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江戸時代以前、もしくは明治でも

うんこをした時、紙がない時代はどうしてたんですか?

すみません、汚い話で。

さっきトイレに入った時、ふと疑問に思ったので。

知ってる方、宜しくお願いします。

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A 回答 (4件)

まず基本知識として、浅草紙、というものがありました。

紙くず拾い(商売として成り立っていました)が拾ってきた反故紙(ほごがみ=もう使用に耐えられなくなった紙)をすきかえして(つまりリサイクル、ですね)作っていました(初期は浅草で作られた、と言われていますが、多分それよりも以前からあった筈です)。
江戸・明治ではそれを落とし紙(トイレットペーパー)として使っていました。
それが普及していない時代は、まさに2の方のおっしゃる通りです。

紙がない場合は、最悪ふんどしとか腰巻きで拭いちゃえば良い。落語でもありますが、誰か来るのを待つ、という手もあります。それだけトイレが開放的であったという事です。
新潮選書に「江戸のおトイレ」渡辺信一郎著(2002年)
があります。とても面白いので、是非ご一読を。
また、糞便のリサイクルもされていました。
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この回答へのお礼

そんな紙があったんですね。

ふんどしとかで拭いてたりしてたのもビックリのような、納得できるような・・・

お薦めの本も面白そうですね、古本屋で探してみます。

また、糞便のリサイクルについては
以前も質問して、大変勉強になりました。

ありがとうございました。

お礼日時:2011/11/20 10:45

こんにちは。


私は、自称「歴史作家」です。

>>うんこをした時、紙がない時代はどうしてたんですか?

どなたかが言っておられるように「浅草紙」という再生紙が既に普及していました。

江戸時代になると、役所や商家などでの書き損じの紙が多量に排出されましたので、くず拾い屋は、そうした役所や商家の紙を「タダ」で貰いうけたり篭を背負って街中を歩き、瓦版などで散らばった紙を集めて回り、再生紙として「浅草紙」と銘打って販売していました。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

「くず拾い屋」ですか。

今も、と言うか特に最近増えてますよね
軽トラで、「無料にて引き取ります」と言って回っている業者。

江戸時代からあったんですね。

また、他の方の回答で
手で拭くとありましたが、

今の食事は、肉や間食のお菓子などが多いですが

たまにすごく質素に、野菜だけとかを続けていると

トイレットペーパーがいらないほどの
ツルン(?)とすっきり出るようになります。

江戸時代の食生活が何かはさっぱり知りませんが
庶民は、たぶんかなり質素な食事だったと思うので
紙もいらないぐらいのうんこだったのかなと・・・

それに肉とか変な物(?)を食べてないので
臭い的にも、あまり臭くなかったりして。
だから、ふんどしで拭いてもちょっと付いて
さらにさほど臭いもしないと言う事だったのかなと。

お礼日時:2011/11/20 11:03

縄でお尻を拭く方法がありました。



田舎では、拭かないでそのまま。

水で洗う、等。

手で拭いて、その手を洗う、て方法も
在りました。

ま、縄が一般的ですかね。
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この回答へのお礼

縄ですか。

そうですよね、紙何て貴重でもったいないような気がしますし。

手もあったんですね。

ありがとうございました。

お礼日時:2011/11/20 10:35

紙があるのに紙を切らした場合と言う事ですか?


江戸時代以前にもお尻を拭く紙は存在していますよ。
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この回答へのお礼

え!そうなんですか・・・

紙があったんですか。

子供の頃田舎に行った時に、まだ新聞紙で拭いてたので
さらに昔は紙は貴重で使わなかったのでないかと
勝手に思っての質問でした。

お礼日時:2011/11/19 01:09

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Q江戸時代の長屋の便所と公衆衛生について

最近時代劇の庶民の長屋をみて思ったのですが、大小便はどのように処理していたのでしょうか。そして便所は家のどこにあるのでしょうか。また着物をきていた状態で男女はどんな下着をはいていて、大小便をするとき脱いでいたのでしょうか。また当時、食べ物の残りの骨など、どのように処理していたのでしょうか。よろしくご回答お願いします。

Aベストアンサー

大小便(汚わい)の処理においては、江戸が世界でも一番発達していたと言われています。
長屋の共同(公衆)便所、武家屋敷の、旅籠の、遊郭の、商店の便所、これらをどのように処理するかは、考えてみれば大問題です。
この汚わいの処理こそ、その国の文化度のバロメーターといえるのではないでしょうか。

江戸は、町の多さから八百八町といわれていますが、もう一つの特徴はその町を縦横無尽に川が流れていたということです。
もちろん川は今の高速道路のようなもの、てくてく歩くより舟に乗る方が時間の短縮にもなり、また、廻船問屋などが海を回って遠くの農産物や海産物を河口の港に着けた荷物を、小さな船に積み替えて町の中心まで運ぶ幹線道路のようなものだったのです。
そして、川のもう一つの重要な役割が、各家家、各施設などから出る「汚わい」を「汚わい舟」で運び、畑の肥料を必要とする、近郷近在のお百姓さんに売りさばいたのです。

近世のフランスなどは、このような処理方法が確立していなかったので、二階の窓からも大声と共に汚わいが降り注ぐ有様で、町中が不潔で悪臭に塗れていた時代が長かったらしいです。

日本の汚わい処理は、水路の発達によって家家から農地へと、見事なまでのリサイクル処理が、既に江戸時代に完成していたということですね。

大小便(汚わい)の処理においては、江戸が世界でも一番発達していたと言われています。
長屋の共同(公衆)便所、武家屋敷の、旅籠の、遊郭の、商店の便所、これらをどのように処理するかは、考えてみれば大問題です。
この汚わいの処理こそ、その国の文化度のバロメーターといえるのではないでしょうか。

江戸は、町の多さから八百八町といわれていますが、もう一つの特徴はその町を縦横無尽に川が流れていたということです。
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