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 今更なのですが、質問いたします。当方アスペルガー症候群の診断を受けている、三十代既婚子持ちの男です。

 「子どもを生まないとダメだぞ」や「自分が結婚しろ」などの野次が騒がれています。確かに、素晴らしい、賞賛するような発言ではなく、眉を顰める類の発言だとは思います。
 ただ、これは差別発言なのか、と言われると、どうなんだろうと考えてしまう自分がいます。野次の飛んだ場所が、少子化対策や結婚支援の対策を述べる場であったことから考えると、野次も「一つの対策の提案」と考えることも出来るのでは?率先垂範は先に立つもののあるべき姿だとは思うのですが。
 また、特に子どもを生むということについては、一義的には女性がどうにかするしかないと考えます。「生む機能(これも差別用語でしょうか?)」は女性にしかありませんから。当然、産前産後の旦那や社会の協力は必要ですし、それを促す施策や、啓蒙は大事だと認識しています。でも、それは女性に「生んでもらう気をおこす」ための手段で「生んでもらう・育ててもらう」事が、少子化対策の目的ですよね。そうすると、野次って、そんなに的外れなんですかね、と思うわけです。

 自分がどれほど世間とずれているかを確認したいので、特に女性の方のこの件で感じたことや、私の考えのいけないと思うことなどを、教えてもらえると幸いです。

A 回答 (24件中1~10件)

#12です、3度目恐縮です。



>その点はどうかという指摘に対する回答をとのことなので、少し知らべました。
これにがっくりしました。
調べなくてもあの場にいた議員の大半は既婚者で、子どもがいるはずです。そんなことはわかっています。
問題は野次った議員にも子どもがいるかどうかではありません。子どもがいるかどうかだけが問題なら、「もう子どもを産ませた男は、産まない女を産んでいないという理由で批判できる」ことになります。
質問者さんはそれに同意されるんですか?
それが少子化対策で議員が示すべき姿なんですか?

繰り返しになりますが、「少子化対策に範を示すべきだとしても、それは自分自身で子どもをもうけることではない」です。
そんなことで対策になるのなら、子ども3人じゃなくて議員たちで一人当たり子ども30人でも60人でも産めば解決でしょ?と言われておしまいです。
だってそうでしょ?議員たちだけで人口が増えるほどがんばって産めばいいでしょ?
いやいや、それでは「日本全体の」少子化の問題の解決になりません。
少子化問題は政治的には社会制度の不備ですから。
その社会制度の不備が残されたままでは真の解決になりません。
だから、議員が示すべき規範は、そのような社会制度の不備を改革することです。
何度も同じことを書いていますが。
なので彼女に対する「子どもを産め」では質問者さんが考えるように「少子化対策への提案」「率先垂範すべきこと」のどちらにもなり得ません。

あれらの野次は、「あの場に全く不要」「発言者の女性差別感情からなされた」「単純に、答弁に上がっていた議員への個人攻撃」「しかも発言者は、少子化対策に取り組む与党議員だった」という4点で問題でした。
野次が騒動になり本来の仕事が滞ったから問題なのではありません。

質問者さんが「なぜ問題か」を理解しないと理解が難しいと思いますが…。
ご自身が何度も書いていらっしゃるように、その、「なぜ」が掴めていないようですね…。
「なぜ」の部分は、社会では複雑な条件で成立することがあります。それが掴めないので、たとえば「子どもの勉強しない権利」が成立すると思ってしまうように思われます。


話を一度切りまして、私は質問者さんが
>どうも、Yusura様始め、多くの方が誤解しているように思うのですが、私もかの野次を快くは思っていません。
と仰るようには思っていません。誤解していないと思いますが。
質問者さんが、野次を
>素晴らしい、賞賛するような発言ではなく、眉を顰める類の発言だとは思います。
と書いてらっしゃることは受け止めております。最初から、質問者さんが野次に同意しているとか快く思っているとか思っているわけではありません。
なぜこれが問題となったか、という理解において質問者さんはズレていると思います。
そしてそのズレているところに、以前会ったことのあるアスペルガーの人との共通点を見いだしてしまって悲しくなります。

