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知人の50代女性で、大学に学士入学していた人がいます。その人は、すでに若い時にストレートで難関大学を卒業しており、家事を終えて別の分野の勉強をするために入学していました。勉強好きで、教授からゼミなどでの研究内容が良かったため、「大学院に来ませんか」とスカウトされそのまま修士に進みました。

主婦だった女性が還暦近くなって修士を取っても就職できるわけでもなく本人には何の意味もありませんよね?そんな人を自分からではなくて、教授が修士にスカウトした時は、どんな理由でスカウトしたのでしょうか。

・修士の学生が多いと研究費などが増えたりする?
・ただの自分や学生への刺激のため?(一緒に勉強しておもしろいから)

結局、その人は修士を終えて、博士に進んだのですが、博士に進みたいといったときに教授は渋ったそうです(その意味はわかります。)。では何で中途半端に修士に誘ったんだろうと思いました。若い学生なら修士でもプラスになりますけど、これから就職するでもなく勉強好きな主婦を修士に誘ったら博士まで行きたがるか、修士とったら博士までとらないと本人も中途半端なのは自明だと思ったので。

A 回答 (3件)

この質問内容で、質問者さんが困っているとは思えませんが私の意見です。



まず「スカウト」というのは確かに奇妙なので、直接教授からお聞きになったのでなければ言葉のあやではないでしょうか?

仮にスカウトされたとして、大学院を維持するには毎年在籍生を確保する必要があるそうです。文系などは進学者が皆無である為に、その意味でスカウトしたかもしれません。
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この回答へのお礼

ご回答いただいたようなニュアンス(自分自身が迷惑しているとか、悩んでいるという意味)では「困って」いません。困ってないけど疑問に思えば投稿してよいと思いましたので、質問しました。

それから「スカウト」っていう言葉は、私が「誘われた・勧められた」っていう意味を表すために選んだ言葉で、奇妙でしたらすみません。言葉のあやに感じられたとしたら、原因は教授でなく私です。

確保する必要、なるほど。そうかもしれませんね。

お礼日時:2010/11/05 10:08

>「大学院に来ませんか」とスカウトされそのまま修士に進みました。



少なくともぼく個人は,学生に入院を勧めたりはしません。あくまでも本人の意志によります。もし院でどうにもならなくなって進退窮まっても,むろん本人の責任です。

想像すると本件の場合は,「将来がかかったわけではない老後のお遊びなのでどうなってもいい」と考えられることと,たぶん本人に「卒論であきたらずもっとやりたい」という意志が見え隠れしたため,無責任と善意が交錯した感じで入院を勧めたのでしょう。また,授業料の心配もなかったでしょう。

しかし,博士課程といえばプロフェッショナルを養成する場です。いかに昔の才媛だろうが,50歳をすぎてはどうにもなりません。だから,「マスターまでのお遊びにとどめなさい」ということです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。教授がやりたい内容や選び方などについて相談に熱心に乗ってくれることがあっても、先方から「うちの研究室に入りなさいよ」と言う雰囲気が想像できなかったので、修士ってどんな仕組みなのかなあと思っていました。

回答頂いた、やりたいという意思が見え隠れは、たぶんそうだろうと思いますし、とてもお金持ちの人で当てはまります。ちなみに、その人(祖母なのですが)はドクターを取って社会で活躍しています。自分も参考になりました。

お礼日時:2010/11/05 10:17

教授は助手が欲しかったのではないかと。



教授は自分の興味ある分野を研究し、それを講義で説明するということをして生活費を稼いでいますよね。

例えば古代日本史の研究を教授がしていたとします。
自らフィールドワークし、調査した結果を論文にまとめ、その知識を生徒に学費を取る代わりに売るわけです。

もし調査結果の論文が、他の学者たちの研究と差が無いと、受講を望む生徒が少ないじゃないですか。
とはいっても自分ひとりでは調査に限界があるし、他の文献を読んだり調べたりするにも限界がある。
なにより論文をわかりやすくまとめるにしても、それ相当知った人じゃないと文章が作れない。


そこで助手が必要なわけです。

自分が喋ることを他の研究者が聞いてもわかるように文章にしてくれたり、別の文献をひっぱりだしてきて、こことは違うがどうでしょうか と指摘してくれたりする優秀な助手が欲しい。


助手の方は権威ある人のもとで一緒に研究が続けられるという喜びがある。
お互いもちつもたれつの関係になるわけです。

とろこが、博士となると、自分で今までにない研究をして新しい説を発表したりすることになる。
教授と共同作業をする形になるが、もう教授の支持に従うだけの人じゃあなくなる。

で、50過ぎて今からそれで就職に生きるかというと、学問は一生続くわけです。

知的好奇心は一生続くわけです。

マイクロソフトのチーフプログラマーは、夏休みを1月取って恐竜の化石発掘の旅に出たそうですが、本当に興味があったことはプログラムじゃなく、化石の発掘だったらしく、そのまま帰ってこなかったそうです。

化石の発掘よりプログラマーの方が財産形成に有利だろうと思うかもしれませんが、人生一度きりで興味のあることをやって楽しみたいじゃないですか。

彼女が研究を続け、その知識を分けて欲しいという人が現れたら、カルチャースクールとか文化センターで講演会ができるし、他の研究者から声をかけられ、共同研究が続けられるじゃないですか。
誰かの助手止まりじゃなく、一研究家として、他の研究者と対等に話ができた方がいいですよね。

まあ 助手として働いて縁故を作り、そのうち才能に気づいた人が「本出しませんか?」「うちの大学の客員教授になって講義してくれませんか」ってなっていくと思いますよ。

才能がある人は ほっとかれないんです。
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この回答へのお礼

丁寧なご回答、ありがとうございました。研究室とか教授と院生の関係っていうのはいまいち私にはわかりづらいので、参考になりました。MSのくだりは、私も外国企業にいて同じようなケースをそばで見てきたので、肌で感じています。助手と研究者の違いなど、いまの彼女のあり方がよく理解できましたし、自分の参考にもなりました。ありがとうございました。

お礼日時:2010/11/05 10:27

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