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元々人見知りで大人しく目立ちませんが

愛想笑いが得意で仕事中はいつもニコニコしていました。

元の性格もありますが、二年前の介護職の途中で

うつ病と境界性パーソナリティー障害を発病しました。

それ以来上手く笑えなくなりました。

最近、また人と関わる仕事についたのですが

上手くわらえません。

一度病んでしまうと、もう元の性格には戻らないのでしょうか?

最近の病状は抑うつもなく落ち着いて普通に生活しています。

寛解にかなり近いと思いますが、テンションがもう上がりません。

どうしたら上手く愛想笑いができるようになりますか?

助けてください。

A 回答 (4件)

No.3です。

お礼をありがとうございました。

「笑顔で対応を」というのが社風なのですね。
今や、日本社会では笑顔は接客業の常なんでしょうね…。

私も昔は接客業についていたことがありますが、それほど笑顔は求められませんでした。
業種によるのだと思いますが、笑顔よりも丁寧な説明や臨機応変さが求められていたように思います。
私にはない経験ですが、何時も笑顔でいるのは大変ですね。

笑顔とまでは行かなくとも、柔らかな表情と穏やかな応対を心掛けることは出来そうですか?
表情が上手く行かないのなら、声の調子や仕草、挨拶やお辞儀を丁寧にするという地道なところから見直すのが良いのではないでしょうか。

笑顔を取り戻すには心が元気になること、焦らないことが先決なんだと思います。
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臆測で申し訳ないですが、過去に愛想笑いが上手になってしまっていたのは、人の話を聴くばかりで自身の悩みを人に打ち明けることが滅多になかったとか、忙し過ぎて笑顔で誤魔化すのが癖になってしまっていたということなのでは…。



愛想笑いとは作り笑いのこと。
上手く愛想笑いが出来なくなったのは、自分のことも他人のことも欺くことが出来なくなったからではないですか。
愛想笑いが出来なくなったこと、それはごく自然なことだと思います。

言葉がきつくて申し訳ないですが、愛想笑いとは所詮、処世術。
相手が怒らないように、(そして、自身から)怒りの感情が噴き出さないように、円満に事が過ぎるように、これ以上面倒なことにならないようにと、自分の感情を押し殺し続けることの不毛さ、“愛想笑いの無力さ”を思い知ったから、笑えなくなったのではないでしょうか。――愛想笑いが出来なくなったのは学習した結果であり、決して後退ではないと思いますよ。

笑顔で言葉を飲み込んで、笑顔で感情を押し殺して、その下では“もう一人の自分” (“自我”とも“本能”とも言えます) が、もがき苦しんでいた。
我が儘だ、未熟だと、ご質問者が叱りつけ押さえ付けるようとしてしまった“もう一人の自分”。
“どちらもあなた”なのに、ご質問者は“もう一人の自分”の声を感情を、封じ込めようと思い詰めてしまったのではないでしょうか。
どちらも調和していて本当のあなたなのに、もう片方のあなたを封じ込めてしまったから、「愛想笑いの上手なあなたも封じ込められてしまった」。
そういうことだと思います。

自由に、自らの感情のままに、奔放に生きたい気持ち。
我が儘で未熟な自分を押さえ、周囲に溶け込んで社会貢献して行きたい気持ち。
誰もが二つの心、もう一人の自分を持っていると思います。
でも、自由な心を奔放な自分を無理に押さえ込み続けると、人は意欲を失ってしまう。
そして、今までどうやってバランスを取っていたのか解らなくなってしまう。

今は随分と気持ちが落ち着いたとは言え、バランスを保っていた頃の感覚がまだ戻らない…というのは、本能的に愛想笑いを続けることの危険性を悟ってしまったからでは。
押さえ付けられた自我の中にいるあなたが、無理に笑うことを拒否しているのではないでしょうか。

そもそも、本当の笑顔とはどういうときに生まれるものでしょう。
どういうときに向けて欲しいと人は感じるものなのでしょう。
極端な例になりますが、心から嘆き悲しんでいる人が、苦しい胸の内を語るとき、聞き手に愛想笑いは必要でしょうか?
生活していく上で必要な物が壊れて困っている人に愛想笑いは必要でしょうか?

