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何をするときも、「感じる」ことができていないのでは、と思い始めました。
色んな「考え」「思考」みたいなものは頭の中を行き来していますが、
いろんなモノに触れたり、場所に行ったり、人と話したりしても、
直感とか、「嬉しい」とか「美味しい」とか、
そういう、「感情」みたいなもの?が鈍いです。
以前はそんなふうには思いませんでしたが、ここ数年を振り返るとそんな気がします。
また、そうなったきっかけも自分なりには何となく分かります。

「感じる」ように心がけてはみるんですが、
「あれ?感じる?感じるってどうやるんだっけ?」という感じです。
感じるというのは今までの私の中では受動的なことだったからです。

感じるにはどうしたらいいんでしょうか。
また、「思考」と「感情」で分けるとすると、
「思考」からの取り組みって可能でしょうか。「思考」と「感情」は全く違うものでしょうか。

よろしくお願いします。

A 回答 (6件)

人間の思考方法は二通り在ります、一つは頭で言葉に置き換えて思考する事です。

もう一つは『頭では思考しないで、言葉以外で思考する事です。

神経症などの原因は全て『頭で、言葉で』思考する癖が付いたためです。頭で思考して言葉で考える事が、最も人間らしい要素ですが、そこに『計らいが』入っています、その計らいが『貴方の場合には』邪魔をしています。

どういう事かと言いますと、貴方には気が付かないかもしれませんが、誰にでも存在するものですが、貴方の中には、何も計らわない者が存在しています。その者も貴方の心の一部分ですが、貴方の心の中で二つに分かれて云い合いになっています。つまり『心が二つになって矛盾を起こしている事』です。

貴方が欲しいと『意識した瞬間に』自然の感情が湧かなくなってしまうと云う意味です。『欲しい』と云う意識が先に在って、欲しいものが来た時には、他のところ(感じたい)と云う意識と二つになっています。

意識性が強い事が神経症です。貴方の心は、感じている部分と『感じたいと云う意識』と二つに分かれてケンカを始めている事を意味しています。

神経症は全て『意識』が人間の欲しいものを遠ざけています。眠る事を欲しがって意識する事が『不眠症』の原因です。

上手く話そうと意識する事が『吃音』の原因です。人に対して完璧を欲しいと意識する事から『対人恐怖』になっています。自身の行動を100パーセント完璧にしようと、意識する事から、『脅迫行為や強迫観念』が生まれています。

分かり難い話をしています、多分分からないだろうと思って書いています。治るための原理のみかいておきます、自分で考えて、又質問下さい。段々と分かる様になる筈ですから。

お釈迦の『欲を去れ』と云う意味が分かる時に貴方は、今の感覚から抜けていると思います。欲を去れと云う意味は、欲を捨てろと云う意味ではないと感じています。

見ようとすると、見えなくなる。と云う意味です。『見ようと意識しないで見る』と云う意味です。他の言い方をするなら『欲しがらないで、手にする』という事です。

もっと言うなら『計らいを捨てて』見る。と云う意味です。

誰の心にも、真実を見ている者が存在しています、その者からの情報で、『貴方の意識は事実を事実として認識しています』ですが貴方の『思考方法が』そのままで見ようとしていない事になっています。

分かり難い話ですが、真実を伝える情報を、貴方の思考が(意識)がその情報を頭の中で、架空のものに作り変えています。言葉を持っている脳としての機能ですが、貴方の好き嫌いがその分別作用によって、事実を隠しています。

この話は分かり難いので、もうやめて、如何すれば良くなるのかを書いてみます。欲しがる事を止める事です、欲しがる心を捨てる事です。言い方を替えるなら『もう治らないと覚悟してください』その覚後が出来た時には、貴方の嫌がっている症状らしきものはなくなっています。

ですが今言った事を一朝一夕に出来ないと思いますので、『もう治らないと思って』言葉のない世界で遊ぶ事を心掛けて下さい。身体中に意識を向ける事です。歩く時は『靴の底が平らに減る歩き方に意識を向ける事です。』前を向いて何かをしている時には『後ろの気配を感じながらです』

自分の意識を四方八方に気を配ってゆくという事です。自分が症状と思っている事は『二度と口にしない』不問と言う事がカギになります。

症状らしきものを治そうとしなくなった時が、『欲しがらなくなった事』を意味しています。自分の意識が他のものに向かう生活です。意識が症状らしきものを忘れる頻度が増えるはずです。症状らしきものを忘れた時(意識しなくなる、或は問題にしなくなる時)とは、計らいで『症状らしいもの』を作ろうとしなくなる時の事です。

湧きあがる雑念を湧きあがるままに出来た時です。言い方を替えるなら、湧きあがる自分の感情に一喜一憂しなくなった時です。
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この回答へのお礼

「計らう者」と「計らわい者」がいるということ。
そして、「計らわない者、真実を見ている者」の存在を認識できていないということ。
そいつは無意識の世界にいるから。

だから意識せず生きればよい。
実は、これができていると感じている面もありました。
「流れるままに生きる、やりたいことなんて無くてもいい」
そう思いながら生きていました。
しかしそこで間違っていたのかなという点は、
自分の右脳(=身体=無意識=潜在意識=計らわない者=真実を見ている者)
にもフタをしていたことです。

善悪や好き嫌いを抜きにして、身体で色々感じること。
「感じる」というのは、「感じよう」とするものではなく、
すでに「本当の自分」(=右脳=身体=無意識=潜在意識=計らわない者=真実を見ている者)
は感じているから心配しなくていい。
今ある自分はそれに気付いてないだけ。
だから、「意識しなくていいんだよ」。
自分を大切にする、自分を信じるとはそういうことなのかなと思いました。

