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 地頭の良し悪しというものはやはり存在するのでしょうか。そう思えてならない時が数多くあります。

 県でもトップクラスの進学校に通う高校生ですが、周りには色んな人がいます。授業中寝ていて課題も出さないのに、テストになると満点を連発する人。

 方や、かなりの勤勉家であるのにもかかわらず、テストで思うような結果を残せず、成績は低迷している人。

 しかしこういったことを言うと、「みんな陰で努力してる」「できないのはやらないからだ」などと、”先天的な頭の良し悪し”に目を瞑る意見が多いように思われます。

 なぜなのでしょうか。

 私個人としては、「そりゃ生まれつきの能力の差はあるよ。でもがんばっていこうよ」と、地頭の差が存在することを認め、向上心を上げるように諭す方が説得力が断然あると思うのですが。(あまりにも地頭の差がはっきりとしてるのを日々の生活で目の当たりにしてるので、差なんてない!と否定されると憤りさえ覚えます)

 拙い考えかもしれませんが、ご助言ください。

A 回答 (5件)

僕も進学校出身ですが、あると思いますよ。


僕は特に努力もせずに、小学校の時はオール5だった。で、進学校行ったら普通にケツの方。
まあ、焦りましたね。よくあるケースだけど。
で、ほんとにほとんど勉強せずに東大に行った奴とか、帝大医学部にすんなり入った奴とかいました。
感覚的に優れてると言うか。中高生の時はうらやましかったし、ショックでもありましたね。


ああいうのは、サッカーで言うところのメッシみたいな感じですね。
エンジン自体の性能がてんで違うんです。
でもそういう秀才くんたちも、やはりそれなりに勉強してるんですよ。効率はいいとしてもノー勉なわけじゃない。努力はしてますよやっぱり。
あと大学後のことを見聞きしたら、どっかしらで挫折してます。
すごい秀才でまさかので落っこちて浪人したり、あと勉強関係ないですが失恋で半年ぐらい引きこもっちゃった秀才君いますね。
これマジな話ですけど、理2や京理では毎年誰かしら自殺してるらしいです・・・どんなに賢くても死んだら意味ないですよね・・・


でもね、そもそも選択すりゃ済む話だと思うんですよ。親が数学者で「お前は東大の数学科じゃなきゃダメなんだ」とかならきついと思いますよ実際。
でも世の中には100以上も職業があって、自由に選べるわけでしょう。
浪人もできるし、そこそこ勉強すればそこそこの大学に入れるわけです、誰でも。別に大学に行かずとも、俳優になってもいいし、職人でもいいし、起業してもいい。
だからそういう選択ミスさえしなきゃいいだけであって、選択ミスをしたのなら自己責任ですよやっぱり。
「高校生に選択の自由などない」と言ったところで、そんなことなくて、
僕は「英語も数学も国語も音楽も体育もダメなんだ」てのはウソだと思うんですよね。それって怠けてるだけじゃないですか。もちろん、1人ぐらいは寝てても何でもできるデキ杉くんみたいなんがいて、うらやましいでしょうけど、その子が異常なんであって、憧れたり真似したりすること自体がおかしいんですよね。

僕もそういう感覚ありましたよ。でも大学の頃に秀才だった友人に「お前がうらやましかった」と言われて、考えを変えました。
彼からすれば僕は女の子にモテてスポーツが得意で、勉強ずっとしなかった癖に最後ちょこっとやっただけで第一志望に受かった要領の良い奴(と言う風に見えたらしい。現実は全然違うんだが)で、自分なんて女の子にもモテないし、スポーツもダメだし、勉強も頑張ってるのにそこそこしか出来なくて何の取り得も無いと思ってた、と。
「あいつは俺よりも劣ってる」みたいなんも含めて、意味無いと思いますよ。


あと君のような考えを突き詰めると、優生学とか、ギフテッド思想になってくんですけど、まあちょっと偏りがあると言うか怪しいんですよね。倫理的な問題もあるし。
IQと学歴が非相関であることも証明されてるし、あと進化的な面で言えば、「弱いからこそ弱い部分が強くなる」わけで、「努力が重要だと体内に信じ込ませる作業」自体に意味があるんですよね。つまり「賢いならもっとやれよ」「アホなんだからもっとやれよ」と言う教師の叱咤激励は正しいと言うことですね。
人間の成長は内部から得られるか、外部から得られるかは意見が分かれてるけれども、赤ちゃんにご飯だけ与えていれば肉体や精神が勝手に成長するわけではないことは明白です。