先の回答で「~と考えることもできるのではないか」で論点をズラしていくのがダメな理由は、問題がぼやけるから、と書きました。
あの野次が4つの点で問題だった、と書きました。その問題を追及しないまま「少子化対策への提案と捉えることもできないでしょうか」と野次を肯定的に受け止める話をするのは、4つの点が問題になりえない、という見解になります。
つまり、「女性差別発言は問題ない」「女性議員への品のない個人攻撃は問題ない」等が「~と考えることもできないでしょうか」に話をずらした人の見解ということになります。

質問者さんが「女性差別は問題ない」、あるいは「議員なんだから子どもをたくさん産めで正しいと思う」と思うのなら、世間とのズレなど気にせず、好きなように発言したらいいと思います。
自分はアスペルガーだから世間の基準に合わせなくてはならないと思い込んでいるようですが、そう自縄自縛する必要はないと思う。
ただし、人間関係でだいぶ大きな代償を支払うことになるかもしれませんが。
だって
>最後に…の件に関しては、私は承服しかねます。
なのでしょう。
女性差別をすることは問題ではない、という立場をとるということでしょう?

ウソウソ、本気で質問者さんが「女性差別は問題ではないと思っている」わけではありません。
ただこの文脈で、4つの問題をおざなりにして肯定的に受け止めようとすれば、そのような暗黙の意味が生まれます。

正直言って、あの「最後に…」のお願いを書くとき、どのように書いたらいいのかわからなかった。
なぜなら、「…のように考えることもできる」とアプローチの角度を変えること自体は問題ではないからです。
むしろ言ったほうが場が好転する場面もあります。
ですが、今回のように、個人攻撃や差別の肯定を意味してしまうので人間関係を悪化させる場合もあるわけです。
質問者さんは、その言うべき場面と言ってはいけない場面の区別が全くつかないように見受けます。
だから、もし質問者さんがあのお願いを受け入れたとしたら、質問者さんは一律に口を閉ざして、言った方がいい場面でも言わなくなってしまうんだろうな…と思いました。なんて言ったらいいのかわからない。私の能力不足ですが。
なので、「対人関係では」あのような発言は、最初に提案されたことの問題の本質を否定することにならないかどうか考えてほしい、と思ったのです。
歴史の考証だとか、科学の研究の場だとか、そういった学問の場で「多角的に標的を観察し、評価することは、人文社会でも、有用なアプローチ法だと考えます。」は私も十二分に理解しているつもりです。
たとえば今回のように差別がいけないといっても、やみくもにただいけないというだけではなく、生物進化学からなぜヒトにこのような性質が芽生えたのか、なぜ根深く残るのか、心理学・社会学からどのような場面で人は差別を行うのか、政治・経済からどのような制度が撤廃に繋げやすいか…どのようになくしていけばいいのか。いろいろ考えることは非常に大事なことです。
が、人間関係ではそれを言うべき場面と言うべきでない場面があります。
私がいいたいのは「多角的なアプローチを止めろ」ではありません。「多角的なアプローチのつもりで問題の本質を見失うな・見るべき方向を見誤るな」です。
今回のように、ある議員のプライベートを揶揄し個人攻撃する発言を多角的に考えれば肯定することができる、は言うべき事柄ではありません。

ちなみに
>かの議員が野次を飛ばしたときには、そんなこと考えてなかったと信じています。
全員ではないかもしれませんが、野次を言った議員の中には「そんなこと」を考えて言っている者もいたと思いますよ。ワイドショーで大げさに騒ぎ立てられた内容を聞こえるように野次っていた議員もいたんですから。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

最初の「質問者さんはそれに同意されるんですか?」の件については、前回のお礼の通り、同意してはおりません。あの発言そのものは、議会で発せられるべき言葉ではないし、少子化対策に悪効果なのも、お礼の欄で認めていると、私は思っているのですよ。これは、Yusura様も、他の方も仰るこのに否定はしていないと思うのですが、どうでしょうか?

