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「できる」の命令形って「できろ」ですか?「できれ」ですか?どっちにしても違和感があります…

A 回答 (12件中1~10件)

#7ですが、#11さんのコメントに関して何点か感想を述べさせていただきます。



1.
>「可能動詞には命令形が用いられにくく、「読めろ」・「走れろ」などの命令的な表現は極めて稀である。」と書いてありますが、極めて稀ならその使用例を挙げてほしいかったと思います。

これは、おそらくですが、わたしが#7でお示ししたようなシチュエーションではないかという気がします。
その上で、そんなことはない、とおっしゃるのであれば、(特に根拠がないかぎり)それは個人の見解の相違ということになるのでしょうが、一応、ご検討なさっていただくのも一興でしょう。
ご検討材料として、以下、少し補足的に述べてみます。

可能動詞や可能を含意する動詞で命令形が用いられにくいのは、#7でも述べましたが無意志動詞の場合。
命令形というものが、相手に対して相手の意志での行動を促す(迫る)ために用いられるわけですから、この点に異論のある方はおられないでしょう。
無意志動詞にはそぐわない活用形ということができます。
これは、つまり、意志のない対象に対して命令することは(意志による動作を実行することはできないわけだから)不可能である、という大前提に基づく論理です。(この点にも異論が生じる余地はないはず)
しかし、この大前提が覆る場合があります。
#7で述べたように、「ある動作や状況が実現(成就)することを、その動作や状況自体に向けて命令したい気持ち」が話者に生じる場合です。
この場合、話者は、意志がないものとわかっているはずの「ある動作や状況」に対して、意志を持つものとして存在してほしいという気持ちを抱いていることになる。
こうした心理になるのは、それほど不思議なことではなく、われわれが(頻繁にとは言いませんが)日常的に経験していることでしょう。
この時点で、「意志のない対象」が「意志のある対象」となるわけで、結果的に「意志の伴なわない動作」が「意志のある動作」となり無意志動詞が意志動詞として(一時的に)認定されることになる。つまり、上記の大前提が崩れ命令形の使用が可となるわけです。

言葉というのは心理の発現であり、文法があるから言葉があるわけではありません。
こうした心理を認めないのであれば別ですが、そうでない以上、「可能動詞や可能を含意する動詞で命令形を使うことはできない」と断言してしまうと無理が生じる。
ただ、「意志のない対象」が「意志のある対象」となるシチュエーションというのは稀ですから、その意味でウィキでは「可能動詞には命令形が用いられにくく」といった記述になっているのだと思います。
とはいえ、「読めろ」・「走れろ」という例が挙がっているようですが、こうした可能動詞の命令形で違和感が増すのはたしか(くどくなるので理由は述べません)。
しかし、「可能を意味する動詞」としての「できろ(よ)」の場合、それほどでもないでしょう。
また、お示しになっている「見える」「聞こえる」「分かる」などは自発動詞だと思いますが、これらもすべて無意志動詞であり、また、自発である以上、必然的に「可能を含意する動詞」と捉えることが可能です。
そして、これらについては、可能動詞の「読めろ」・「走れろ」などに比べて、「見えろ」「聞こえろ」「分かれ」といった命令形が使用されるシチュエーションは(稀である点は変わらないものの)増えるように思います。
検証はしきれていませんが、大体のところ、「可能動詞」⇒「可能を意味する動詞」⇒「可能を含意する動詞」といった順で「稀度」は低くなるでしょう。

2.
>さらに、「形容詞」「形容動詞」にも命令形がないということです。

形容詞には「美しかれ」、形容動詞にも「永遠なれ」「毅然たれ」などの命令形はあるように思うのですが・・・。

3.
> 「命令形」が無いのは「状態」を表す活用語で、動作を表す活用語が「命令形」を持つと言うことです。

つまり、無意志動詞には命令形が無い、というご見解ですね。
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可能動詞には命令形がありません。

これは大辞泉などがはっきり書いています。wikipediaでは「可能動詞には命令形が用いられにくく、「読めろ」・「走れろ」などの命令的な表現は極めて稀である。」と書いてありますが、極めて稀ならその使用例を挙げてほしいかったと思います。いずれ子供の類いが使ったのでしょう。実は広い意味の可能動詞は「ら抜き言葉」などと呼ばれている、
 起きる→起きれる(上一段) 寝る→寝れる(下一段) 来る→来れる(カ変)などですが、「サ変」には似た形がなくて「できる」をかわりに使っています。この「出来る」を含めて、可能動詞のタイプには命令形がなく、その類似の動詞「見える」「聞こえる」「分かる」など「~が見える」の形で対象を「が」で表すものには「命令形」がありません。
 これはすでによく知られていることですが、それ以外に助動詞でも「れる・られる」の「受身・尊敬」には「命令形」があり、「自発・可能」には「命令形」がありません。さらに驚いたことに(今更変ですが)助動詞には「命令形」のないものが多いのですね。「れる・られる」(受身・尊敬)「せる・させる」(使役)「す・さす・しむ」(使役ー文語系)「ます」(丁寧)を除くとほとんどの助動詞が「命令形」を持っていません。
さらに、「形容詞」「形容動詞」にも命令形がないということです。
 ここに来て、いくらか見えてきたのは、「命令形」が無いのは「状態」を表す活用語で、動作を表す活用語が「命令形」を持つと言うことです。
 私の考察の結論でした。
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他の回答者さんの議論もふまえ、


