No.2
- 回答日時:
どちらの意味とでも取れる
実際に、幾たびも所属先を変えている
単に変えるだけではなく、重用されている
単に裏切りだけで主君を変えるのであれば誰でも出来るし
主を変えて厚遇されることは少ない
なのに、彼は所属先を変え尚かつそれをプラスにしている
そんな奴他にいないぞ
そういう気持ちからの言葉でしょ
だから単純な貶めではないし、かといって手放しで賞しているわけでもない
好悪の合い混じった微妙な評価
早速のご回答ありがとうございました。
<好悪の合い混じった微妙な評価>
ですね。
疑問があります。秀吉は、なぜ、微妙な評価を使ったのか。関係者に、ある意味ではあいまいな、どちらにも解釈されるかも知れない、危険な言葉を使ったのか、ということです。
No.3ベストアンサー
- 回答日時:
言葉は、相手と発言者、そのときの状況を考慮しないと、意味を理解するのは難しいです。
さらに、その人々の暮らしていた社会で、どのような言葉をどういう意味で使っていたのかも大事です。
《豊臣秀吉は、真田昌幸のことを“表裏比興之者”と言ったそうです》そういう事実がなかった可能性が高いです。webで検索すると、羽柴秀吉が上杉景勝に宛てた書状に付帯した副書(増田長盛・石田三成の名前になってい天正14年8月3日付の書面にあるようですが、その書面の文言がweb検索では不明)に、どう書かれているのかがわかりません。
仮にそうした文書があるとして、通常、そうした書面の添え状の文言が第三者の他人に流れることは希でしょう。また、羽柴秀吉が上杉景勝に宛てた書状は戦術的・政治的な意図で書かれているハズで、その副書に誰のことをどう書こうとも、今、当座・当面の説得目的/上杉景勝を説得する目的で作られたものでしかないです。
http://www.rokumonsen.com/source-of-future/sanad …
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
なお、こんなのもあります。
戦国武将・人気のウラ事情 著者: 鈴木眞哉
12 「比興者」と呼ばれた人たち
同時代の史料のなかで「比興者」と呼ばれている人が人勢いる。この比興というのは卑怯の当て字ではない。本来はなにかをものに託しておもしろがることだったが、しだいに意味か変わり、この時代には、常識的でないとか、道理にそぐわないとか、いやしいとか、あさましいとか、状況によって、いろいろな気分をこめて使われた。
よく知られた事例では、真田昌幸がいる。天正十四年(一五八六)八月、豊臣秀吉から上杉景勝に宛てた書状(「上杉家記」)に、増田長盛・石田三成が添え書きして、昌幸は「表裏比興者」だと言っている。
武田家の遺臣だった昌幸は、主家滅亡後、織田、北条、徳川と次々と所属を替え、家康と対立すると上杉家の傘下に入ったが、この書状が出されたころには、豊臣大名となろうとしていた。昌幸にしてみれば、大勢力に囲まれて家を保ってゆくためには、あざとい真似もやむをえなかったのかもしれない。だが、長盛らからすれば、そうした油断のならないところが「衣裏比興者」ということになるのである。
ついでに言うと、「表裏」とか「表裏者」とかいう言葉は、それ単独で使われることもあった。天正十一年(一五八三)四月に、羽柴秀吉が佐々成政を「表裏者」と呼んだと、前田利家の家臣・村井長頼の覚書にある。成政は、もともと柴田勝家と組んでいたが、賤ヶ岳の戦いのときには越中で上杉勢と対峙していて、秀古と戦うことはなかった。勝家滅亡後、一時、秀吉に接近する姿勢を見せたので、裏表のある不正直な奴という意味をこめたのだろう。その後、また秀吉と対決して敗れたことは、すでにふれたとおりである。
(この本がどの程度信用できるかが怪しい。かなり怪しい。秀吉が豊臣姓を賜ったのは天正14年9月なので、天正14年にはまだ羽柴秀吉であった。上記の中にある書状が出された前年の天正13年に真田昌幸は次男信繁(真田幸村として知られている)を羽柴秀吉に人質として出し自分は羽柴の傘下に入っている。そして天正14年になる)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ただ、仮に、天正14年8月3日付の書面や9月25日の書面で、表裏比興者の語で真田昌幸を指していたものがあるのならば、《貶すことば、信用できないヤツをさす言葉》として使ったのでなければ、その言葉を使う意味がないと思います。
ご回答ありがとうございました。
何時ものことながら、綿密な論証でした。
1.秀吉は、質問の核芯である表裏比興之者を使わなかった可能性もあるのですね。
2.仮に、使ったとして、当時の状況において、貶すなどの意味を表さなければ、
<その言葉を使う意味がない>
ということですね。
No.4
- 回答日時:
「表裏はあるけど、どっちつかずな性格が気に入っている」という意味です。
褒めているのか、けなしているのか、それは人次第だと思います。
豊臣秀吉に味方するなら、褒めているし、徳川家康につくなら、味方ではないという意味にも捉えられます。
ご回答ありがとうございました。
appleboya1978様のご指摘により(少し間違えているかもしれませんが)秀吉は、
”<どっちつかずな性格>
であるお前(昌幸)が、どちらにつくか、により人柄が決まるぞ” と言っている(脅している)、ように思いました。
お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!