※ちょっとズレましたが、僕が思うのはそれを認めることでそいつがダメになるのが怖いからじゃないですかね。僕はバイトやらで低学歴の高校生、大学生と出会いましたがほぼ100%、そういう才能主義者でした。
でも僕から客観的に見れば、単に努力してないし怠惰な言い訳ばかりのダメな子でした。
「才能がないからやってもむだ」「才能があるからあんまりやらなくてもいい」
才能の価値を認めると(特に10代のあほな時期では)こういう間違った、そして楽な方に流れ易い。
そういう危険を削ぐために平等主義にしてるのでは?ストレッチがきつい人もいますが、いいと思いますよ。僕も「お前はそれでいいんだ」って言われたらラクしてたと思うし。誰でもちょっとキツイぐらいでちょうどいいと思う。
彼らは差異を認められてきたんでしょうけど、だからこそ自分より下とみた相手には差別的ですらありましたね。怖いのはそんな考えでも100%信じちゃってるってこと。親のせい、学歴のせい、住んでる町のせい、ともかく何かしらのせいなんですよ。で、そういう部分はあるとしても認めちゃうともう一気にそれのせいになる。だから妄信であれ、間違いであれ、教師が「やればできる」と言うのは必要なことだと思いますよ。
君がきちょんと差のある価値を認めて努力できるんならそれでいいとも思います。
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まず,「勉強する」という低次元で考えます。

新たなものを見聞したときに,それを自分の言葉でおきかえ(自分なりに理解し),自分の脳味噌のどこか該当する場所に格納しておく訓練をしている人はいます。いっぽう,見聞したありのままのかたちで,無秩序な脳味噌の中に押し込めようと試みて失敗し,けっきょく身に付かない人もいます。幼少時からの訓練によるかもしれませんね。

次に,大学の卒論レベル以上の「独創性」という高次元で。まず膨大な知識をためこんでいることが必要です。その中から湯気のように新規なアイデアを得る人もいます。勉強家で終わる人もたくさんいます。前者には,一種の「狂気」や「闘争心」のバックアップが必要かもしれませんね。
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持って生まれたものの差には、先天的なものと、育つ環境によるものがあります。


ご質問の例は、明らかに後者です。だから、周りの人はあなたに否定的な話をするのかもしれませんね。
環境は、努力を凌駕すると思いますから。
今の課程で、高校後半までは、才能差が浮き出るようなシーンはほとんどないと思います。

意外とあなた自身も才能はあるけど、環境で潰されている状態なのかもしれませんよ。
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こんにちは。

おっさんです。

菅首相が参議院選挙の期間中に、街頭演説で、消費税増税の方針を正直に話しました。
今回、与謝野大臣が入閣を受諾したのは、それに意気を感じたからだそうです。
私も菅首相の発言は偉いと思いました。
政策を実現するにしても、自民党がバブルのときにさえ増やした大きな借金を減らすためにも、消費税増税は不可避です。
しかし、選挙の結果は民主党の大敗でした。
その一方、「増税する前にやることがあるだろう」という、ずるいキャッチコピーを掲げたみんなの党は大躍進しました。

そこで、私が何を言いたいかというと、
誰かが正直で立派な発言をしたとき、あなたのような理解力のある人であれば、理解できます。
ところが、大多数の人は理解できないんです。

仮に、学校の先生が「素質の差だからしょうがない」と言ってしまったとしましょう。
あなたは理解できますが、大多数の人が理解できず、一部の人は猛反発することは目に見えています。
「教育者たる者が、そんなことを言って許されると思ってるのか」と。
校長先生や教頭先生に苦情が行って、その先生がお叱りを受ける事態になるかもしれません。
あまり正直に言わずに、ほどほどの表現でお茶を濁すのが、大人のずるい渡世術です。
「嘘も方便」に近い考え方でもあります。

以上、参考になれば。
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なぜなのでしょうね。


「自分は周囲と同じはずだ」と思って安心したいからでしょうかね。

あなたの観察のとおり、地頭の良し悪しは確実に存在します。

高校生時代、特に勉強もしなくて放課後ゲームばかりやっていても
東大・京大にすらりと現役合格する人もいれば、1浪・2浪しても
合格できない人もいることからも明らかです。

私がこれまで会ってきた人達のことを思い返してみると、地頭の良い人は、
学歴に関係なく、記憶力と問題解決能力が非常に優れているように思います。
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