質問文の表現が、過剰であったかもと、今にしては思いますが私の認識としては「溝さらい」です。彼が言うことは悪いが、そこに将来に資する部分は無いか?ということを、探せませんかと、取り直してもらっえも構いません。たぶん、これでも「ズレ」があるのでしょうが…
私が焦点を当てているのは、発言の善悪ではなく、その中に使えるものは無いかというが幹で議員の立場や心情が枝葉。皆さんが主汚点を当てておられるのは、野次を浴びせられた議員の立場と心情が幹で、発言の優位な部分は葉ほどもない。ということでしょうか。
この発言を、少子化問題に資するのは正直牽強付会の類なのかもしれないとは思い始めています。最初は「結婚しろ}→「結婚できない(しない)」→「出来ない(しない)理由はなんだ?」→「かれこれの社会・制度・男女意識の問題」→「そうか、ならばこうこう出来るかもしれない」のような議論が展開できるのではないかと考えたのですが、多くの人は、そうは考えないのですね。勉強になります。

アプローチの件に関しても、私はこのことを「事象」として捉えているのだと思います。少なくとも「対人関係」として捉えてはいませんでした。もし、自分の知り合いが当事者であったなら、たぶん違う反応だったと思います。多くの方は、この出来事を「自分とは直接関係ない出来事」ではなく「議員を自分に置き換えて」考えておられると理解したほうが、よろしいでしょうか?

あと、もしご迷惑でなければ教えていただきたいのですが、例えばこのサイトは、匿名同士の知識の交換の場としての側面が強いのか、人と人との直接的なやり取りの場と考えたほうが良いのか、どうでしょうか?
場面の区別ということで、大分引っかかりまして。
私はも例えば職場の女性との話でこの話題が上れば、Yusura様と同じように言います。少なくとも野次を擁護する発言は出ないです。だって、目の前の人が不快に思うのは間違いないでしょう。でも、例えばこのサイトでは「許される」発言だと認識していました。私は、差別や蔑視を擁護するのではなく、それを認めたうえで、別の見方から、可能性を拾えませんかと、問いかけたつもりでしたから(無論、そこでのズレを知りたいのが動機であり、その点では大成功だとは思いますが)。
多くの方は、それはこのサイトでも「許されない」と判断なされるのでししょうか?
古い話のネットマナーに関連する話とは思いますが、お考えを聞かせていただければ、幸いです。

お礼日時:2014/07/13 08:43

> 普通の方は、盗人の意見に拾う価値はない。



そこまでは言いません。
・・と言うか、そこまで言っちゃうと、「独身女性に少子化問題の発言権ナシ!」と近いニュアンスです。

たとえ盗人でも、拾うべき意見は拾えば良いです。
ただ「盗人は盗人」で、「盗人である」と、「盗人が良いコトを言っている」は、切り離して考えたり議論されるべきではないか?と言うことです。

「窃盗罪は罪である」に対しては、反論の余地は無いのです。
しかし質問者さんは、「ただ、犯罪者の言葉に耳を傾ければ、良いことも言っている。」と反論しているワケですが、それは「窃盗罪は罪である」に対する反論としては成立していません。

質問文でも「ただ、これは差別発言なのか・・」となっていますが、そこは否定しようが無いのです。

「差別発言は差別発言であろう。ただ、未婚の議員が少子化問題の先頭に立って質問している点は、確かに奇異な話しであって、野次にも本質的な『一理』を感じるのは私だけだろうか?」なら、多少は共感者が増えると思います。

私は共感はしますよ。
あるいは、本質的な一理を含む野次であるがゆえ、実際にも塩村議員は言葉に窮したし、ここまで話題になった可能性もあろうかと思います。

とは言え質問者さんの構成では、否定すべきでは無い部分まで否定しちゃってるから、質問者さんの真意も今イチ伝わっていないのでは?と思われ、もったいないです。

実際に質問者さん自身も、「眉を顰める類の発言」としているワケで、そこは「そのまま」で良いのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

