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本人が無権代理人を相続した場合について

最判昭37・4・20では、相続人である本人が被相続人の無権代理行為の追認を拒絶しても何ら信義に反するところはないから、被相続人の無権代理行為は一般に本人の相続により当然有効となるものではない、とされました。

最判昭63・3・1では、本人が、まず、無権代理人を相続していたことをとらえ、相続人は本人の資格で無権代理行為の追認を拒絶する余地はない、として本人自らが法律行為をしたと同様の法律上の地位ないし効果を生ずる、とされました。

前者判例では無権代理行為の追認を拒絶しうるとし、後者判例では無権代理行為の追認を拒絶する余地はないとあり、相反するようにおもえるのですが、どのように理解すればいいのでしょうか。
どなたかご教授をお願いいたします。

A 回答 (2件)

一言でお答えすれば、「両方の判例の事案の相違」ということになると思います。


昭和37年の事例は、本人が無権代理人を相続したケースですが、昭和63年の事例は、無権代理人-より正確には「相続の結果、無権代理人と同様の地位を有するに至った者」が、本人を相続したケースですから。
両方の裁判例では、「本人」・「無権代理人」の相続の順序が決定的に違います。

本人が無権代理人を相続しても、それゆえに追認拒絶権を制約されるいわれはないが、無権代理人が本人を相続した場合には、たまたま本人を相続したことを奇貨として(無権代理人に)追認拒絶権を行使させることは、信義則に反する-その論理は、両方の判例で一貫していると思いますよ。

無権代理人の相続については、4パターンがあるとされています。
1 無権代理人が本人を相続した場合(無権代理人相続型…A型)
2 本人が無権代理人を相続した場合(本人相続型…B型)
3 本人・無権代理人以外の第三者が双方を相続した結果、本人と無権代理人の地位が融合した場合(双方相続型…C型)
そして、C型はさらに相続の順序について2パターンに分けることができ、
3-1 無権代理人を相続した者がのちに本人を相続した場合(C1型)
3-2 本人を相続した者がのちに無権代理人を相続した場合(C2型)
1、2、3-1、3-2の4パターンです。

あえて言えば、A型とB型は「無権代理の関係者(=無権代理人・本人)相続パターン」、C型は「関係者以外の第三者相続パターン」ということになるでしょうか。

昭和37年の事例はA型で、昭和63年の事例はC型(C1型)ということになります。
つまり、昭和63年の事例では、先に相続人が無権代理人と同じ立場を承継してしまっているので、その後にたまたま本人を相続したことを奇貨として、追認拒絶権を行使することはいけませんよ、「無権代理人」→「本人」の相続の順序がA型と同一である以上、そのエッセンスはA型と同じですよ-そういう趣旨だと思います。

ちなみに、C2型の最高裁判例は、まだないようです。
上記の論理からすると、C2型では、追認拒絶が許されそうですね。
相続の順序・流れとしては、B型と同じと思いますので。
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この回答へのお礼

ご丁寧に解説していただき有難うございました。
両者の相違はよく理解できました。

法的な立場を厳密に当てはめてゆくと、なるほどと思いますが、心情的に何か引っかかります。
A型の論理は心情的にも納得できます。
C1型の場合、A所有の土地を無権代理人BがCに譲渡した場合において、Bの死亡に伴い、AとDがBの相続人となったとします。Bのなした無権代理の地位はAとDに相続されるでしょうが、AとDはそのような行為がなされたとは知らなかった、と想像できます。この点でAとDには知る努力を怠ったという過失があるかも知れません。さて、Aが死亡したので、Aを相続したDがA所有の土地の名義変更をしようとしたら、その土地はすでにCに移転登記されていた、と知った。このような流れが想像されます。
AとDがBの地位を相続をした時点でBの無権代理行為を知っていれば、AとDには追認を拒絶することの不利益はないので、追認を拒絶してCの登記の抹消を求めたと想像できます。つまりAとDはBの無権代理行為を知らなかったとみるのが自然なように思えます。知る努力を怠った過失ゆえ、Dに無権代理人の地位が継承され、その結果、Cに対して無権代理行為の追認を拒絶する余地はないとした判決はDにあまりに酷なように思えます。
私は何か重要なポイントを見過ごしてしまっているのでしょうか?

お礼日時:2009/08/28 18:41

#1の回答者です。



質問者さまは、必ずしも私の補足をお求めではないのかも知れませんが、念のため、管見をつけ加えさせていただきたいと思います。

質問者さまの疑問も、私は、もっともであると思います。

Cとしては、自分がBの無権限について善意である以上、万一の場合も補償を受けることができると考えてBとの取引を行ったとすれば(民法117条1項)、その信頼は保護されてよいと思います(取引の安全の保護)。

一方、相続は、死者の財産関係を整理するための「人格の包括承継」という法技術として、相続人が意識するとしないとにかかわらず、ひとりでに発生して、その内容も画一的に定まり、相続人が意図的に相続する財産と相続しない財産とを選ぶことは、(限定承認という方法があるほかは)できないものと決められています。

そういう状況で、こういうトラブルが実際に起きたとした場合、最終的には、CとDとのどちらを保護するか、すなわち、究極はどちらに泣いてもらうか…。

つまり、この問題の本質は、実は、法理論的にスパッと割り切れる問題ではなく、究極的には、権利をめぐって対立する当事者間の利益衡量にある-判例は、そう考えているのだと思います。

質問者さまがお感じになる「割り切れなさ」は、そんなところに原因があるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

補足説明をしていただき有難うございました。

「人格の包括承継」という法技法があるということを始めて知りました。これ以上深入りすることは初学者の私のレベルでは無理ですね。
他人の為した理不尽な行為の結果を、誰にも不利益を与えることなくうまく裁ければよいのでしょうが、そうも行かない場合、利益衡量点をみつけて、それに法的根拠を与えるということですね。
確かにそのために割り切れなさを感じるのだと思います。

お礼日時:2009/08/31 17:25

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