命令形本来の「命令」、「指示」の意味では、
可能(なぐれる、食べられる、来られる、できる)や
受身(なぐられる、食べられる、来られる、される)は命令形は使えませんが、
願望(受かれ、当選しろ、等)の意味なら「できろ」は使えると思います。
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できる、可能を表す動詞?。


命令される必要、ある??。
命令されるまでもなく・・・・・・。
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庭三郎氏の「日本語文法概説」の動詞の一覧表を眺めている内に面白いことを発見しました。


何でもいいから一つの動詞を思い浮かべます。「出来る」は外して「思い浮かべる」を使ってみましょう。
 その「思い浮かべる」に「なさい」という尊敬語の補助動詞を付けて命令形を作ります。「思い浮かべなさい」これが使用出来る動詞は、敬語でない「思い浮かべよ(ろ)」という命令形も使うことができるということです。この方法では「出来なさい」という使い方は出来ないので、「出来よ(ろ)」も使えないということになります。同じ命令形だから当たり前かも知れません。
 これはおそらく、どんな動詞にも利用できると思います。「活用の種類」「自・他」「意思・無意志」「動作・状態」等と関係無く。たとえば次の動詞で試してください。
「落ちる」「降る」「見落とす」「聞こえる」「思い残す」「つなげる」
 この私の説のきっかけになった、庭三郎氏にご説明いただければ幸いです。
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#4です。


少し補足したほうが良さそうなので再度おじゃまいたします。

「できろ(よ)」という命令形は、たしかに、あまり耳にしない表現かもしれません。
理由は#6さんも触れていらっしゃるように、「できる」が無意志動詞だからです。
そもそも命令形というのは、相手に対して相手の意志での行動を命令するわけですから、無意志動詞にはそぐわない形ということができます。
ただ、そぐわないからといって使えないとか間違いとかいうことにはなりませんので、そこを混同しないように留意が必要でしょう。
命令の対象として、必ずしも意志を持った存在を必要とするわけではない、ということです。
つまり、「ある動作や状況が実現(成就)することを、その動作や状況自体に向けて命令したい気持ち」といったシチュエーションとでも言いますか。

具体的事例を2つほど挙げてみましょう。
1.
練習で難しい技に挑戦しているアスリートを、あなたが観戦している場面を想定してください。
何回やっても失敗の連続ですが、ファンであるあなたは何とか成功して欲しいと手に汗を握りながら見つめています。
そのアスリートは「できない、できない、どうしてもできない」とつぶやきつつ、悲壮な表情で練習を続けている。
そして、これが最後の練習とわかったとき、あなたは心の中で思わず念じます。
「できろ!」
アスリートに命令しているわけではなく、その難しい技(たとえばフィギュアスケートの4回転ジャンプなど)自体に対して、結果的に成功という状態になるように命令する(念じる、と言うほうが適しているかもしれませんが)わけです。

2.
意志動詞と無意志動詞については下記サイトが面白そうです。
http://web.ydu.edu.tw/~uchiyama/1h93fy/ishi.html
そこに「彼女とケンカになる。」という無意志動詞の例文が挙がっています。
このサイトの解説によると、「彼女とケンカになれ。」という命令形は作れないことになりますが、果たしてそう言い切れるでしょうか。
三角関係にある第三者としての男性が、怨念(あるいは期待)を込めて、このように言うことは十分に想定可能だと思います。
この場合は、恋人関係にある男性に向けて命令しているわけではなく、「喧嘩になる」という状況自体に対して、それが実現(成就)することを命令している形なわけです。

詳しく検索はしていませんが、こうした表現は使われているはずですが、極めて稀なシチュエーションであることは否めません。
ただ、稀であることと誤った表現であることとを混同しないよう留意は必要でしょう。
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これは難問です。

「出来る」の古い形は「出来(いでく)」という「カ変動詞」が形を変えて「上一段活用」の「出来る」になりました。その途中で「出来(しゅったい)する」という形もありました。ところで「出来る」の命令形は、形の上では「出来よ・出来ろ」ですが、そんな言葉が使われるのを見聞したことはありません。「出来てほしい」「出来てもらいたい」などの言い方しかないようです。念のため「KOTONOHA」や「青空文庫」で検索しましたが、一件もヒットしませんでした。(「出来よ」という形がありましたが、これは「出来よう」の一部でした)
 一部の辞書や「Wiki」では平気でこの命令形を書いていますが、その実例があるのでしょうか。なぜこのようになるのか、考えてみましたがよく分かりません。No.5の方が「可能動詞」み触れていらっしぃますが、「できる」は内容的には近いが、可能動詞ではありません。それではなぜ使用できないのか、「自動詞・他動詞」「動作動詞・状態動詞(存在動詞を含む)」「意思動詞・無意志動詞」などからも考えましたが、結論は出ません。むしろわたしも教えてほしいところです。
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可能動詞【ではない】から命令形が無いと思うんだ。


この場合は、能動態と受動態の変換にしかならない。
そういときは別の言葉に置き換わるんだなぁ。

「やれ!」とか。
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「命令形」


五段活用⇒エ段。泳げ・飛べ。
上一段活用・下一段活用⇒語尾が「ろ」「よ」。起きろ(よ)・食べろ(よ)。
だったと思います。
「できる」は上一段なので「できろ(よ)」が正解。
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「できろ」だそうです。


https://wikimatome.org/wiki/%E5%87%BA%E6%9D%A5%E …
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