似たような質問が見つかりました
- 日本語 人たらし。褒め言葉?悪口?あなたはどちらだと。 10 2023/06/09 07:08
- 政治 田中角栄の名言集のような本を読みました。 それによると田中角栄は数学は学者なみに強く、人身掌握術にお 13 2023/07/03 19:11
- 歴史学 秀吉に滅ぼされて嫁となった淀君は秀吉うらんでた? 5 2023/08/08 20:28
- 歴史学 豊臣秀吉の弟の豊臣秀長は、秀吉の欠点を補う存在だったという話を聞きました。もし秀長が長生きしていたら 4 2022/09/15 05:56
- 歴史学 北朝鮮・韓国から見た豊臣秀吉ってどんな存在ですか やっぱり悪者として教育されているのでしょうか? 豊 5 2022/08/01 12:56
- 哲学 小学校で「さん付け」指導 14 2022/06/01 18:36
- 歴史学 石川数正は、なぜ徳川家康に豊臣秀吉に従うように進言したのですか?大坂に行って秀吉の実力を知ったからで 2 2023/08/28 06:16
- 歴史学 豊臣秀吉は、なぜ生きているうちに徳川家康を排除しようとしなかったのですか?織田家から政権を奪った秀吉 6 2022/11/01 07:08
- 歴史学 明智光秀は謎につつまれた武将ですが、豊臣秀吉も出自や信長に仕える前は謎につつまれてますよね? 定説で 3 2023/06/23 23:21
- 歴史学 織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の有名どころは戦場での肉弾戦も強かったのでしょうか? 8 2023/04/10 14:51
おすすめ情報
デイリーランキングこのカテゴリの人気デイリーQ&Aランキング
-
平安時代の寝殿造り.....冬はど...
-
「づつ」と「ずつ」はどちらの...
-
なぜ戦後GHQの政策で国史、地理...
-
課題の反対語
-
「いずれか」と「いづれか」ど...
-
56歳独身男性です。 オナニーが...
-
パクリの語源は、戦前盗みで捕...
-
歴史的仮名遣いでの小文字表記...
-
「1に何々、2に何々、34が無く...
-
芸術大国といえば
-
羽柴(筑前守)秀吉などの「〇...
-
日本で双子が忌まれるようにな...
-
戦時中の富裕層について教えて...
-
中国人の脚の長さ が、気になり...
-
創世記、創成期、創生期の使い...
-
大正時代での恋人の逢瀬について
-
ジーパン(ジーンズ)の数え方
-
TRONってなぜ今は無料配布して...
-
歴史的仮名遣いの「む」
-
文字を必要とした理由は何ですか。
マンスリーランキングこのカテゴリの人気マンスリーQ&Aランキング
-
平安時代の寝殿造り.....冬はど...
-
「づつ」と「ずつ」はどちらの...
-
課題の反対語
-
「わいうえを」とか「やいゆえ...
-
昔の人は冬の寒さをどうやって...
-
「いずれか」と「いづれか」ど...
-
パクリの語源は、戦前盗みで捕...
-
56歳独身男性です。 オナニーが...
-
徳川御三家に紀伊・水戸が選ば...
-
中国人の脚の長さ が、気になり...
-
歴史的仮名遣いでの小文字表記...
-
「1に何々、2に何々、34が無く...
-
昔の日本人に比べて現代人が若...
-
処刑場跡(主に兵庫県南部で)
-
徳川本家、御三家の家紋に違い...
-
日本で双子が忌まれるようにな...
-
塗料 ナフタデコールとキシラ...
-
「幼少」ということば
-
睾丸を利用した拷問
-
歴史的仮名遣いの「む」
おすすめ情報