つまり、今回の質問で、一番問題なのは私の文章力のなさということでしょうか。伝えたいことを十分に伝えられないのは、自分の不勉強で、不快な思いをさせてしまった方には、お詫び申し上げます。
悪いことは悪いとした、前提で話さなければならない話題で、私はその根幹をあやまっていたとは認識いたしました。回答、胸に落ちます。

少し頭を整理して、まだ差別などについて、自分の考え違いを質問させていただくことも、あるかと思います。もしどこかで、見かけましたら、ご教授いただけるとうれしく思います。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/07/14 23:44

>また、特に子どもを生むということについては、一義的には女性がどうにかするしかないと考えます。

「生む機能(これも差別用語でしょうか?)」は女性にしかありませんから。
産む機能は女性にしかありませんが、女性だけでは子どもはできませんので。

>当然、産前産後の旦那や社会の協力は必要ですし、
子どもを持つ女に、男と社会が協力するというのは、違いますでしょう。
産前産後の妻とその夫に、社会の協力は必要とすべきと思いますが。

>女性に「生んでもらう気をおこす」ための手段で「生んでもらう・育ててもらう」事が、少子化対策の目的ですよね。
従って、施策や啓蒙は、若い夫婦に「産んでもらう気を起こす」ための手段で、夫婦に「産んでもらい、育ててもらう」事が、少子化対策の目的だと思いますので。

>「子どもを産み育てる夫婦に協力」は、差別の言葉とはならないでしょうか?
なりませよ。
子どもは本来、夫婦で、世帯で育てるもんです。
シングル家庭は、その本来が難しい状況です。
だから、そこに税金が使われ、シングル家庭に足りないところを、出来るだけ補おうとしているのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

要は、夫婦・家族という単位が、子育ての基調単位であり、それに対して不足している部分を補うことが肝要であり、補うことそのものは、差別とはならない。と理解いたします。補うことを願い、制度を整えるのは差別ではなく、整えられた制度を強制することが差別となるで、よいのでしょうか。難しいです、多分まだ、理解できていません。
すごいですね、普通の人は、自然とこんな難しいことを考えられるなんて。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/07/14 23:34

いや、子どもは女だけでは産めんのですよ。


旦那と一緒に産むんです。

社会は、女性に協力するんじゃないんです。
子どもを産み育てる夫婦に協力するんです。

ですから、対策の提案は、若い男女にされるべきです。

kisaragi056さんの考えは、その点がちょっと違ってる、と思いました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

仰るとおりだとは思います。文面で直接的には触れてませんが、文意として伝わればと、思案したつもりでしたが、Y1985様はどの辺りから、私がそのように考えていると、感じられたのでしょうか?
あと、失礼とは存じますが「子どもを産み育てる夫婦に協力」は、差別の言葉とはならないでしょうか?シングルの子育て世帯に対して。いえ批判とかではなく、純粋に疑問なのですが、今回の質問のなかで、相手が「そう感じた」時点で差別、という印象(さらに言うと、相手が感じなくても差別はありえるかもとすら、感じるのですが)が沸きまして。別項目で質問を立てるつもりですが、もし、よろしければ考えをい聞かせ願えれば幸いです。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/07/13 09:55

No16 です。



少し私の誤解があったかもしれませんね。

>「勉強しなさい」
>「結婚しなさい」
>上記二文がどんな権利を否定しているか答えなさい。
>答え=「勉強(結婚)しない権利」

ここで、質問者さんは、「勉強しなさい」はいいけど「結婚しなさい」
はだめなのはおかしい、だから質問者さんが何を言いたいのかがさっぱり
わかりません。

ケース1:だから、質問者さんは「結婚しなさい」発言にも道理があると言いたい

ならば、勉強しなさいと命令を下す親とそれに従うべき子の上下関係を、そのまま「やじおやじ」とそん女性議員との関係にもちこんでもいいということになる。このケースは質問者さんの差別になります。