何となく進むべき方向が見えた気がします。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/02/02 14:55

貪欲になる。


もっと期待したり夢を持つ。
見返りを期待して交流相手をしっかり選んだり
約束を交わしたり、計画したり。

そうすれば、不安や達成感も危機感ももありーので
野生の感覚が掴めてくるかもです。
やってみれば導けそうだと感じるんですよ。←思考が苦手なので。

でも自由な感覚は自明なことで、執着さえないかも。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

なんでしょう、貪欲になるってのも感情の一種ですよね。
結局「核(自分の感情)」がないままスタートしても、「あれ?」っとなってしまい、
「なんでこれのせいで不安とか持たないといけねぇんだよ俺」となることが多いです。
湧いてくる自分の意志じゃないとだめなのかなと。
結局、湧いてこなくても「続ければ道開く」と信じてやるしかないのかなとも思いますが、
もう疲れたので他になんかないかと思っています。

とりあえず、考えすぎないをテーマにしてみようと思います。

お礼日時:2011/01/22 19:13

一番簡単で重要なことは何故感動が少なくなったか、あなた自身が知っていてその話しを避けていることです。



それを避けずに真正面から受け止め、何とかしようとするれば感動はまたよみがえるでしょう。

それをするのにはこころが・・・というのならカウンセラーに相談しましょう。カウンセリングを受ければ道が開けます。

今のまま小手先の治療ではごまかしです。わかるものにはわかるのです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

話を避けているつもりはないので、その自分なりのきっかけを書きますと、大きく二つあります。
1.学生時代に留年しそうだったので人の目を気にせず学校に通った。
2.無職の時期に家賃が払えなくなったので人の目を気にせず働いた。
どちらも自分では、「人の目を気にしなくなった、進歩した」と思っていたのですが、
感情を抑えて麻痺させることで生き延びた、と同時に感動したりすることも減ったのでは、
と思うようになりました。
そのように、本に書いていて自分でも「そうかも」と感じたことです。

ですので、
>あなた自身が知っていて
知っているという確信ではありませんが、何となく感じるというところです。

それを踏まえて、
>それを避けずに真正面から受け止め、何とかしようとすれば
この場合の「何とかする」というのは、
感情を抑えるのではなく、まさに「自分を受け入れる」ということでしょうか。
なかなかこれができずに苦労しておるんですが・・・。
もしアドバイスがあればぜひお願いいたします。

お礼日時:2011/01/22 15:34

ANo.2 からの補足です。



セロトニンが不足すると直感的な行動だけになる様に感じ取ったようですが、はじめに受け取る反応は、「好き」か「嫌い」であり、直感的な行動は、理性的な判断も入りますので、別の所を通る必要が有ります。
前回の回答では「バランスよい行動が実ぶりますので…」とありましたが、書き違いで「バランスよい行動が鈍りますので…」と書くべきでした。

あなたに触れて欲しいものは、芸術作品だけでなく、感動や感激することの多いものを指しました。
それも無理でしたら、顔の表情で示せる感情でしたら、顔の筋肉の動きが鈍くなってなら、自分の手で顔をその様に動かすことも必要です。
笑い声が出てこない様になったのなら、大きな声で笑い声を出すことを繰り返すことで、自然な笑い声が出せる様になります。セロトニン不足の場合の運動のひとつです。

>直感とか、「嬉しい」とか「美味しい」とか、そういう、「感情」みたいなもの?が鈍いです。

ここのことが表情に出せないのでしたら、鏡を見ながら、顔の表情を作ったり、「わー、嬉しい!」とか大袈裟な反応を示す練習をすれば、忘れていた行為を思い出すと思います。
何が面白いか、何が楽しいかは人それぞれですので、人と同じ反応で無いことは、あなたの精神的な成長なのでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
参考になりました。

トレーニングと思ってやってみます。

お礼日時:2011/01/22 08:45

人の行動は次のような順番で決定されるのが普通です。


外部からの刺激があって、それがあなたに気分良いものか、気分悪いものかを直感的に判断されます。そして、どの様な反応を取るべきかは「理性的」に判断された後、また「感情」でベストな行動を選んでいます。理性的判断と感情的判断は脳の別な場所で行われます。
脳内物質のセロトニンが少なくなると、バランスよい行動が実ぶりますので、「理性的」判断が省かれ、直感的な行動だけを選ぶ様に成ります。
両者のバランスを良くするには、芸術作新などを良く干渉するようにして、感動や感激の頻度を増やすようにすると良いと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

セロトニンが少なくなると、直感的な行動だけをするようになるのですか?
今の私は考えることばかりしてしまうので、セロトニンが多いという状況なのでしょうか。

芸術に触れても感動や感激しないのです。
どうしたらいいのでしょう。

お礼日時:2011/01/22 04:01

感じる・・



難しい様で、簡単。

簡単そうで難しい。


>>「あれ?感じる?感じるってどうやるんだっけ?」という感じです。

そもそもが、ここが勘違い。
「感じるって・・」と言う思考が邪魔をしています。
感じるのは思考ではないのです。

何より、人はすでに感じています。
感じてはいるが、思考優先の生き方をしているので、その思考が感じる事を邪魔しているのです。

つまり、感じてはいるが、その感じていることを認識するには「思考を静める」ことが最優先。
重要なのです。

が、この思考を静める事がとっても難しい。
特に、頭の良い人は尚更。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>何より、人はすでに感じています。

というところに、何となくホッとしました。思考を静めるということ、難しいですね。
おそらく瞑想みたいなものかと思いますが、一度やった経験からすると
すごく難しいです。でも、チャレンジしてみます。

ありがとうございました。

お礼日時:2011/01/22 03:58

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