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「天文学的な馬鹿」という表現を聞いたことがありますか?これは 一般的なものなのでしょうか?
某掲示板でこの表現をやたらと使う人がいるのです。私には誤用に思えるのですが、皆さんはどう思われますか?
「天文学的な数字」や「天文学的な確率」なら聞いたことがあるのですが…。
沢山のご回答お待ちしております。

A 回答 (5件)

一般的な用法ではないと思います。


「天文学的」というのは可算的なものに対する形容詞であり、馬鹿や阿呆といった
不可算的なものを形容するものではないからです。
そもそも天文学的というのは恒星間の距離があまりにも遠く、kmで表すと
非常に大きな値となることから、桁外れに大きな数値という意味で使われています。
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冗談みたいな表現なので、正しいとか正しくないとかで判断するようなものではないと思います。

「冗談っぽい表現ですよ」って前提があれば、ある程度は「気の利いたジョーク・ユーモア」として成り立つものだと思います。言語を全て「一般的な表現」だけで済まさないとならないのだとしたら、作家や詩人なんて成り立ちませんし。
公式な表現が必要とされる場ならともかく、日常会話ならそんなもの。実際のところ、「天文学的な馬鹿」と聞いて「全く意味が想像出来ない」なんて人はあまりいないのではないでしょうか。

「運動音痴」なんて表現がありますが、理屈で考えるとこれは明らかにおかしいのでしょうが、実際は一般化していますよね。
もっと言うなら、例えば「小心」・・・心が小さい?どういうこと?心は形が無いから大きいとか小さいとか無いはずなのに・・・だと思いますが、でもそこからなんとなく意図は伝わりますし、一般化していますよね。そういった「一般表現」は日常に溢れています。
とどのつまり、それらと同じではないでしょうか。一般化してるか、ユーモアレベルの表現か・・の違いだけ。
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それはふざけた表現ごっこ。



スペックとか言うやつ気になります。真剣な文脈で使われていますからね。

一番はあれでしょ。次元。
二次元しか興味ない。写真は三次元だからダメ。

レトリックになっているものはたくさんありますよね。痛いな。致命的だな。

学術的に慣習になっているのもあります。爆発的な増加とか。

天文学的な馬鹿は、恥ずかしい表現です。その手のを好むのは、チュウボーやラノベです。天文学的ながとてつもなく大きな数を意味する、へえ~そうなんだ~カッコいい、が常習者の心理です。とにかく使いたいから。重曹ババアみたいに。
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>「天文学的な馬鹿」 


天文学的 → 計り知れない  つまり、 「計り知れない馬鹿」 と言う意味で使われています。
これは日本人の大人であればほぼその意味を理解できます。
親しい間で言う場合は 憎めない愛情を注ぎたくなる性質を持った人に ある種の小ばかにした気持ちと強い愛の気持ちの入り混じった時に ”つぶやく” か ”近くの人に言う” 言葉ですね。

あの子は自分が貧乏でお金も無いのに 寄付などして人助けし、 本当に「天文学的な馬鹿」だね~。
 
その意味で、某掲示板でこの表現をやたらと使う人は、本来の意味を誤用していると思います。
ご存知の様に、言葉には二面性があるので、誤用もそれが本物らしくなってくることも、ありますね。 
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使った人の気持ちとしては、「天文学的な(程度の)馬鹿」の略でしょう。


「程度」は「度数」という数値で測ることができますから、「天文学的数字」という意味に解釈はできます。
ただ、「程度」という要素が文法的に省略が可能かと言えば否と言うしかありません。
とはいえ、一種のキャッチコピー的表現としては許容範囲というか可と思います。
ただ、いずれにしても他人に対して馬鹿などという表現を使うのは良くありません。
そういうわけで、誤用と断定することは難しいですが、そのような表現を繰り返しているとすれば、人間性に何らかの欠陥を持った方なのだと思います。
「天文学的なおいしさ」
「天文学的な頭脳」
「天文学的な面白さ」
「天文学的な愛らしさ」
などといった表現であれば、違和感よりも、むしろ感覚に直截的に訴える優れた表現という印象を与えることも可能でしょう。
  
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