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自分へのご褒美は  最近できた言葉ですが、10年以上前ならどんな良い回しが言われていたのでしょうか?

A 回答 (4件)

回答にならない回答ですが。

。。
「自分へのご褒美」に対応する言葉は、昔は無かったのではないのでしょうか。

昔の日本人は、今より、謙虚でシャイな人が多かったように思いますので、自分の業績が良かったと思えば、自信を持つという事はあっても、自分自身に褒美を上げよう等と考える人はいなかったのでは。。。??
子供の頃、スポーツをやっていましたが、試合に勝っても「勝って兜の緒を締めよ。」と指導者や先輩から戒められていました。

自分への評価は、自分以外の第三者が行うものと言うのが常識だったのではないかと思います。
ですから、昔の人は、自分で自分にご褒美をあげるというような発想は無かったように思います。

また、マラソンの選手がオリンピックで入賞した時に、歌手の詩からの引用のようですが「自分で自分をほめたいと思います」と言うのを聞いて違和感を覚えましたが、この頃から、「自分へのご褒美」と言うような考え方が出て来たのではないのかと思いますが、如何でしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。とても参考になりました

お礼日時:2012/07/02 13:29

「自分へのご褒美」という言葉が使われているとは聞いていますが、どんな使い方をすることが多いのかが、わかりません。


 
自分個人への褒美として、休暇を取る行為とか、何かを自分で購入する行為、あるいは自分で購入したもの、自分への褒美として自分で自腹でする飲食などを指すのであれば、それらを抽象化した概念用語はなかったのではないかと思います。
行為としては、江戸時代の町民でも、物見遊山に出かける、遊郭や夜鷹、芝居見物、寺社参り、小間物屋で根占を買う、筆をあつらえる、着物を一枚、下駄を買う、髪結い、仕事の帰りに一杯やる、風呂に行く、夕餉に一品増やす、尾頭付き求める、1合余分につけるなどのことはしたでしょう。 また一段落したあとは、朝寝朝酒朝湯などを楽しんだかもしれません。
 
しかし、そうした行為や購入するもの、消費するものを「一つの言葉で表し」、「その言葉を他人と共有する」というようなことはしなかったと思います。 行為などを表す言葉はあるはずですが、もともと個人的行為ですから、それらを一般化した抽象概念化した用語を用いる必要性も、他人と一つ言葉でコミニュケーションを交わす必要もなかったと思います。
Aさんがそうした行為に耽っているときに、その耽っている状態を表現する言葉としては「悦に入る」というものがありましたが、「悦に入る」は状態を示す動詞であって、ものや行為を指す名詞のような使い方は出来ないと思います。(褒美は名詞です)
 
褒めるは、上の者が下の者に対して行う行為には使えますが、同位や上位には使えない言葉です。自画自賛は、画も賛も自筆という意味で、作詞作曲が自分だ、自作自演だというのと同じです。自画自賛を自慢、自惚れ、夜郎自大のような意味合いで使ったとしても、それらは、悦に入るとか、自分への褒美とは、大分、視点も意味も違うようです。
 
江戸まで戻らず、昭和の終わりでも、「自分へのご褒美」に類する意味をもつ言葉はなかったのではないかと想像します。
「自分へのご褒美」という言葉は、ナルシスティックな感覚を色濃く持っているように思います。「単に、自分への褒美として、休暇を取る行為とか、何かを自分で購入する行為、あるいは自分で購入したもの、自分への褒美として自分で自腹でする飲食などを指すのではない」、「自分を褒めたい、いたわりたい、慈しみたい、この“自分自分自身に向かった思い”こそがポイント」なのではないかと想像します。 他人から褒められ認めらないから代償として自分で褒めているということもあるのでしょうが、「自分自身の中で完結した世界の中で自分を褒めているのが一番好き・そのために自分へのご褒美でケーキを食べ、アクセサリを買い眺める・この甘美な時間」ということがあるのではないかと想像します。
 
そのようなナルシスティックな気分を表現する言葉が一般に流通するには、ナルシストでいられる人数が多くいられる孤立型&余裕生活型社会に近いこと、そうした気分を公言しても周囲からバッシングされる危険が少ない社会であること、マスコミやマイナー続者本、インターネットなどでマイナーかもしれない人でも情報発信したり、同好の気分を共有出来る人を容易に発見出来る社会であることなどの社会的条件が必要と思います。
明治の初頭や昭和の敗戦直後にも社会が流動化したときに、それまではなかったマイナーなものが急速に一部の関心を高め一つの文化になったことがありますが、最近20年ほどは経済の行き詰まり、社会の変質が急速ですから、こうしたマイナーな思考や行動もそれなりに賛同者を多く集め、一つの文化になるのではないかと思います。
 
という、長い御託を並べるた結論は、「自分へのご褒美」にあたる言葉は、昔はなかっただろうということです。

 
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この回答へのお礼

ありがとうございます。とても参考になりました

お礼日時:2012/07/02 13:30

>自分へのご褒美.......


好く考えてみますと、自分に対し「ご」を付けるのも何か妙な気もしますが、でも判らなくも在りません、今は堂々と認知され切ってますよね.......

じゃぁ、昔は.............
「自分への贈り物」、「自分への労(ねぎら)い、犒(ねぎら)い」 といった辺りでしょうか?

外に思い出しましたら、続けます。
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当時、超有名企業の入社試験に合格し、



入社記念の万年筆を大枚を叩いて購入。
(月給の2.5か月分)

大学受験の合格記念で、背広を新調。

私は、私の周囲も「記念」を使います。
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