとあります(同辞典)。
「雨が降る日」は 雨 と 降る(動詞:用言) を結びつけるための「が」だろうと思われます。
「雨が降る」も 「手が届かない」も違和感なく 両方よく使います。
「雨が降る日」「雨の降る日」 両方正解だと思います。
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>「この薬は子供たちの手の届かないところに保管すること」


「スイッチに手の届かないお子さんでも大丈夫」
のような文章では「手」を強調するため「が」を使うと思うのですが。
:鋭いご質問ですね。^^;
おっしゃるように「が」を使ったほうが「手」を強調できます。
実際、そのようにしても特に差し支えはありません。

しかし、「強調し過ぎ」は逆効果になります。
強調し過ぎないほうがスマートな表現になる場合も多くあるということです。
そのへんの兼ね合いの問題、ということはあるでしょう。
 
 

この回答への補足

皆様の回答を拝見して私が理解した「の」と「が」をhakobuluさんに
確かめていただきたくて補足いたしました。^^
例文をいろいろ読んで分かった気がするのですが、確信できなくて
「この薬は子供たちの手の届かないところに保管すること」
「の」を使うことによって「届かない」が強調されるってことですか?製薬会社の目的はお子さんに薬を触らせないことだと思うのです。
「私が好きな」と「私の好きな」もどちらを強調したいかによって
「の」か「が」を使うと思うのですが。どう思われますか?
私の考えで合っていますか?ぜひ教えてください。お願い致します。

補足日時:2009/06/14 11:43
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No.6です。


もうひとつ,「手の届かない」について。

No.5の補足の例文で言うと,私の感覚では,
「子供たちの手が届かないところ」・・・「手」さえ届かなければいいので,足だとか他の部位には触れる可能性がある場所。
「子供たちの手の届かないところ」・・・「手」だけでなく,他の部位も届かない場所。代表的な部位として「手」という言葉を使っただけ。

「スイッチに手が届かないお子さん」・・・スイッチに手を伸ばそうとする様子が「具体的」に思い浮かぶ。
「スイッチに手の届かないお子さん」・・・スイッチが「離れた」ところ(普通は「高い」ところなんだろう。)にあるというだけであって,手を伸ばそうとする様子が思い浮かばない。
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自分の感覚で書くために,他の回答をほとんど読んでいませんので,


同じようなことを書いた場合はご容赦ください。

「が」と「の」の差はとても微妙ですね。


「雨の降る日」「私の書いた手紙」のほうが「雨が降る日」「私が書いた手紙」よりも文学的。

どちらかというと,口頭語では,「が」を使う傾向があると思う。
「私が書いたメモは,読んでくれましたか。」○
「私の書いたメモは,読んでくれましたか。」△

形式名詞(「こと」「たび」・・・)につながるときは,「が」のほうがふさわしいような気がする。
「列車が通過するたびに,がたがた揺れる。」○
「列車の通過するたびに,がたがた揺れる。」△
「佐藤君が結婚したことは秘密にしよう。」○
「佐藤君の結婚したことは秘密にしよう。」△


それから,あくまでも私の微妙な感覚で言うと(他の人の感じ方はわからないですし,あくまでも傾向を述べているだけですが。),
「雨が降る日」・・・本格的な降り方だけど,短時間。あるいは,降ったりやんだり。
「雨の降る日」・・・小雨がずうっと続く。
「彼が書いた本はつまらない。」・・・彼の書いた本のうちの1冊だけについて述べている。もしくは,そもそも彼が1冊しか本を書いていない場合。
「彼の書いた本はつまらない。」・・・彼は何冊も本を書いているが,どの本もみんなつまらない。
「私が書いた手紙」・・・短い手紙。
「私の書いた手紙」・・・長い手紙。



>教育によって「が」が使われるようになったのですか

それはわかりません。そのようなことを考えたこともありません。
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「雨の降る日」と「雨が降る日」はどちらも正しい表現です。


ネイティブは、シチュエーションによって微妙なニュアンスの違いを使い分けています。
ただ、無意識に使い分けしているので、その違いになかなか気づかないだけです。

「雨の降る日」
これはいたって素直な構文です。
「どのような日であったか」に関する単純説明です。

「雨が降る日」
これは雨を特定、あるいは強調したい場合の表現です。
「雨が!」+「降る日」というニュアンス。

(ア)雨の降る日にスピードを出し過ぎて、あんな事故を起こしてしまった。

(イ)雨が降る日にスピードを出し過ぎて、あんな事故を起こしてしまった。

これらはどちらも同じことを言っていますが、(イ)のほうが「雨」を強調しています。
つまり、
【雨と事故の因果関係】を強調した表現になっているわけです。
 

この回答への補足

回答ありがとうございます。
「この薬は子供たちの手の届かないところに保管すること」
「スイッチに手の届かないお子さんでも大丈夫」
のような文章では「手」を強調するため「が」を使うと思うのですが。
上の文章は説明書のため「の」が使われているのですか?
「の」を使ったほうがやわらかい文章になるのですか?
いつも補足してhakobuluさんに迷惑かけてすみません。
勉強もっと頑張ります。^^

補足日時:2009/06/13 20:31
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文法的には、「雨」が「降る」にかかって更に「日」にかかるのが「雨の降る日」、「雨が降る」が「日」にかかるのが「雨が降る日」だけど。


現代的には、どちらを主体にするか、によります。
「雨の降る日」だと雨よりも日。「雨が降る日」だと日よりも雨。
この例より、「私の書いた手紙、私が書いた手紙」の方がわかりやすいでしょう。(私の書いた)「手紙!」と、「私!」が書いた手紙。
「私の好きな人、私が好きな人」なら、(私の好きな)「人!」と「私!」が好きな人。
俳句では、「が」というのは嫌いますね。前者(雨)を強調し過ぎるのと、響きが悪いからです。「の」の場合、それほど強く後者(日)を強調しません。
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