ケース2:だから、選択の自由はおかしい

選択の自由からすれば、一方的な「勉強しなさい」もダメなんです。
本人が勉強したい、もしくは学力が低くて将来困りたくないことに同意する、「ならば勉強しましょう」が正しいのです。一方的な「勉強しなさい」も「結婚しなさい」も、選択の自由に反するからだめなのです。(本人の意志をないがしろにする点で、両方とも広い意味では暴力です。) だから、選択の自由が論理的に変であることを質問者さんが示したことにはならないのです。おわかりでしょうか?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

ケース1は、そのようには考えておりません。私がいいたかったのは、ケース2の方です。
「選択の自由からすれば、一方的な「勉強しなさい」もダメなんです。」というのが、私も至った答えです
。でも、世の中では、それは当たり前のように言われていますよね。それに対して批判も無い。情景を抜いて原則「両方ダメ」なはずなのに、片方は受け入れられ、片方は否定されるのはおかしいのではないかと言いたかったわけで。違うのは分かるのですが字面として読む場合「○○しなさい」は選択の強制であり、暴力的な行為である。しかし、相手のためを思う場合、これは例外として社会に容認されることもある。その理由は何だ?ということです。
特に今回の場合、議員の釈明会見での「実は彼女のためをおもって」の件を、本当に字面だけで判断すると、親の勉強しなさいと同じになってしまうと、判断したわけです。無論両者には、天地ほどの差があるのは分かりますが、私にはそれを、立証し説明できる能力が無いのです。特に立証が。アスペルガーの特色として、物の裏が読めない、行間が読めないというのがあり、私もアスペである以上、読めたとおもっえも違う可能性を常に抱かないといけないため、余計にです。
なのであのような御礼になったしだいです。

また、人生の選択肢としての重要度は差があっても、権利の価値としては勉強も結婚も同列ではないかというおもいもあるのです。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/07/13 09:46

> まぁ、セクハラで切ってしまえば、そうなんですが、



それだけのコトですよ。
すなわち、切り離して考えるべきことです。

セクハラ野次は、賠償責任も考えられる民事事件で、度を越せば刑事事件にもなり得る「事件」なのです。
とは言え、内容そのものには一理あるかも知れません。

要は「盗人にも三分の理」に関し、質問者さんは「三分の理」にのみ焦点を当て続け、思索を展開してて。
世間は「たとえ多少の理があろうとも、盗人は盗人」と言う、事件性に注目しているのです。

そこが質問者さんが気にしている「差分」でしょうね。

尚「三分の理」に関しては、実際にも塩村議員が言葉を詰まらせるなど、野次としては効果絶大でした。
それなりに鋭い視点からの指摘であったことは、特に考慮に値しないでしょう。
それが鋭過ぎ、人を傷付けるレベルであったと言う問題です。

発言内容が正しければ、表現は配慮する必要は無いか?(≒目的は手段を正当化するか?)と言う議論において、質問者さんは「発言内容は正しい!」とのみ主張しているワケです。

それは別の議題における議論で主張すべきことです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

仰ること、理解しました。普通の方は、盗人の意見に拾う価値はない。わざわざ汚泥の中から価値があるかも分からないものを探すより、別の場で建設的な提案をしたほうが良いと考えているのですね。
確かに私の質問は、その辺がごったになっていたのだと思います。次回よりの質問に役立てたいと存じます。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/07/13 09:24

少子化対策等との お考えには、


私も共感しますし、
御自身で そう思われる分には、
何も問題無いと存じますが、
世間の常識では、プライバシーの侵害と、ハラスメント以外の何物でも無いと存じます。

御質問主様が、的外れだとか、ずれていらっしゃるとは思いませんが、
世の中には、冗談でも本気でも、言って良い事と、悪い事が、存在すると存じます。

例え、どんなに親しい仲でも、
自分には、悪気は無くても、些細な発言で、相手を傷つけてしまう事も御座いますし、
プライベートな事に第三者が首を突っ込むのは、如何な物かと存じます。