話を聴いてあげること、共感すること、どういう助けなら出来るのか考え行動に移すこと、それが出来ていれば愛想笑いも微笑みも要らないのではないでしょうか。
ただ相手の目を見て頷いたり、手を差し伸べたり、傍らにいたり…。
寄り添おうという心の表現は、笑顔以外にも幾らでもあると思います。
何時も微笑んでその場を和やかに出来たら良いけれど、心を鬼にして苦言を呈さなければならないときはありますし、痛いはずの言葉が心に響くときもあります。
泣いた後に生まれる笑顔もあります。

笑顔だけが優しさではないと思います。
繰り返しになってしまいますが、愛想笑いはオールマイティーに全てを円満解決に向かわせる魔法ではないから、そのことを知ってしまったから、ご質問者は笑えなくなったのではないでしょうか。

笑いたくないときは無理に笑おうとしなくて良いと思います。
誠意を伝える方法は笑顔だけではないし、心からの笑顔に勝るものはないです。
心からの笑顔は作ろうとしても出来るものではなく、きっと授かるものなんです。
ありがとうという気持ち、嬉しいという気持ち、力がみなぎる感覚、それは人から授けられるものだと思うし、ご質問者が気負いなく「ありがとう、嬉しい、元気になってね」そんな気持ちが自然と湧き上がって誰かに届けたくなったなら、笑顔は自然と蘇るし、別の誰かの笑顔となって、巡り巡ってご質問者の下へ還ってくるんだと思います。
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この回答へのお礼

私なんかのために長文ありがとうございました。

しかし、やっぱり接客業なので笑顔で対応しなければ仕事になりません。

どうしても愛想笑いが必要なんです。

お礼日時:2013/09/26 12:30

それは仕事のせいですか、、、もともと、あなたが持っていた、、、内包していた、病ではないですか?



介護の何をしていましたか、、、。職場で、人間関係、、、それは、嫌だと思います。

仕事上の判断も辛いです。私はケアマネをしていますが、、職員の事故こ報告書の山を整理する仕事をしていることも多いです。

でも、、利用者の顔見たら、癒されませんか、、、お年寄りとちゃんと話をしたことありますか、、、。

笑うのは、嫌な、同僚や、上役のためではありません。

利用者へ向けるべきだと思います。私は言葉は得意ではありません。

でも、施設の中を回り、、利用者とアイコンタクト、、、。自分の無邪気な顔を見せれば、、、高齢者は、察してくれることが多いです、意味わかるかな、、、。でも、職員からは、、いつも笑っている、変なケアマネ、、と言われています、、。
私から言わせれば、、お前ら、馬鹿野郎の相手をしてるわけじゃないんだよ、、、。私の仕事の相手は、利用者何だと、、、。
いつも思っていますよ。仕事、こうしのけじめを付ける、、必要があるのでは、、、。

同僚なんて、まともな正常人は少ないと思いますよ。正常な人は怖いです、、、。心の優しい、、、異常の意味のわかる方は貴重なんです。わかるかな、、、。
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この回答へのお礼

仰っていることは正論です。
しかし、それが出来なくなって困っています。
わたしも今まであなたのように笑えていました。

お礼日時:2013/09/26 12:21

同じ悩みを持っています。


最近、笑わないせいで表情までキツくなってきた感じがして鏡を見たくなくなりました。
私の場合、取り敢えず、普段いったことがないエステとスパに予約を入れて何とか表情筋をリフレッシュさせようかと思っています。
あと運転中に意味もなく笑顔でいるとか。
私たちにはリハビリが必要です。
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この回答へのお礼

よくお気持ちわかります。
私も鏡見てニコッと笑う練習しています。
とりあえず、口角はあげるように努力していますが、
目が昔のように笑えません。
困りましたね…
お互い自然な笑顔ができるようになるといいですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2013/09/26 12:18

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