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三国干渉後のに中国分割がすすみ、朝鮮でロシアの影響力が強まりますがそれはなぜですか。

A 回答 (2件)

中国の利権争いが終盤に近づいたので、半島へ焦点が移行。


他国より、ロシアがより熱心だっただけでしょう。
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・中国分割について



「眠れる獅子」と言われていた中国ですが、
イギリスがアメリカ独立戦争の戦費調達などのために、
インドで栽培された麻薬のアヘンを輸出していました。
当然ですが、麻薬が広まることで民度が低下していくため、
林則徐を大臣として取り締まりました。
これに反発したイギリスが中国に武力侵攻を行いました。
これがアヘン戦争です。
アヘン戦争により、不平等条約(南京条約)で有利になった
イギリスですが、その後は思ったほど利益がでません。
そこで、イギリス船の水夫が逮捕されたことを口実に、
再び武力侵攻しました。
これがアロー号事件(第二次アヘン戦争)です。
これにより再び不平等条約(北京条約)を締結させられ、
ロシアが沿海州の領有権を得ました。
中国国内では、太平天国の乱や李鴻章ら有力者の軍閥化で
清の影響力は低下していきました。

当時の東アジアは、中国を中心として周辺国はその従属国として
清の冊封体制下にいました。
1884年清仏戦争でベトナム、1886年イギリスの侵略によりビルマ
1894年日清戦争で朝鮮が、相次いで中国の支配下から除かれ
3億両にも及ぶ日清戦争の賠償金で困窮したのに付けこみ、
中国の分割と半植民地化がすすみました。

この後、諸外国の専横に反発して義和団事件が起こり、
当時の権力者であった西太后がこれに追従してしまい
宣戦布告をして、逆に8か国連合軍に北京を占領され、
北京議定書を結ばされさらに弱体化してしまいました。
そして、辛亥革命などでついに清は滅亡します。


ということで、三国干渉は時期としては分割が進みましたが、
三国干渉による影響はあまりないと考えます。





・朝鮮でのロシアの影響力

この当時の朝鮮王は高宗、その王妃が閔妃、高宗の父が大院君
(興宣大院君)という方々でした。
閔妃は、大院君が外戚の専横を心配して影響の少ない候補から
妃としましたが、ご多分にもれず閔妃とその親族が強い勢力を持ち、
大院君と対立しました。
そもそも大院君は攘夷派で外国を敵視し、閔妃一派は日本と通じて
改革を図る考えでした。閔妃は日本を利用し朝鮮の改革を計画
しましたが、あるきっかけで国内に動乱が起こり、大院君は
閔妃一派を一時は失脚させましたが、数日で中国の力を背景に
舅である大院君を天津に幽閉しました。
これが壬午事変です。
日本はこの影響で多数の死傷者を出し、その代償として軍の
駐留を認めさせました。しかし、閔妃一派は日本を見限って
中国への依存を強めました。
この後、閔妃派高官の私利私欲で腐敗した政府を改革しようと、
開化派と言われる勢力が高宗の信頼を得て反乱を起こしましたが、
再び中国の勢力を借りた閔妃一派が鎮圧しました。
これが甲申政変です。

このように、当時の朝鮮は中国の庇護下にありましたが、
日清戦争の結果、下関条約の第一条で朝鮮は中国から
独立させられました。
 (それまでは従属国という強い影響下にありましたが、
  朝鮮が中国の一部という訳ではありません)

清の庇護下から追い出された朝鮮は、しかたなしに
「大韓帝国」として独立しました。
この頃は、日本を推す大院君が日清戦争の結果をふまえ
勢力を拡大し、清の影響力が着たいできないことで
閔妃の勢力は衰退しましたが、閔妃は周辺で残る
もう一つの大国ロシアに助力をもとめ、ロシア軍の助力で
権力を奪還し、反対派の武装解除まで行いました。
そこで、大院君一派は日本の助力を要請し、協力のもと
遂に閔妃を暗殺します。これが乙未事変です。
  (韓国と日本の一部勢力は閔妃暗殺を日本の犯行として
   日本を非難していますが、当時の皇太子による証言や
   土地勘の全くなく皇后の顔すらしらない日本の民間人が
   短時間で時効するのは困難などの理由から
   朝鮮人の犯行と考えます)
皇帝である高宗は閔妃を暗殺されたことで態度を硬化し、
大院君は失脚します。

乙未事変の数か月後、親露派の閣僚により高宗はロシア公使館に
拠点を移し、これによって親露派の影響力が拡大しました。
これが露館播遷です。
以後、朝鮮はロシアに権益を売却し、それをロシア進出を
危惧する日本が買い戻すという状況となります。
この時の日本に敵対してロシアに助けを求めた親露派の一人が
後の日韓併合で中心となる李完用です。

このころの内情を記したのが一部で有名な「朝鮮紀行」です。
この中には、日清戦争で独立を余儀なくされてガクブルの
高宗の描写や、腐敗している朝鮮官僚とそれを正そうとする
潔癖な日本に反発したり、日清戦争時の規律が無い中国などが
描かれています。





さて、長くなりましたがお答えとしては
日清戦争の賠償金などで三国干渉の時期に中国の分割が進み、
中国の影響力が低下することで中国を頼れなくなった朝鮮が
新たなる庇護を求めてロシアに接近した。
ということになります。
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