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第一次世界大戦の日英同盟から、第二次世界大戦に至るまでについて質問させて下さい。
第一次世界大戦で共に連合国側で勝利を収めた日と英が、第二次世界では敵になったところまでの流れが知りたいです。日英同盟の中で、日本はイギリスからの兵力要請に応え、その活躍に感謝されたと何かで読んだのですが、関係が逆転した原因や背景を教えて下さい。

A 回答 (4件)

補足説明として、



1)英国の国力の減退。
2)アングロサクソンの基準からはみ出した国家主義との対立。
3)両国の中国での利権が対立。
4)中国人の対外不満を日本に集中させるために日本を悪者化。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。4)はとても納得です。アメリカを敵にしたくはなかったということでしょうか??

お礼日時:2009/12/26 08:44

追加の説明。



NHKで坂の上の雲を放映しています。あの時代の
勘違いが日本を第二次世界大戦に陥れました。

日露戦争後の日本は英国と米国に個別に仲が
良かった。第一次世界大戦の状況を見れば一目
了然です。

日露戦争後、ロシアが退いた旧満州での鉄道の
利権で関係が変化しました。

米国は日本と共同で旧満州を利権を獲得したかった
が、日本は錯覚と勘違いを起こし、日本が独り占めを
決断した。これが原因で日米関係を険悪化させた
のは言うまでもない。

つまり、米国の圧力に屈した英国の姿を描くことが
できます。この状況下で第一次世界大戦、世界恐慌
と経過した。

日本が日露戦争の戦勝国である驕りがなければ、
その後の歴史が大きく変化したはずです。この点は
東西冷戦後の米国の姿に似ているのかもしれません。

世界恐慌が発生しなければ、第二次世界大戦も勃発
しなかった。これは私に持論です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2010/01/23 00:16

日英同盟締結の背景には、イギリスがボーア戦争で疲弊したため、ロシアの極東進出に単独で対抗するのはムリになったので、日本をあてがったという事情があります。

これは日露戦争ではよく機能しました。

WW1では日本は日英同盟を理由に参戦、日本は中国進出の足がかりを得ました。しかし、これは同じく中国進出を狙っているアメリカの利害と対立。アメリカは日本外しを画策します。またロシアは革命で国内が混乱し、極東での脅威ではなくなりました。これで日英同盟の意義が薄れ、ワシントン会議で日米英仏の4ヶ国同盟に発展解消しました。例えるなら、日本はイギリスと結婚からグループ交際になったということです。

その後は満州国樹立で日本は国連脱退し、さらに国際的に孤立。
ABCD包囲網にイギリス参加、太平洋戦争で日本が香港・シンガポールを攻撃してイギリスとの戦争に突入といった流れです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。丁寧でとてもわかりやすかったです。イギリスは、アメリカを敵にまわすのは無駄だと、始めから考えていたのでしょうか?

お礼日時:2009/12/26 08:47

第一次大戦において英国は欧州だけでなく、中東においてトルコを相手に戦うなど、広範囲の戦線を維持するのに苦しんでおり、日本に対し日英同盟を理由に積極参戦を求めた。


以後の経緯は参考URLの通りだが、結局は米国の方が英国には大事だったと言う事でしょう。
仮定の話だが、第一次大戦では海軍主体の参戦が行なわれたが、先方の要請に因り陸軍が欧州で戦っていたら、日露戦争当時の強力陸軍の鍍金が剥がれて、その後の中国への侵略はあれ程拡大しなかったかも知れない。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/第一次世界大戦下の日本
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