プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

河内源氏と他の清和源氏の関係は?
河内源氏の源義朝や頼朝と摂津源氏や美濃源氏に甲斐源氏といった他の源氏は主従関係にあるんでしょうか?それとも会社における上司と部下みたいな関係だったんでしょうか?それか単なる協調関係だったんでしょうか?平氏に対してまとまりに欠けているような感じがするので教えてください。

A 回答 (2件)

清和源氏2代:満仲が摂津・多田(現在の兵庫県川西市付近)で勢力持ち、


後に摂津源氏と呼ばれます。
その子孫が河内(大阪府東部)で勢力を持ったのが河内源氏。
ここから源義家~義朝・頼朝へとつながります。清和源氏の系統に河内源氏は入ります。
このほか子孫が各地で分派・自立して武士団を形成し、後年「○○源氏」として呼ばれていきます。

元は同族でも代を重ね、その地域で勢力を固めると、ライバルになったりするのは世の常。
同族がいつまでもまとまるのは希です。

源氏は清和天皇以外に、他の天皇の子孫も源氏を名乗る事もあり、
源氏=必ずしも同族と言うわけではありません。

平氏でも、平清盛の直系縁者はまとまっていましたが、
それ以外の平氏は必ずしもまとまっているわけではありません。
例えば、平将門の乱のような同族争いがいくもありましたよ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

源氏はそれぞれ独立した存在だったということですか。ありがとうございます。

お礼日時:2010/06/19 12:49

平安時代の大きな枠組で言えば、中央政権の権門と個別の権力者に奉仕する受領層・在地領主という構造の中で、受領層・在地領主というのが源氏であり平氏であり、魚名流藤原氏や宇都宮氏です。


個別の受領層・在地領主にとってのライバルは、同じ受領任官を狙っている別の受領層であり、隣接の荘園を持っている別の在地領主です。
なので、将門の乱にしても、その他の源氏の内訌にしても、見た目が一族内の戦いに見えても、彼らの主観的には、同じ利権を求めてのライバル争い。
しょっぱなは源護攻撃からです。源氏を倒すとかではなく、協力者である平真樹を助けて攻めたと言うのが実情。
在地領主の集合離散の戦いです
    • good
    • 0
この回答へのお礼

当人同士に同族意識は無かったということですか。ありがとうございます。

お礼日時:2010/06/21 00:08

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!