また、今回の場合は、議会等、
『公の場』という事も有り、
(中継は、テレビ等のメディアを通じて、
様々な人が御覧になりますので、)
知らない人の前で、恥を晒す行為と言っても
過言では無いと、個人的に思います。

・・・目下の分際で、何だか、上から物を言う様な回答で、大変失礼致しました。
悪気は御座いませんので、お気を悪くなさらないで頂けますと
幸いです。

By 20代後半・既婚 子持ち女
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

とても要を得て分かりやすい文章で、不快どころかとても参考になります。親しき仲にも礼儀あり、普段から気をつけているつもりですが、実践できているかは心もとないです。せめてネットのこういう場で本音と建前の使用法を練習していきたいです。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/07/11 01:12

非難を承知で言えば、塩村議員にうまくひっかけられたともいえるような気もします


本人(議員)は意識しないにしろ、虎視眈々と慰謝料を狙っている網にバカな男がまた一人(まだ出てくるかもしれないので複数人か)が引っかかった

確かに品の無いヤジそして、まだ名乗り出ていない誰が聞いてもセクハラの範疇に入るヤジ
このネタでどのくらい利が得られるやら

あなたもアスペルガーを名乗ったばかりに予想以上の非難を受けているようですが
私はあなたの意見は必ずしも間違っていないと思います
一部は共感しますよ
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

私も正直同じように思うと所があります。間向けが釣られたと言いましょうか。内容に対して、反響は大きいですよね。だから許せるとは思えない発言ですが。

名乗るも何も、私は手帳もちのアあスペルガーですので、一応真性です。非難というか、世間と私の「常識」の差分を知ることが出来て、うれしくおもっています。とても勉強させてもらっています、ありがたいことです。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/07/11 01:02

しかも子供ひぇの「勉強しろ」発言と並べていることは、女性を子供扱いしていることを暴露しているものなのですよ。



質問者の差別意識は、根が深いですね。
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この回答へのお礼

回答を多数頂きありがとうございます。

私が何をどう差別しているか、詳しく教えていただければ、幸いです。No.2様へのお礼の中の「親の「勉強しなさい」は子どもの「勉強しない権利」を否定していますよね。親は子どものためをおもって、というなら、かの都議会議員も弁明で「彼女のためをおもって」と言っているので、相手のためを思う発言になってしまいます。変なことですよね。」の部分についての指摘だと思いますが、私は、こう伝えたいと考えておりました。

「勉強しなさい」
「結婚しなさい」
上記二文がどんな権利を否定しているか答えなさい。
答え=「勉強(結婚)しない権利」

背景無くテスト問題風にすると、こうなるのではないでしょうか。私は、字面と言葉の意味に込められた差分を、背景なしに説明できません。あなたは出来ますか?と問うたつもりです。これが、議員の発言を肯定するとは微塵も思いませんが、私はアスペで、彼の心情を理解できません。だからまず、字面だけで分別する方法はないかと思案したわけです。

これは差別に当たる考えなのでしょうか。別に質問を立てて問うて見ようかと考えていたことなので、ご教授願えれば、幸甚に存じます。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/07/11 00:55

「子供をうめ」が「彼女のためをおもって」なんてありえないでしょう。



子供をうみ育てることの幸せと負担をどう評価するかは、彼女の長年・複雑な背景によるのですから。発言者がそれを知り尽くしているというのでしょうか?

しかも、そもそも人の人生に、他人は責任とれないでしょう。

「xxxxのためを思って」の考え自体が、差別や侮辱の正当化なのです。
そういう正当化をすべて止めていかなければ、差別も侮辱もなくなりはしません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

仰るとおりだと思います。まぁ「野次」ですから、場の勢いと考えなしで言ったと見るのが正解なのではないでしょうか?

「xxxxのためを思って」の考え自体が、差別や侮辱の正当化なのです。とのことですが、例えばバリアフリーや男女雇用機会均等法も差別に値するのでしょうか?違うのは分かっていますが、どう説明していいかが分かりません。難しいです。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/07/11 00:40

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